個展に思う
(2006年9月号)

私の馬の彫刻のどこを気に入つて頂けたのか、ある美術出版社が彫刻家や絵画家約150人の 作品を掲載した美術本の出版記念企画として7月10日から14日迄、銀座の画廊で私の個展を開いてくれた。
 元来私の馬の彫刻は人様に御覧頂こうと思って創っているのではなく、唯自分の頭に浮かぶ美しいと思う馬の姿を 興にまかせて創っているにすぎず、しかもその大半は原型に仕上げた時点で欠点ばかりが目に付いて到底公開出来るような 代物ではなく、従って個展等ということは考えてもみなかった。
 然し今回は出版社からの依頼でもあり恥を忍んで今迄に創り溜めた小品二十数点を展示させて頂いた。
 そのお陰で私は改めて自分の作品と5日間の会期中じっくりと向かい合うことが出来たので、嫌な個所に人にわからない ように印を付けておいて後日それらの個所を総て直すことが出来た。
 然しそれとても又何年かすると別の欠点が目につくようになると思うのだが、今回のような機会が無ければ、それらの 作品は私の死後も作品のある限り私の恥を世問に(さら) し続けることになると思うと寒気がする。

恐らく過去何世紀にもわたつて芸術家と言われた人達は自分自身納得のいかない作品が人手にわたったり、又は美術館等に 展示されて今回私が味わったような惨めな思いを経験していることだと思う。
 又今回の個展には有難いことに常陸宮妃殿下をはじめ数多くの人達の御来廊を頂き、彫刻家の先生方から貴重な御感想や 御意見を頂いた。
 然し、所詮私の創る馬の像は馬乗りが創ったもので、馬術的にみて、どのような時の馬の姿が美しいか等ということは 彫刻家の先生達に理解されるべくもなく真の馬の美しさを芸術的に表現出来なかった自分の未熟さに歯痒い思いをさせら れた。
 それと同時に馬を知らない人に馬の美しさを理解させるということは至難の技のような気がして、詰まるところ彫刻とは 自分との戦い以外の何物でもなく、今の処私の美に対する表現力や技術カでは私の創る像は良い馬の標本の域を出ないこと に気付かされた。

又毎週日曜日の朝楽しみに観ているNHKのテレビ「新日曜美術館」では美術評論家の偉い先生達が、さも作者の気持を 正確に代弁するかの如く作品に対して解説しているが、その中の何割が作者の本当の気持ちを言い当てているか大いに 疑問だと常々思っている。
 私の未熟さのせいもあるが、馬乗りの私が作品に託した気持を彫刻家の先生方が理解し得ないと同じように、時代背景の 違う何百年も前の芸術家の気持を正確に伝えることは不可能に近いのではなかろうか。
 故に評論家たる者は、ただ一般大衆に芸術の魅力を宣伝し、美術鑑賞のサポート役に徹すべきであって、 (いやしく)も自分の意見が作者の意図する処だ等 と言うべきではない。
 美術鑑賞はあくまで個人個人が素直に感じて楽しむものであって、一例を挙げれば海に沈む美しい夕日も、その感じ方 には個人差がある上、まして外国人の青い目と我々の黒い目とではまったく違う風景に映るに違いないと思うからだ。

明るい空気を背景にパラソルをさしている若い女性を描いたクロード・モネの作品、明るい光と気持ちのよい空気と風の 存在を感じさせるこの画もファン・ゴッホのアルルの「跳ね橋」に見られる南フランスの明るい太陽のもと青く澄みき った空にくっきりと浮かび上がる跳ね橋のシルエットも彼達の青い目でカンバスに写しとった風景は絶対に我々日本人の 黒い目では見ることが出来ない。
 そこである時、私の友人の眼科の先生にその事を話してヨーロッパに行く時、青色のコンタクトレンズを頂きたいと 言ったところ、彼はコンタクトでは実際の青い目で見た風景とはならないから貴方の目を青くしてあげようと言われ、 一瞬手術してもらおうかと思ったが、一度青くすると二度と黒い目にもどらないと言われ残念ながらその試 みは断念してしまった。

美術品を見ると言う事についてつい最近、東京国立美術館でプライスターという人のコレクションの江戸時代の屏風絵や 若沖(じゃくちゅう)の絵の展覧会が開かれていたが彼の意見で、 なるべく自然の光のもとでガラス越しではなく一般に公開していたが彼の美術鑑賞方法は 流石(さすが)だと感心させられた。
 又、昔の仏像の展示等も盛んに行われているが、本来仏像は拝むもので見せるものではなく、お寺の本堂の中で自然の光 と所定の位置に立てたローソクの光の下で手を合わせてこそ、その仏像の真の価値が発揮され、仏師の願いもまたそこに ある様に思う。
 百目ローソクの(ほのお)のゆらめきによってこそ不動 明王の光背も「めらめら」と燃えあがるはずだ。

最後にもう一つ例をあげると、日本では最高の位置にある彫刻の先生から動きが無いと評価された私の馬の彫刻に、 オリンピックや世界選手権の馬術競技で最も採点のむずかしいとされている芸術点をつける世界の最高権威者のベルギーの ジャッジが抱きついて、これをベルギーに持って帰りたいと言ってくれたことがあった。
 これ等も「芸術」と言うものの評価のむずかしさを如実に物語っていると思う。
 それらのことを踏まえて中学生の頃読んだことのある岩波書店発行のトルストイの「芸術とは何か」という本を再度 読んでみたくなり八方探したが見当たらず岩波に問い合わせた所、既に廃版になっているという、所詮私は芸術には 見放された存在なのかも知れない。
 いずれにしても「芸術とは何ぞや」と言うことを改めて考えさせられた今回の個展ではあったが、唯一つ「芸術家」 という言葉は彫刻家や絵画家本人が「私は芸術家です」等と言うべきではなく、「芸術家」という言葉は、あくまでも 第三者が彫刻家や絵画家に対して尊敬の念を込めて言う言葉だと思っている。
 作者略歴
  (2001年度馬場馬術世界ランキング82位)
                                以上