安 全 運 転
(2006年6月号)

今から34年前の昭和47年3月、どこでどう間違ったのか私は大田区の東調布警察署から一通の手紙を頂いた。
 その内容は「貴殿を20年間無事故運転者」として表彰するというものだった。
 頂けるものなら何でも頂いておこう、ひょっとしてその表彰のお陰でスピード違反の1〜2回は許してくれるかも知れない と、助平根性を出して、のこのこともらいに行った。
 私の外に10人程の受賞者がいたが、その中に水泳の橋爪選手の顔も見え、皆月桂冠の中に「範」のマークの入った立派な ステッカーと表彰状を頂いた。
 それは東京都に優良運転者の表彰制度が出来た最初の年とあって、私のステッカーには警視庁第七号と誇らしげに書かれて いた。

私が運転免許を取得したのは昭和27年3月で、当時実地試験に車の持ち込みが許されていたので、知人のアメリカ人に ノンクラッチのポンティアックを持って来てもらった処、試験官も珍しがって1回でパスしてしまった。
 然し、私が最初に買った車は、トヨタのマニュアル車だったので馴れるために少々時間がかかったが、当時は今と違い道も 空いていたので何とか事故もおこさずに無事故運転者になることが出来た。
 そして私が無事故運転者と認められた根拠は免許取得の年に車のオーナーとして登録されていた為、ぺ一パードライバーで はないという証明がなされたということらしい。
 考えて見ると私が最初に車を買ってから今の車が12台目、私が今迄乗った馬の頭数よりは若干少ないが、それでも、 どの車も10万キロ以上走ったから合計すると120万キロ以上、結婚してからは妻と娘も乗ったので4人して地球を30周以上 走ったことになる。

爾来現在まで54年問、一応無事故とはいっても決して無事故無違反というわけでなく、その間のスピード違反は数知れず、 十数年前、北海道で3日間、常陸宮華子妃殿下の運転手をしたことがあったが、その際北海道警察にその旨の許可を とりに行った所、早速私の運転歴を調べられ、4〜50糎の長さの記録用紙に十数回のスピード違反が印刷されて出て来て、 危うく不許可になりかけた。
 自画自賛になるけれど、違反はしても決して事故はおこさないところに、3年前72才の時に馬場馬術選手として世界 ランキング82位にランクされたことが立派に立証されたと自惚れている。
 そして今年4月、運転免許更新通知と一緒に私にとって2度目の高齢者講習会の通知が来た。
 何分にも免許証がないと不便なので止むを得ず講習を受けに行ったところ早速シミュレーターを使っての運転適性検査を やらされた。
 その結果、私の適性は12項目総てに於いて高齢者の平均を上回り、総合的結果は高齢者の平均(2)注意を要するに対し (4)や、優れているということで(3)の普通より上だった。
 要するに私の運動神経や反射神経は若い者と比較しても何ら遜色なく、今から又馬術選手として現役に復帰しても充分に通 用するということである。

その上嬉しいことに今回はゴールド免許をもらうことが出来たが、これはこの2年間スピード違反がなかったことを意味し、 以前のように高速道路を利用して馬に乗りに行く機会が無くなったことが大いに貢献しているものと思われる。
 何故ならば2年前迄は週に4〜5回は高速道路を使って千葉や茨城の乗馬クラブに通っていたので、一刻も早く馬に会いた い一心からサラブレッドよろしく前を走っている車は総て抜くように心掛けていた為、気をつけていても自然とスピードが 出てスピード違反の回数が多くなったからである。

ところが今回私と同時に受験した老人は私を除いて5人、そのづちの3人は係官が何回シミュレーターの操作の仕方を説明 しても納得出来ず終始係官に付き添われて長時間かかってやっと検査を終了した。
 又次の実地運転検査では3人が1台の車に検査官と一緒に乗って交代で運転したのだが、その運転の危ない事、常に いらいらして急発進急停車を繰り返し、踏切の真中で気が付いて車を止めたり、ハンドルの操作も荒々しく、私は後部座席 で幾度ブレーキーペタルを踏む動作をしたかわからない。
 そんな状態でも結局老人達は教習所で合格通知をもらってニコニコしながら各自の警察署に行き新しい免許証を手にする ことになるのだ。高齢者の運転適性が平均2点、注意を要するのだというのに。

私もその日の午後、合格通知書をもつて東調布警察署に行ったが、そこにも10人程の老人の免許更新者がいて、そこでも 一応視カテストが行われ、その中の一人は視力が悪く、なかなか基準のO.7にならずに何回もやりなおしてやっと パスしていた。
 又驚いたことに耳の非常に遠い人がいて、係官が耳元で大きな声で「貴方は耳が遠いからよく注意して運転しなさい」 と言われ、ニコニコしながら「有難う御座います」と言って免許証をもらって帰っていった。
 要するに今の東京ではこんなにも危険な老人達の運転が大手をふって罷り通っているということをよくよく肝に銘ずる 必要がある。

 従って私は今回の講習会の最大の収穫は私がゴールド免許を取得したことではなく、いかに高齢者の運転が危険なものかと いうことをわからせて頂いたことだと思っている。
                            −桑原、桑原−