自 己 責 任
(2005年9月号)

  60 年に及ぶ馬術の競技生活の崇りか還暦を過ぎた頃から長い間立っていると足が痺れて耐えられなくなってきた。
 ちょうどその頃、等身大に近い馬の銅像を数基創らねばならぬ時だったので、早めに治しておかないと仕事にも支障をきたすと 思い、行きつけの大学病院でMRIを撮ってもらった。
 然し、その結果は特にどこといって悪い箇所は見当たらないというものだった。
 仕方がないので市販のコルセットをきつく締めて何とか凌いできたが、つい最近引越しの為に重い物を持って何日も腰に負担を かけたのが悪かったのか、一日に何回も両足の付根に激痛がはしる様になってしまった。
 そこで止むを得ず再度前回と同じ病院でMRIを撮った所、今度は第四腰椎がつぶれているのがわかったが、医師の診断では 下手をすると車椅子になるので手術は薦められないと言う。
 どうしたものかと悩んでいたら、良い按排に私の彫刻の先輩の実家が高崎で義足やコルセット製造の草分けで、社長でもある 先輩のお父上が、その道の策一人者だということがわかった。
 早速MRIを持って相談に行こうと思ったが、念のためその社長の紹介で脊椎専門の有名な整形外科医に診てもらうことになった。

そこで日を決めてその先生に診て頂いた所、こんな手術は朝飯前で今迄に貴方のやった6回の手術に比べたら比較にならぬ程 簡単だという。
 ところが、その病院でのレントゲンの結果第四腰椎の外に第三頸椎もつぶれているから近いうちに箸を持つ事も出来なくなると 脅された。
 そう言われてみると、何年も前から肩凝りと右腕の痺れがひどく、今にも首がコロリと落ちるのではないかと思うようなことが 何度かあった。
 従って、あまり危険のない手術なら、腰椎の手術のついでに頸椎の手術もやってもらおうかと一度は考えてみた。
 然し今迄に私のやった手術は自慢じゃないが
 1.僧帽弁閉鎖不全による腱索断裂の形成手術
 1.内痔核手術(2回)
 1.盲腸炎→腹膜炎手術
 1.前立腺肥大手術
 1.尿道閉塞手術
 で手術については慣れっこで何の恐怖心もないのだが、今回だけは手術はパスして取り敢えずコルセットを作って頂き、 しばらく様子をみる事にした。

その理由(わけ)は、成功率50%と言われた危険な 心臓の手術の時でさえ、万一手術に失敗しても割りをくうのは私だけで、残された家族にとっては私の生命保険は入るし、 馬を買ったり彫刻を創ったりと無駄遣いばかりしている男がいなくなるのだから、家族の迷惑になる心配は全くなく気楽に 手術も出来た。
 然し、腰部と頸部の脊椎管狭窄症の形成手術は生命には危険のないものの、前の先生の言うように、万一車椅子ということに なってしまっては、間違いなく家族の厄介者になってしまう。
 その上、今迄やった手術では首の下から腹を通って肛門まで切ったことになり、更に背中から首の後ろまで切ったとあっては、 私の身体は、「ぐるっと廻って山手線」ということになってしまう。
 何と因果なことかと思ってみたものの、今迄の手術や今回の2個所の狭窄症は、もとはといえば60年間も馬に乗り続けた報いに 違いなく、根本的には私の身体の材質が粗悪だったのが原因なのだから、自業自得と諦めざるを得ない。

然し、今迄の6回の手術のうち、明らかに2回は医師のミスによって危うく死にかけたことがあったが、その結果、仮に一命を落とした としても、私には病院や医師を恨む気等はさらさらなく、家族の者にも決して病院や医師を訴えたりはするなと言ってきた。
 何故なら、そのような未熟な医師や病院を選んだのは他ならぬ私自身なのだから医師や病院に悪意のない限り「自己責任」と 割り切るべきだと私は思っている。

仏教では人間の行為を(ごう)(カルマン)と言 い、カルマンとは梵語で「なにかをする」という意味らしい。
 又その業の中で自分が自分の力でできる行為を「自業」といい、自分自身の力ではどうにもならない行為、即ち自分以前の過去の 世界からすでにきまっている業を「宿業」という。
 そして私たちは、その自業と宿業との結びつきの結果、新しく生まれた「新業」によって行動をおこし、日々を過ごしていることになる。
 従って私は過去6回の手術を「自業」によって選択し、「新業」によって幸いにも今迄生かさせて頂いたということになる。
 そして私は現在75才、やっと人生の序幕がおりたばかりなのだ。
 これからやりたいことが山ほどある。
 日本人の男性の平均寿命は78.64だというから、あと3〜4年はあるのだが、車椅子になったのでは、やりたいことの十分の一も 出来なくなってしまう。

以上のような理由(わけ)で私は取り敢えずコルセ ットをつけて家族の者達に迷惑のかからぬよう、やれるところ迄頑張ってみようと決心した。
 唯、私の唯一の楽しみでもあり、生きる為の原動力でもある馬術競技への出場を諦めざるを得なくなったことについては、 何たる不幸かと天を怨んでみたものの、これとても「自業自得」ならぬ「新業自得」(?)と諦めて、これからは彫刻一筋 に情熱を燃やすことにしようと心に定めた次第である。