悪貨は良貨を駆逐する  (グレシャムの法則)
(2005年10月号)

月刊誌に時事問題をとりあげる事は、その話題が活字になる頃には往々にして世間一般の熱が (さめ)めていたり、又四囲の情勢に変化があったりするので 私は今迄あまり書いたことがなかった。
然し、今回の第87回全国高校野球選手権大会で連覇の偉業を達成した駒大苫小牧高校での野球部長の暴カ(?)行為問題 については、どこか釈然としないものがあるので、敢えて私なりの意見を述べようと思う。
 この問題が毎日のように新聞やテレビを賑わす事件に迄発展した経緯については新聞記事のみを見て推測する以外になく、 その件について私が意見を述べるのは非常な冒険のようにも思える。
 然し敢えて意見を述べたくなったのは私も以前高校の馬術連盟会長として、いろいろと考えさせられた事があったからである。

この事件について私の知る限りでは高校側が唯ひたすらに被害部員(?)とその父親や日本高野連に対して謝罪を繰り返し、 その許しを請うばかりで、この事件についての他の野球部員やその父兄の意見を掲載した記事を新聞紙上で見た記 憶はない。
 一方、殴られた部員の父親は何故自分の子供が殴られたのか、その理由を(ただ) しもせず、全く一方的に学校及び野球部長への非難を繰り返している。
 挙げ句の果てに優勝旗の返還や秋季大会への出場を辞退する必要なしとの高野連の結論に対し、精神的に一番ダメージを受けた 自分の子息が、この処分で良いと言ってくれたので私の気持ちも落ち着いたと言ったとか。
 この問題が連日の如く新聞記事になり、又テレビニュースで報道され、優勝が取り消されるかも知れない、秋季大会に出場出来ない かも知れないと心配し、一番精神的ダメージを受けたのは、厳しい練習に耐え抜き見事全国高校野球の頂点に立った野球部の 部員達ではなかったのか。

部員一同が一丸となつて真剣に毎日の練習に取り組んでいる最中、エラーをしてもにやけ顔をして白い歯を見せてニヤリと笑い、 注意したら反抗的な態度を取ったり、又暑さ対策として食事は最低三杯は食べようと部員全員が固く約束した にも拘らず、その約束を何の断りもなく破棄して三杯目を誤魔化して少ししか食べなかった部員、これらの行為は団体戦を戦う 選手達には絶対許される行為ではないはずだ。
 しかるにその様な意味の記事や報道は寡聞にして知らず、唯何発どの様な形で殴ったかという行為のみを大々的に取り上げている。
 団体スポーツでの一人のちょっとしたミスや団体行動を乱す怠慢な態度は、野球部全体の空気を濁すばかりか、全員の士気を ()ぎ、ひいては勝負にも大いに関係する絶対に許されるべき問題では ない。

だからといつて、その様な卑劣な部員こ対し手を挙げる事も許されることではないが、若い野球部長は野球部を強いチームに育てたい 一心から恐らく他の全部員の気持ちをも代表して止むに止まれず殴ってしまったに違いない。
 恐らく常日頃から幾度言葉で注意しても一向にその態度を改めようとしない部員に対し若気のいたりとはいえ、日頃の欝憤が一気に 噴出してつい手が出てしまったのだろう。
 確かに殴った部長も悪いが、今後の対策としてはまず殴った理由を世間に正確に公表した上で、殴ったことについての謝罪と同時に 今後の野球部の更なる発展の為に、その卑劣部員を退部させることだ。
 そして今後の野球部の入部届けには「万一野球部内の秩序を乱し、又不真面目な行動をとった場合には即刻退部させられても 一切異議の申し立てはいたしません」と親から一筆をとっておくことだ。
 私は学校や野球部長が謝らねばならないのは、むしろ野球部の他の部員達であって、決して卑劣な部員やその父親ではないと思う。
 否、今回の事件で野球部の他の部員達に謝らねばならないのは卑劣な息子を育てた父親にある様に思えて仕方がない。
 「この親にして、この子あり」だ。
 今回の事件の結論が世間一般の常識として通用するのなら、座禅を組んで修行している人を 禅杖(ぜんじょう)で打った禅僧は即刻お寺から謹慎処分を受けねばなるまい。

馬の調教には鞭と拍車は欠かせない道具である、然しそれ以上に欠かすことの出来ないものは愛馬が調教師の指示に従った時の 心からの愛撫と角砂糖等の御褒美なのだ。
 要するに言葉の通じない馬の調教には飴と鞭が必要なように、幾度言葉で注意しても聞こうとしない生徒に対しては或る程度の 鞭と拍車が必要なのだ。その鞭が退部という処分になるのか又は退校であってもそれは仕方のないことだと思う。
 「悪貨が良貨を駆逐させない為に」。
 又、この事件がこれ程迄にニュースになったのには学校側の対応のまずさがあったからだとは思うが、改めて私は高校野球に 対する世間一般の関心の強さに驚かされると同時に現代の教育機関としての高等学校のあり方に一部疑問を感じずには いられない。

高等学校の目的は唯一つ、立派な杜会人を一人でも多く世に送り出すことだ。その為の教育機関であることを肝に銘じ教育に携わる 人達はその目的を少しでも阻害する行為に対し、その相手が何者であれ断乎阻止する義務がある。
 然るに一部高校では将来プロ野球選手を夢見て野球が強いと評判の高校に入学して来る生徒を3年間野球漬けにして訓練し、 又それを良しとして我が子をプロ野球の選手にすべく側面より全面的に援助する父兄達がいると聞く。
 高校は断じて将来のプロ野球選手を育成する学校ではない。千葉県の白井(しろい) にある競馬の騎手を養成する為の競馬学校とはわけが違う。
 然もその競馬学校でも立派な社会人になる為の教育は決して怠ってはいない。

又、高校野球を学校の知名度を上げるための格好な材料と判断し、チーム強化の為にプロそこのけの全国的なスカウト網を (めぐ)らし、野球の名門校、野球の強豪校であることを全国に宣伝して 憚らない高校、又それを黙認している関係者達。尚その上、どこかの市町村の高校が優勝でもしようものなら全市、全町村をあげて 祝賀気分に酔い痴れて感謝状や表彰状まで授与する役人ども、どこか狂っていると思うのは私だけなのだろうか。
 高校の馬術部に入りオリンピックを目指したいと言う生徒やその父兄に対し、私はいつも、それなら即刻その高校をやめて ヨーロッパに留学して有名な馬術選手のいる乗馬クラブに入りなさい、何時でも紹介状を書きますからと言ってきた。
 その結果、一部の学校の先生達と意見が合わなくなって3年程で会長を辞めさせて頂いた。
 然し私は今でも私の意見が正しいと信じている。学校はその語源を「孟子」に由来し、その由来の姿は「知育」「徳育」「美育」を 目的とする所なのだ。
 そしてこの三つを満足させる為に後に「保健体育」が追加されたにすぎないことを教育関係者はよくよく肝に銘ずる必要がある。