自死とマラソン
(2007年4月号)

暖冬とはいえ、まだ春浅き2月18日、冷たい大粒の雨が路上を濡らし、その上風さえ加わった最悪のコンデションの中、 「東京マラソン」に出場すべく東京都庁前に集合した参加者は何と3万870人、これも当初の申込者が9万人 にもなったので急遽抽選で3万人に絞り込んだという。
 しかもその参加者の中には車椅子のランナーや視覚障害者の外に臓器移植者まで参加したというから驚きである。
 然し私が本当に驚いたのは都庁前広場を埋めつくした3万人というひと (かたまり)のボリュームの巨大さだった。
 その集団は野球やサッカー観戦の為にスタンドに腰掛けている人達とはまったく違う光景なのだ。

それと同時に、これだけの人間と同じ数の人達が今の日本では毎年「自死」しているのだという事を実感として 頭の中に鮮明にとらえることが出来た。
 恐らく介護者が介護疲れで殺人を犯したり心中者等の数を入れると、その数は東京マラソン参加者の何割増かになる はずである。
 この日本では悲しいことに年々弱肉強食の傾向が強くなり、弱者は更に弱い者に攻撃の刃を向けるようになっている。
 その結果、中高年ばかりか少年層でも自死者は急増し、地方都市が毎年一つずつ消滅する勘定になるというから正に異常と 言わざるをえない。
 美しい国造りを目指すのもいいが、この自死者の問題は個人の問題ととらえる事なく、社会病理として国を挙げてその 防止策に本腰を入れるべきだと思う。
 言うまでもなく自死者は一部不況や失業に起因しているわけだが、行き過ぎた消費性癖やパチンコなどのギャンブル人気を 背景に多重債務者が増加し、自已破産申請者が20万人、その予備軍が200万人とも言われている。これは最早、単に「勝 ち組・負け組」等という流行語で片付けられるべきものではない。
 多くの日本人はいまや経済や科学の発展と引き換えに真に生きる喜びや生命への (いつく)しみの心を失ってしまったように思える。

私は以前、知育・徳育・体育についてふれ、その三つの教育に美育を加え体育はあくまで保健体育とすべきだと述べた。
 更に一般の人達も政治家や教育に携わる人達まで知育を国語や算数や歴史といったような知識のみを教え育てる事だと 思い込んでいる様な気がしてならない。
 この場合の知育とは正しい生死観を身につけ、宗教観にまで踏み込んだ、人間としてより良い人生、より意義のある人生 を送る為の智慧を教え育てることだと私は解釈している。
 知識と知恵を併行して教え育てるのが本当の知育ではないだろうか、学力重視の考え方にはどうも賛成しかねる。
 兎に角今回の東京マラソンは、スタートから最終歩行者(走者)がゴールする迄7時間もかかっている。
 この間一部の関係者には利益をもたらしたかも知れないが、交通規制による沿道住民の迷惑や経済的損失は計り知れない ものがあると思う。
 当日は関係者や約1万人のボランティアの協力により運営面では大きな問題もなく、大会委員長は予想以上の結果を素直に 喜びたいと言っているが、一体予想以上の緒果とはどの様な事なのか理解に苦しむ。

今回は世界選手権大阪大会の代表選手選考会も兼ねていたらしいが、女子の選考会は除外され結局男子中心の大会となり、 日本代表を目指す選手達を除けば、あとは気まぐれ市民のお祭りさわぎ以外の何物でもない。
 7時間にもわたり主要道路を規制させ、新宿・日比谷・品川・銀座・浅草そして最終は東京ビッグサイト(江東区)迄、 途中飲み物や食べ物まで要所要所に配備させ、こんな賛沢な物見遊山の東京見物の参加料は1万円では安すぎる。
 人にはそれぞれの楽しみがあることだから一概には言えないが、保健の為のジョギングならいざ知らず一般市民の迷惑も 考えず主要道路を遮断してまで息急(いきせ) き切って息も絶え絶えに走って自己満足してみたり、物見遊山でのうのうと42.195キロも歩く等もっての外、 企画者の神経の鈍さに呆れるばかりだ。
 そればかりか最近では日曜日にテレビをつけると1ヵ月のうち何回かはマラソンか駅伝の中継が目にとび込んでくる。
 1年間で何回マラソンや駅伝があるのかインターネット調べたら、全国会員サイト(?)で2,700回、東京都のみでも122回と あったから登録されていない市町村のマラソン大会を加えるとその数は何倍にもなるはずだ。
 東京マラソンの参加料は1万円だが仮に私の勘定で平均の参加料を5千円、1回の参加者1,000人として計算しても 2,700回で135億円の収入になる。
 聞く所によると海外での有名なマラソン大会は大体市民団体のNPOが主催し、グッズの売上や放送権料をとって ニューヨークの大会では癌撲滅運動を進めたり、ロンドン大会は毎年チャリティで数十億円を集め、参加量の半分を ユニセフに寄付するという。
 せめて日本でもマラソンの参加料の半分を銀行や悪徳高利貸に痛めつけられ、僅かな金額にしめつけられて自らの命を 絶とうとする人達の為の基金にしたらどうだろう。

我が国でも自死者の遺族や法律家が「多重債務による自死をなくす会」(代表幹事・弘中照美さん、事務局・木下浩 司法書士事務所)を設立し、自死防止と遺族支援の為のネットワーク作りを目指している所や、NPO法人「ライフリンク」 (東京都)が今年度中に全47都道府県で自死者支援など自死対策を全国で展開するためのキャラバン活動を実施する計画が あるときく。
 それに対し日本財団が活動費として年間7,500万円を助成する予定で、内閣府も協力を示しているが、7,500万円ばかりで 一体何が出来るというのだ。せめて日本全国で開催されているマラソン大会の参加料の半分を自死防止の為の基金にする ぐらいでないと効果は期待出来ない。
 ボランテイアの協力によって成り立ち、一般の道路を走るマラソン大会の経費等、馬術競技の経費からみれば微々たる ものだ。
 それにボランティアの人達も自分達の奉仕が自死防止につながると思えば、大いに働き甲斐もあるというもの。
 折角のイベントなら、少しでも社会的に存在価値を持ち、多くの市民の理解と協力を得るような 意義ある大会にすべきだと思う。
 その意味でも東京都は今回の東京マラソンの収支決算書を公表し、利益が幾らになりその使い道はこうなりましたと 一般市民に報告する義務があると思う。
 以上、東京マラソン大会のスタート風景をテレビで見た時の私の率直な思いである。

−以上−