六 星 照 道
(2006年3月号)

六つの星とは点字を構成する六つの突起のことで、点字は三点・二行によって国語・漢字の 区別なく表音的仮名遣いを読みとることが出来ます。
 視覚障害者の人達の、自分で本を読みたい、文字で自分の心を伝えたいという切なる願いに応え て考案されたこの小さな六つの点は、その人達に光を与え、そして生きる力をも与えているのです。

昭和27年私が大学を卒業して就職した会社の2年先輩に菅沢さんという人がいました。
 然し、彼との付き合いは私がその会社にいた10年間だけで、以後はまったく音信が途絶えていました。
 ところが今から数年前、以前勤めていた会社のOB会が年1回開催されることになり、その席で 久し振りに菅沢さんに会う機会を得たのです。
 聞く所によると彼は定年後ボランティアとして点字を習い、既に300冊もの点字本を点字図書館 に寄贈しているというのです。
 何故彼が点訳をするようになったのか、その経緯を尋ねると、彼の実兄で元大成建設の社長、会 長を歴任された故・菅沢秀夫氏が79歳の定年を機に通信講座で点字を学び、亡くなるまでの10年間 に230冊もの点字本を作成し、その兄の志を継いで彼も立点字を習い点訳を始めたとのことでした。
 その彼が、何と私の「馬耳東風」を点字本にして視覚障害者の人達に読ませたいというのです。

私の拙い文章が少しでもお役に立てばと思い早速今まで出版した3冊の本を彼の処に送りました。
 暫くして、その3冊の本は十数冊の点字本となって点字図書館に設えられ、嬉しいことに結構評 判が良いらしいのです。
 それ以来、本になっていない5年分のエッセイと毎月書いているエッセイをその都度菅沢氏に送 り点字訳をして頂いておりましたが去年の暮れに菅沢氏から私宛に点字の手紙が来て、ぜひこの手 紙の内容を西村さんに伝えてほしいとのことだとの電話がありました。
 結局その手紙は盲導犬と一緒に暮らしている或る御婦人からのもので、私の書いた犬に関する2〜3の エッセイに非常な感銘を受けたという意味のものでした。
 彼女は小学校6年生の時に失明し、このように4頁にわたる長文の手紙を書いたのは5年振りの 事で、約4時問かけて書いたともありました。

私が所属している財団法人・日本彫刻会が主催する日彫展(上野の東京都美術館)に毎年私が出品する馬の彫刻は、 私の希望で常に視覚障害者が手で触ってもいいというコーナーに陳列し、毎回何人もの視覚障害者の方々に 「馬って、こんな格好をしているのだ」と興味深く触って頂き、少しは目の不自由な人達のお役に立っているのだ と思っておりました。
 そして今から数年前、視覚障害者の創った塑像が数点、特別に日彫展に展示されたことがありました。
 その作品を見た時の驚きを私は今でも忘れることが出来ません。
 その力強い表現力、心の目で見ることの恐ろしさを痛感させられたからです。
 以来私は視覚障害者の人達が、どうしたらあの様に力強い作品が作れるのか、どうしても聞いて みたい、ひょっとして私は「心(ここ)にあらざれば視 れども見えず、聴けども聞こえず」の類なのかも知れないと思っておりました。

目がちやんと見えているのに物の本質が掴めないのは何故なのか、大変に失礼なこととは知 りながら私は菅沢氏に頼んで神奈川の市川点字図書館を尋ねました。
 そこの館長、大窪さんは4才の時失明され、その後独学で明治学院大学英文科を卒業、昭和48年、 全国で初めて行われた地方公務員の点字試験に合格し、東京都福祉局に25年間奉職後、自費で現在 の図書館を設立したのだと言います。

図書館設立の目的は、せめてこの図書館を「駅前の本屋さん」程度の本を揃え、視覚障害者 の方が、その中から自由に好きな本を選べるようにしたいと考えたからです。
 本屋に入って好きな本が選べる、私達にとってそんな簡単な事が視覚障害者にとっては非常に難しいことなのです。
 だから、それらの人達に選べる選択のチャンスを一つでも多く与えてあげたい、それが視覚障害 者を幸せにすることなのだと彼は云います。
 更に彼は、だから目の見えない自分が一人でも多くの点訳者を育成し、一冊でも多くの本を揃えたいと点字図書館を 営む傍ら精力的にボランテイアの点訳希望者を募集し、通信講座を設けて点字を教えているのです。
 二宮町の彼の図書館の一室で私は失礼とは思いながら視覚障害者の人達が、どの様にして一日一日を過ごされているのか、 何故あの様に力強い彫刻が創れるのか、その外疑問に思っている事をいろいろと尋ねてみました。

彼の一日はまず朝のニユースを聞くことから始まるのだそうです。そして自分の心の中にカレンダーを作ると同時に 身体の中に体内時計をつくり、今は昼、今は夜というように常に時間を合わせているといいます。
 そして毎日自分に出来そうな目標を設定し、それを一つ一つ着実に実行し、その都度自分なりの成績をつけると同時に、 一日のうちに感動したことが幾つあったかを寝る前に考え、明日はもっと 多くの感動を味わうように努力しようと思うといいます。
 今朝起きたら庭で鳥の鳴き声を聞いた、何と良い声だろう、あれは何という鳥だろう、きっと羽の色はこんな色の鳥 ではないだろうか、と。
 そして良いことだけを思い出すようにして悪いことは総て忘れて楽しく眠一りにつくことが幸せの秘訣だといいます。
 更に彼は云います、視覚障害者の寿命は記憶力との勝負だと。
 どこに何を置いたか、この部屋はどこに柱があって、どこに机があつたかと常に真剣に記憶の中に止めるようにする為、 視覚障害者にボケる人は少ないといいます。きっとボケるのはどこかその人に心の緩みがあるからなのかも知れません。
 然し、視覚障害者の中にも逆境に立ち向かう勇気のない人、努力しない人、そして何の目的もなく唯漫然と日を送って いる人達がいるけれど、その人達の毎日は悲惨なものです、と。

然し、そう私に語りかける彼の顔は勇気に満ちて輝いていました。
 その性能は若干落ちたりと言えども、私はまだ目も見える、耳も聞こえるし手も思い通りに動く、 今の私に何の不自由もない、勇気を出してやろうと思えば何にでも挑戦出来る。
 大窪館長のあの勇気と情熱があれば不可能なことは何もない、彼から勇気を頂いた私は、暖かくなったら世田谷の馬事公 苑を案内して私の馬の彫刻と生きた馬を思う存分触って頂く、そんな約束をして暗くなりかけた点字図書館を後にしました。
 彼は最後に深刻な悩みをもつ人の勇気を奮い立たせるのには馬券を買うのが一番だ、私は単勝オンリーで30年間も買い続 けていて結構採算がとれている、と笑いながら云いました。競馬好きの皆様、一つ今年は目をつぶって「エイ・ヤッ!」と 馬券を買ってはみてはいかがなものでしょう。

註、表題の「六星照道」は日本点字の父、石川倉次氏が好んで用いた揮毫です。