米 騒 動
(2005年6月号)

話しは7〜8年前こ遡る。  或る日突然、娘婿から電話があって、緊急用の食糧品をいろいろと買い揃えたのでお送りしますと言ってきた。
 当時、世間では近いうちに大飢饉がおきる等という噂が誠しやかに囁かれていた時だったので、 有難う御座いますとお礼を言って電話を切った。
 ところがその次の日、何と2屯トラックに山積みされた食糧品が届けられた。
 幸い我が家には地下室があるので取り敢えずそこに運び込んでもらったが、その量は半端ではなく、米等は「こしひかり」の 玄米が30キロ入りの紙袋で30袋、その他いろいろな缶詰めやスープ等があって未だに積みあげられた後ろには何がある のか定かではない。
 それ以降、缶詰めやスープは徐々に減ってはいるが玄米だけは一向に減る気配がない。
 それもそのはず、我が家は老夫婦2人きりで朝はパン、昼はコンビニの弁当か握り飯で夜はお米のジュースに酒の肴が少々 あれば充分なのだ。
 世間の噂通り、この地に異変でもあれば頂こうと思ってはいるが幸か不幸かいまだにそのチャンスがない。

そうこうしているうちに地下室にはお米当ての「ネズミ」が住みついて家の中を我が物顔に走りまわる始末。
 何とかしなければと娘婿には悪かったが、大田区の田園調布出張所に出向いて所長さんに大田区の老人福祉施設にでも 寄付させて頂けませんかと申し出た。
 早速、お米の保存状態を見にきた所長さんは有難う御座いますと最敬礼をして帰っていった。
 やれ嬉しや、これでネズ公の被害から(のが)れるこ とが出来ると思っていたら、次の日所長さんが面目なさそうな顔をして誠に申し訳ありませんがと丁重に断ってきた。
 理由を聞くとその米を食べたお年寄りが万一食中毒にでもかかったら大田区の責任になるというのだ。
 それなら多摩川の河川敷にブルー・シートを張って大勢のホームレスの人達がいるからどうですかと言うと、わかりました 相談してみますと言って一たん帰ったが、2〜3時間程してやっぱり駄目でしたと断わられた。
 理由は老人施設の場合と同じでホームレスの人達が食中毒にでもなったら区として責任をとらねばならぬとの事だった。
 私が炊き出しをやって雑炊でもお作りすれば食べて頂けるかも知れないが、それを実行する程の 情熱の持ち合わせは今の私にはない。

止むを得ず、勿体無いが雀にでも食べてもらおうと試しに一袋だけ庭に撒いてみた。
 一日目は何の変化もなく、広くもない庭はお米で白くなっていたが、二日目の明け方、水道の蛇口がこわれて一気に水が 噴き出したかと思える程、シュシュシュと唯ならぬ音にたたき起こされた。
 何事かと思って庭を見ると、どこから来たのか庭中が雀だらけで、樹という樹にも雀が群れていてザワザワザワザワまるで 台風の時の様に枝が揺れている。
 日が経つにつれて名前のわからない鳥達までが来るわ来るわ、種類によって優先順位がきまっているらしく、大きな鳥達が 食べているのを小さな鳥達はじっと樹の上や隣りの家の屋根の上で辛抱強く待っている。
 一瞬、ヒッチコックの「バード」を思い出したがお陰で庭石は鳥の糞で真白になってしまった。
 30キロー袋でこの有り様だから全部撒いたら大変な事になると思い、残念ながらそれ以降毎日少しずつ撤く事にしたら雀が 数羽ずつ朝と夕方来るようになって、なかなか良い眺めになった。
 ところが、つい一週間程前、上野の東京都美術館で日彫展があり、私も出品している関係上、久し振りに上野の山に行った処、 公園では鳩に餌をやると雛が生まれて増えてしまうので絶対に餌をやらないで下さい、という立て札があちこちに立 てられていた。
 そう言われてみると、たしかに上野動物園の正門前の広場には一年前より鳩が少なくなっており、烏も又都知事のお陰で 少なくなったようだ。
 そうしてみると無闇に雀にお米をやるのは考えもので、焼鳥屋を開業するならともかく第一近所迷惑でもあるし、程々に しなければと反省した。
 やはりお米と一緒についてきた家庭用の精米機で少しずつ我が家で消化するしか手は無さそうである。

戦中戦後、育ち盛り、食べ盛りの少年時代に食べるものはといえば薩摩藷か南瓜ばかりという経験のある者として、当時の事を 思い出し、つくづく勿体無い事だと思うと同時に、ユニセフの推計によれば、未だに世界22億の子供の半数は貧困に喘ぎ、 途上国の3分の1は家にトイレもなく、又その5分の1は安全な水も飲めないというのに、こあ地球はどこか狂っているような 気がしてならない。
 そして何となく10年程前のベストセラー、中野孝次著「清貧の思想」を思い出し、再度読みなおしたりしている。
 “一握りのお米をいただいて日々の旅”
 “一つあれば事たりる鍋の米をとぐ'”
 “食べただけはいただいて雨になり”
 “いただいて足りて一人の箸をおく”

(山頭火)