盂蘭盆会(ウラボンエ)に思う
(2006年8月号)

最近「自分史」を書く人が多くなったと聞く。自分の歴史を書くことによって自分のこれ迄の人生を振りかえり、改めて 自分自身を見詰めなおすことは決して悪いことではないと思う。
 然し、もう一歩踏み込んで考えると、私達が今こうして生活していられるのは無数の人達の有形無形のお陰であることは 勿論だが、絶対に忘れてならないのが両親の恩だと思う。
 そしてその両親も又その両親のお陰で生きてきたのだから、つまる処御先祖様は総て私達の大恩人ということになる。
 私の場合は母が私と入れ違いに亡くなったので、生みの母と育ての母がいる関係で、私の祖父母は6人となるが、一般的には 先祖を20代まで遡ると、209万7,150人の御先祖様のお陰で現在の私が此の世に存在することになる。
 要するに御先祖様がいなければ自分は影も形も無かったのだから、せめて自分史を書いて自分の足跡を子供達にも伝えたい と思うなら、自分を生み育ててくれた両親や、わかっている範囲の御先祖様のことも自分史の序文にでも書くようにした いものだと思う。

有難いことに私は月刊誌「コア」のお陰で時々自分の事や先祖の事等も書かせて頂いているのでこの点出版社の皆様に感謝 している。
 思いおこせば私が毎月「馬耳東風」を書かせて頂いてから早いもので17回目のお盆の季節が (メグ)ってきた。
 昔は「盆と正月が一緒に来たようだ」等という様に、お盆の行事は新年と同じ様に日本の年中行事のうちで最も重要なもの として正月同様3日間は家事を休んで祖先の御霊を祀り、又先祖のお墓に詣でてお礼を云ったものだ。
 それが何時の間にかお正月は国民の祝日として盛大に行われているのに、国民の宗教心の薄れに伴い殊に都会ではお盆の 行事は(サビ)れるばかり、多くの日本人は心の 故郷(フルサト)を失い、人に迷惑をかけても自分さえ良ければ何とも 思わない様な人達が多くなり、殺伐たる気風が増加し、昔では考えられないような凶悪な犯罪が多発するようになってし まった。

さて、お盆といえば7月15日だが、我が家では月遅れのお盆で、まず8月13日に玄関先で孫達と一緒に迎え火を焚いて祖霊を 迎え、14,15日は霊に果物や野菜を供えて霊を慰め、16日は祖霊を送る為の送り火を焚くことにしている。
 お盆とは云うまでもなく盂蘭盆会のことで、盂蘭盆とは梵語で「ウランバナ」といい、「逆さに吊るす」という意味で 非常な苦しみを表わす言葉だといい、その苦しみを救い少しでも御先祖様の苦しみを和らげたいと行うのが盂蘭盆の 供養なのだ。
 然し、何とも皮肉なことに今から60年前、そのお盆のお中日の8月15日が日本の敗戦の日となってしまった。
 その日は忘れもしない()だる様な暑い日で、庭 の椎の木で油蝉がやかましく鳴いていたが我が家では天皇の放送があるというので、父が床の間に白い布をかけた台を置き、 その上にラジオをのせて父母子(オヤコ)3人頭を下げて敗戦の放送を 聞いたものだ。
 その2〜3日前から何か広島の方で強烈な新型爆弾が落とされたという噂が広がり、何かあるなとは思っていたが、 まさか日本が米英に降伏するとは思わなかった。

果たせるかな、その1O日前の8月5日には広島に原子爆弾が投下され14万人もの人が一瞬にして殺されたばかりか、又その 4日後に今度は長崎で何の罪もない7万人もの人達が殺されてしまった。
 人類の歴史始まって以来、この地球上で僅か2日間で21万人もの人間が殺されたという悲惨な出来事があっただろうか。
 それなのに我が家の暦は不思議なことに8月5日は「広島平和記念日」となっている、8月9日が「長崎原爆の日」と なっているのに。何故罪もない女子供が14万人も殺された日が平和記念日なのだ。
 そして、それから4日後の8月13日は月遅れのお盆のお迎え火であり、更に2日後の8月15日は月遅れのお盆のお中日で あると同時に「終戦記念日」となり、更にその終戦の日の翌日は月遅れのお盆の送り火なのだ。
 長崎のお盆祭りは日本一だと聞くが、毎年楽しみにしているお盆の行事を、この年の広島、長崎の人達はまさに 「ウランバナ」逆さ吊りに会った様な気持で迎えたことだろう。
 そして60年経った今日でも広島や長崎の人達はどの様な気持で原爆で殺された先祖の霊を慰めお祭りしているのだろう。
 敗戦の日が巡って来る度に私は何ともやり切れない思いにかられる。

然し、原爆によつて両親や最愛の子供達を殺された人達が「目には目を」とばかりにテロ集団となって進駐軍を殺していたら 今日の日本の平和と発展は望むべくもなく、日本の国そのものの存在すら危うかったに違いない。
 人間は多く過去によって生きている、過去がその人間を決定してしまうという人もいる。
 然し、「過去は過去として葬り去ろう。そして新しい良き運命を拓いて行けばいい」と志賀直哉は「暗夜行路」の中で 云っている。
 そして私達の未来は決して偶然に拓けるものではない、私達の未来は或る程度まで現在を生きる時の勇気と、事に当っての 正しい選択によって決定されるものだと思っている。
 その正しい選択を誤らない為にも私達は盂蘭盆会の日に御先祖様を偲びつつ自分自身を改めて見つめなおす意味で自分史を 御先祖様の事から書き始めてみるのも決して無駄なことではないと思う。
 今年の10月24日は明治40年に死んだ私の祖父の没後100年にあたる。皆様もお盆に「自分史」を書かないまでもせめて 4代ぐらい前迄の御先祖様の事を調べてみるというのは如何なものだろうか。
                              −以上−