お 土 産
(2006年12月号)

お土産 自分なりに一所懸命働いて北は北髄の札幌から南は九州福岡迄、全国に6ヶ所の支店を設け社員も70数名迄 にした会社が1985年いろいろな事情から資金繰りがつかなくなってしまった。
 然し、幸にも親会社の社長の厚意によって新会社を設立して頂き社員諸共その会社に吸収しても らったお陰で首を吊らずに済んだ。
 それから5年、慣れぬ宮仕えと諸々の心労が崇って以前から悪かった心臓の具合が更に悪化し、会社の階段の 踊場で一息入れていたら、(かね)て顔馴染の 日本設備工業新聞社の社長とばったり出会ったのが縁で、その年の5月号に「馬耳東風」を書 かせて頂く事になった。
 奇しくもその記事が最初に活字になった1990年の5月は私が満60才になった月で六十の手習いだ と思っていたら、以来何と今月号で200回を数えることとなった。

よくもよくも16年間も私の拙文を御掲載頂いたものだと、いつも関係者の皆様に感謝している。
 そして有難いことに、16年間もいろいろと書かせて頂いたお陰で話題も豊富になり、ロータリー 等での講演活動を通して交友の輪も広がり、来年は喜寿だというのに濡れ落葉にもならず意外と変 化に富んだ毎日を送っている。
 もっとも、この16年の間には危険な心臓手術を始め計6回も手術をしたり、「馬耳東風」の執筆 と同時に始めた馬の彫刻や病気の為に一時中断していた馬術も又現役復帰をはたし国際大会等にも 出場して4年前には世界ランキング82位に迄なったりと可成り好き勝手な事ばかりやってきた。
 然し、この「文章を書く」という事は「ボケ」さえしなければ何才になっても続けることが出来 る上、生涯学習にも繋がり何といっても最大のメリットは話題が豊富になって間違いなく若い女の 子に持てることだ。
 従って、今回は読者の皆様にも是非「物を書く」ということをお薦めしたいと思う。

この「物を書く」という事は、その気になりさえすれば日記でも自分史でも、その外その時々 の思い等を綴るだけでも結構楽しむことが出来る。
 又、一つのテーマを設けて論文を書くことに挑戦すれば、そのテーマについていろいろと勉強す る必要に迫られる上、起承転結も心掛けねばならず結構頭の体操にもなり又大いに暇つぶしにもな るというものだ。
 そのうえ紙と鉛筆さえあればお金はかからず死ぬまで楽しむことが出来るというもの。尚ここで 一つ御参考迄に私の経験を御披露すると原稿は必ず自分の字で書くべきで便利だということでワー プロを使う人もいるけれど私はどうしてもワープロに馴染むことが出来ない。
 その理由(わけ)は自分の書いた字には下手は下手なり に命が通っている様な気がして自分の書いた原稿用紙を見ただけで、どこにどんな事を書いたか一 目でわかり訂正するにも非常にスムーズに自分の気持ちを即座にしかも正確に表現出来るからだ。
 そして出来れば書いたものをいろいろな機会を捉えて人に見て頂くといい、人に読んでもらうこ とで文章の批評も頂けるし、又変なことが書けなくなるからだ。第一書いただけで、言い替えると インプットしただけでアウトプットしなければ自慰のようなもので生涯学習の意味がなくなってしまう。

唯、私のように母親が3人もいたり、手術を計7回もやったり、会社を2度も整理して娘達か ら「倒産トーチャン」と言われたかと思うと馬に乗ったり下手な彫刻を彫ったりと一般の人達より 可成り波乱に富んだ人生を送っている関係で順風満帆な人生を送られている皆様方と比較すると若 干話題性には富んでいるかも知れない。
 然し、一つのテーマを設定して常にそのことが頭のどこかにあると、テレビを見たり本や新聞を 読んでいると不思議とそのテーマに関係したことが出てきて、まるで砂の中で磁石を振ると、その 磁石の先端に砂鉄が付いてくるようにテーマの種が集ってくるものだ。
 又常に枕元にメモ用紙と鉛筆をおいておき何か良い考えが浮んだら、すぐにメモをするといい、 昔から考え事は「湯殿と(かわや)と馬の背の上」という けれど、意外と寝起きの瞬間に考えが閃くものだ。
 これらのことは最初のうちは面倒臭いと思われるかも知れないが我慢して実行していると、その うちにそうしないと気がすまなくなってくるから不思議なものだ。

読者の皆様もきつと今迄の人生のうちでいろいろな経験や不思議な事件に遭われた事もある と思うから、それらの事をぜひ書かれる事をお薦めする。
 殊に自分史等は自分が此の世に生きた証として御子様や御孫さん達にもぜひ残しておきたいものだと思う。
 “人生は旅”
 “人は旅をする 人は旅をしてついに家に帰る
  人は生きる 人は生きてついに土に返る”
              (英国の古い詩)
 “この旅は自然に返る旅だ 帰る処のある旅だから楽しまなくてはならないのだ
  もうじき土に戻れるのだから お土産を買わなくていいのか” (高見順)

然し、土に返る旅のお土産は わさび漬けやコケシではないはずだ。それはあの世への持参 金であり 此の世への置き土産ともなるのだ そして此の世への置き土産はそのままあの世への何 よりのおみやげにもなるはずである。
 この際ぜひ「我が人生の旅日記」をお薦めします。来年の元旦からいかがですか。
 “いつ死ぬる()()()いておく”
              種田山頭火

−以上−

 栃木県護法寺住職 中島教之 書(画像を左クリックすると拡大します)