初めて私が馬に跨ったのが小学校3年生の秋。
それから数えて60数年がたった。
幸か不幸か最近ではヨーロッパに馬を買いに行く元気もなく、従ってこの1年間は馬術競技とも縁遠くなり、内心では
そろそろ年貢の納め時かと思っている。
そこで私は兼ねてからの夢であつた馬の「天国門」の製作に取りかかることにした。
それは、あの有名なロダンの彫刻、「地獄門」に対抗するもので、互いに戯
れて立ち上がっている2頭の逞しい若駒を中心におき、その周囲をひとまわり小型の数頭の若駒が喜々として駈けまわ
っているというもので、その姿こそが馬の一生のうちでの唯一の、そして束の問の極楽浄土だと思
い定め、「天国門」としたかったのだ。
思えば私はこの60数年間というもの常に馬を我が意に添わせるべく、騙したり
賺したり鞭や拍車で馬を痛めつけてきた。
運悪く私のような下手な男に乗られたばかりに様々な苦しみを味わってきた馬達に対し、せめてもの罪滅ぼしのつもりで
始めた馬の彫刻も今年で16年目になる。
そして私の求め続ける本当に美しい馬の姿は、人間の束縛から解放されて自由に牧場を跳ねまわる若駒にこそあると信じ、
ぞの様な馬の群像を創ろうとしたのだ。
ところが、いざ製作に着手してみると、そのような自由奔放に駈けまわる馬の姿はいくらでも創ることが出来るのだが、
その時の歓喜に満ちあふれた馬の顔がどうしても創れない。
かわりに苦悩に満ちた悲しげな馬の顔ばかりが頭に浮かんでくる。
下手な騎手に乗られて必死に私に助けを求める馬の目、拷問のような責め苦にあってチック状態になった時の馬の顔、
愛する馬と別れる時の愛別離苦
や過酷な調教師に乗られる怨憎会苦、果ては
求めるものが得られぬ求不得苦の顔等々苦悩に満
ちたそれらの馬の顔ならば容易に私には創ることが出来る。
そこで止むを得ず馬の天国門は一時中断し、やはりロダンにあやかって馬の地獄門を「忍土」という題で創ることにした。
思えば馬という生き物は、いかに血統正しい馬といえども大体2才になると家畜取引法によって、セリや庭先取引きで
母馬から引き離され、競走馬や乗馬として人間の役に立つべく調教という地獄の責め苦が待っているのだ。
又、より速く走る為に品種改良を余儀なくさせられたサラブレッドは、たしかに走ることに快感を見出し、先行する馬を
抜き去ることに生き甲斐を感じるようになったかに思える。
私もかつて御殿場の藤本厩舎のトレーニングセンターで私と同じ年令の藤本勝彦氏とサラブレッドに騎乗して併せ馬
(2頭以上の馬で並んで攻め馬をすること)を2年程経験したことがあるが、たしかに全身の筋肉をバネの如く使って
気持ち良さそうに馬なりで走路を駈ける馬から私は間違いなく今彼は無上の幸福感を味わいながら走ってい
るに違いないと感じたことが幾度もあった。
然し、一度レースに出場すれば目の前をゆく馬
を抜こうというサラブレッドの本能は目覚めても第四コーナーを過ぎてからは、疲れていようが息切れがどんなに
激しかろうが鞭の雨が待っているのだ。
やはり馬にとって此の世(此岸)は人間以上に忍土なのだとつくづく思う。
馬の楽しげな顔を幾通りか創ろうとした時ためしに人間の感情からくる楽しげな表情には、どの様なものがあるだろうかと
考えてみた。
すると喜怒哀楽のうち喜楽では、満足、感動、喜び、笑い、楽しみ、希望、安心、愛、誇り、等が浮かんでくるが、
その反対の怒哀では怒り、悲しみ、泣く、涙、感傷、不満、苦しみ、悩み、憂い、不安、絶望、失望、憎しみ、恨み、
嫉妬、恐れ、驚き、あきらめ、さびしさ、羞恥、退屈、煩悩、執着、迷い、等という言葉が次から次へと頭
に浮かび、その数は前者の3倍にもなった。
これはまさしく此の世が忍土であることの証のように思えて我ながら驚いてしまった。
仏教の開祖、釈尊は此の世に住む私達人間の一生は苦しみに満ちているけれど、然し幸いなことに私達人間はこの現実の
姿をしっかりと認識した上で、それらの苦しみを超越した悟りの世界をめざすことが出来ると説いている。
然し、忍土に喘ぐ馬にとって此の世はまさしく逃げ場のない地獄なのだ。
結局私は、苦しみの表情を浮かべながら、じっと耐えている馬の頭部のみを5体組み合わせてローマの広場によくある
噴水の雛形を創り「忍土」とすることにした。
忍土の忍は「この一字を実行することが、すべての事を立派に成し遂げ成功させる第一の要件だ」と聞いたような気が
するが、今の私には「なる堪忍は誰もする、ならぬ堪忍するが堪忍」という言葉はどうも気にくわない。
何故ならば、その堪忍袋の中に癇癪玉
の入っていない堪忍袋等唯の意気地なしのように思えるからだ。
生殺与奪の権を握っている馬の飼い主に対して時として馬でさえ敢然と反抗する時がある。その様な時私は即座に自分
のとった行為を反省するようにしている。それが可哀相な馬へのせめてもの償いだと思うからだ。
私のことを良く知る人達は、私の前世は馬だったに違いないと言う。
私も時としてそうかも知れないと思う時もあるが今回「忍土」を創りながら正直な話し、この世がいかに人間にとって
忍土であろうとも、やはり私は馬には生まれたくないとつくづく恩った。