相撲取りは髷を切れ
(2005年12月号)

好い加減外国人力士によつて掻き回された今年の大相撲も、やっと終った。
 何故あのようなつまらないものに大相撲等と大の字をつけるのか、2年程前から私はテレビの相撲中継は絶対に見ない ことにしている。
 運悪くテレビをつけた途端に相撲が映ると瞬時に目を閉じて違うチャンネルに切り替えてしまう。
 何故ならば、最近の相撲は醜さのみが目立って日本古来の美しさ、奥ゆかしさを微塵も感じることが出来ないからだ。
 勝てばいいといわんばかりの卑怯な立ち合いの醜さ汚さはどうだ。
 制限時間いっぱいまでダラダラと無意味な仕切りを繰り返したあげくの「待った」や「お返し待った」、そのうえ砂に 指先が触れたか触れないか、高速カメラでも判断しにくいような立ち合い。
 何故、正々堂々と両の拳をきっちり土俵につけて双方同時に立ちあがるように厳しく指導しないのか、数ある格闘技の中で 最も卑怯で醜い立ち合い、それが武士道の国、日本の国技であっていいのだろうか。
 それにしても日本人関取の意気地なさには目を覆いたくなる、そのうちに三役揃い踏みで土俵上の日本人は行司だけに なってしまうことだろう。

それはさておき、私は年に数回孫達をつれて品川のホテルの一定料金で食べ放題というバイキングに行くことにしているが、 1年半程前、若い褌担(フンドシカツ) ぎが数人浴衣に下駄履き姿でガタガタ、ガタガタ大きな音を立てて入ってきて、料理の前に並んで立ちはだかり、 その場で立ち食い。食うわ食うわ散々飲み食いした挙句、肩を聳やかして帰っていった。
 あまりの傍若無人さにホテルの食堂の主任に「塩を撒いて早々に追い帰せ」と言ったが、あれでも一応お客様ですからと すまなそうな顔をしていた。
 おかげで、私をはじめ居あわせた客達は皆大変に不愉快な思いをさせられた。
 それから約半年後、今度はテレビでお馴染みのK1の有名な外人選手が2人、マネージャーや付き人を数人つれて同じ バイキングで食事をしていたが、先の褌担ぎとは対象的に自分達の席で静かに礼儀正しく食べていた。
 相撲部屋の親方は人間として最低限の行儀作法も教えず、相撲だけを教えていればいいというのか、そんなことだから、 あのような汚い立ち合いをしても何とも思わない人間になってしまうのだ。

相撲の歴史は古く日本神話の国譲りの伝説によれば、天孫族と出雲族の代表、 建御雷神(タケミカヅチノカミ)建御名方神(タケミナカタノカミ) の2人の神族が正々堂々の力くらべによって外交交渉を決したのが相撲の原型とされている。
 又、御存知、日本書記には垂仁(スイニン) 天皇の御代野見宿禰(ノミノスクネ)当麻豚連(タイマノケハヤ) が相撲をとり、前者が後者を踏み殺したという話も残っている。
 今の日本人の関取に道場荒らしの外国人を撃退する闘志のある男は残念ながら一人もいない。
 それどころか彼らはその気概の無さ、根性の無さに於いては今の日本女性と比べて遥かに劣っているようにも思える。
 そのくせ大阪府知事が女性であるというだけの理由か又は女性に対するコンプレックスの為なのか何故か土俵にあげない 相撲界、そんなに日本古来の伝統を重んじて格好をつけたいのなら、せめて日本人の関取も大和魂をもって、もう少し男性 的な相撲を取ってみてはどうだ。
 相撲は日本の国技であり、すわる民族特有の足腰の強健な日本人が発達させた伝統的な力技ではなかったのか。
 そして鎌倉時代には相撲は武士の練武の基本となっていたからこそ、行司は 素襖鳥帽子(スオウエボシ) に小刀を手挟(タバサ) み戦国時代の武将が用いた軍配をもって力士を裁き、力士も又髭に(ミツ) をしめ(サガ) りまでして力技を競うのだ。
 又、神聖なものとされている土俵には神明造りの屋根を頂き、青竜・朱雀・白虎・玄武を表す四色の房で四季を 象徴し、瑞雲を示す水(瑞)引幕まで張っているというのに、その下で役相撲をとり土俵入りをするのが紅毛碧眼の異国人 であってもいいのか。
 先場所大いに土俵を賑した琴欧州は日本の女の子に大もてで、テレビでも新聞でも相撲人気を盛り上げる意味で外人力士 の活躍を大いに宣伝し期待しているというではないか。
 そのような事が許されていいのか、私にはどうしても合点がいかない。

大相撲の外国出身力士は9月の秋場所番付によれば12カ国59人、そのうち月給百万円の出る十両以上の関取は13人、 来場所から鶴竜が加わると総関取数70人の2割が外国人ということになる。
 現在でも2割の外国人にいいようにかきまわされているというのに、「日本の関取は弱い、日本に行って相撲をとれば、 たんまりとお金が稼げる」。
 朝青龍の年収は2億円、入幕わずか7場所の琴欧州は2,500万円、琴欧州の活躍によつて「稼げる大相撲」を合言葉に 今後モンゴル勢に加えて東欧勢の力士志願者が雪崩を打って来日するのは火を見るより明らかだ。
 それによって相撲部屋は後腐れのない外国人力士を鍛えて関取にでもなれば部屋の収入も増加して万々歳という処か。
 いずれ近い将来、紅毛碧眼の力士が関取の半数を占めることになるだろう。日本人半分、外国人半分の両国で は酒落にもならない。
 又、紅毛碧眼の力士の髷と褌姿は絶対に似合わない、猿芝居のような外人力士を国技館の土俵の上で相撲をとらせては いけない。
 歌舞伎十八番の助六や勧進帳の弁慶や義経、与話情浮名横櫛の切られ与三や南禅寺山門上の石川五右衛門が紅毛碧眼で あっていいのか、想像してもらいたい。恐らくその様な歴史を踏みにじるような行為を今の歌舞伎は許すはずがない。

然るに現在の相撲協会やマスコミはそれを大いに奨励しているきらいがあるから (タチ)が悪い。
 このような事態を嘗ての相撲ファンとしてはどうしても見過ごすことが出来ない。
 従ってそのような見苦しいことになる前に今の力士は髷を切りパンツの上から揮をしめ審判の合図でSUMOUをとればいい、 唯その場所は絶対に両国の国技館であってはならない、何故ならば最早それは国技ではないからだ。
 現在の国技館で従来通りの相撲をとるのは淋しい限りだが社寺建築や道路補修等の資金集めの為の勧進相撲だけに限定 する以外にない。
 それとも今後外国人を総て土俵の上から追い落とすという目標をかかげて日本人を鍛える相撲部屋が生まれるというなら、 今の相撲界を見直してやってもいいが、まあそれは望み薄というものだろう。
 横綱審議会も横綱の事ばかり考えないで今後の相撲界の事も真剣に考えてみてはどうだ。

そして最後に一言。
 その様に腑甲斐無い相撲界でも以前横綱に推挙されたことを告げる使者に対し、紋付羽織袴に威儀を正し、その責任の 重大さを自覚して真剣に決意を述べる若い新横綱にはいじらしいものがある。
 選挙に当選して有頂天になり日本の国民を幸福にするという重大な使命や、今迄の公約等総て忘れ、これで甘い汁が 吸えるとばかり大きな達磨に目を入れて万歳万歳と馬鹿騒ぎをする先生方とは大きな違いがあると思えるのだ、正 に世も末と言わざるを得ない。