長崎崎県島原の児童養護施設、太陽寮の寮長唐津氏とお付き合いをさせて頂くようになってから、かれこれ20年になる。
その太陽寮は戦後間もない昭和23年1月、主に戦災孤児の救済事業として設立されたが、現在では家庭に恵まれない約70名
の子供達が仲良く共同生活を営んでいる。
そして唐津氏の報告によると、今年は4名の高卒者と3名の就職者を出す事が出来、更に九州最大の難関校国立九州大学
工学部に入学した若者もいるという。
その太陽寮から毎年きまって送られてくる「ぼくらの願い」という寮生達の作文集によると、小学生の作文では夢と希望や懐かしい
思い出等が綴られていて何とも微笑ましく、又中学生は将来の夢を叶える為に希望の高校に進学したいという青春の思いが、
ひしひしと伝わってくる。
そして高校生ともなると実社会に出てゆく心構えや立派な社会人になるのだという力強い決意表明がうかがえて、その成長振りが
伺える。
様々な境遇のもとで育ち、辛い事、悲しい事、惨めな思い等を数多く経験したであろう子供達、その結果一度は家出や非行に走った
こともあるに違いない。
それなのに、この子供達が皆一様に作文を通して明るく前向きの強い意志を持ち、自分自身を素直な気持で見つめつつ、施設や
学校など周囲の人達への感謝の気持ちを持ち、将来は世の中の役に立つ人間になりたいと一所懸命に努力している
姿を見る時、自然と目頭に熱いものが湊んでくる。
毎日のように子供達の非行、校内暴力、登校拒否、無気力症、引きこもりやいじめ、果ては窃盗や殺人等と暗いニュースが新聞紙上
を賑わしているというのに、何故か太陽寮の子供達の作文からはこれらの暗い影を感じることはない。
それどころか「誰が選んでくれたものでもない、自分で選んで歩き出した道だ、間違いだと気付いたら自分で正しい道を歩んでゆこう」
と強い意思表明をした子供もいて頭の下がる思いがした。
その秘密は一体どこにあるのだろう、そして太陽寮での生活とはどの様なものなのか、ひとつここで子供達の作文の一部を披露させて
頂くことにしよう。
まず、小学校4年生の男の子は、「学校からかえってきたら、まず大きな声で『ただいま』といいます。すると必ず先生が『おかえり』と
いってくれます。本当にふつうの家ってこんなものなのなのかな。
ここの一番いいところは。ご飯です。とにかくおいしいんです。ご飯にしても、おかずにしても、たいていテーブルについてから出て
きます。だから熱い物は熱く、冷たい物は氷まで入れて出てきます。前グラタンを出してもらった時、グッグッいっているのを見てびっくり
しました。」
又別の4年生の女の子は、「私が保育士さんになったら、子供達に優しくなんでも相談にのってあげ、頼られて信頼されるようにしたい
です。そして子供達のために一生けん命頑張って、皆を幸せにしてあげたいです。
もし、保育士になれなくても、一生けん命働いてお金を貯め、大きな家を建てて困っている人達をよび、いろんな相談にのってあげ、
一人でも多くの人達を幸せにしてあげたいと思います。」と。
そして中3の女の子は「太陽寮という大きな家族の中で生活する上で、『嫌だ』と思うことが度々あります。でもそれは、私が精神的に
成長していないからです。自分の考えだけで主観的に物事をとらえたとき、周りのせいにしたり、自分がひどく可哀相だと、誤解しがちで
す。そうではなく、相手の気持を本当にわかりたい、わかろうとした時、相手がどれだけ自分を思っているかがわかる気がします。私
にはまだそういう客観的な視点が欠けているような気がします。これからも反発し、ぶつかってしまうことがあるかも知れません。そ
の度に、一度立ち止まって私を叱ってくれる人の気持を考えたいと思います。そして、私をどれだけ大切に思っているかを感じながら、
また前を見て外れた道から元に戻り、歩いていきます。天国のお母さん、見ていて下さい。私は、あなたの自慢の娘になってみせます。」と。
私は言いたい、「天国のお母さん、きっと貴女の娘さんは日本一立派な娘さんになるにちがいありません、御安心下さい」と。
最後に高1の女の子は「私達のように、施設で生活している人と違って、一般家庭で育った子は、あたり前のように一つ屋根の下に
両親がいます。学校で、私の友達が『朝からお母さんとケンカした。』と私に話す時、ケンカしたのになぜか目が輝いていて、そんな姿が
母のいない私には羨ましくて仕方がありませんでした。今、施設で生活している私の周りには、沢山の友達と保母さんがいます。学校で
の友達とまた違って同じような経験をしてきた施設の友達の前では、お互いが裸の姿で正直に何でも話しが出来ることは私の救いです」
と書いている。
誰の目から見ても満ち足りた環境ではないと思われる子供達のこの素直なそして優しい心と、将来は人の役に立つのだという確固たる
信念は一体どこから生まれてくるのだろうという私の疑問は、女の子の前後の文章によって或る程度理解する事が出来た。
即ち「同じような経験をしてきた施設の友達の前では、お互いが裸の姿で正直に何でも話しが出来る、これが私の救いです」という
環境が一般家庭には欠けているのだ。
施設の子供達がこの様に豊かな心を持つ事が出た背後には、一般家庭の両親とは比較にならない経験豊かな唐津氏のような
児童福祉施設の関係者の献身的な協力があっての事だが、然し子供達の本当の心の指導者は、かつて同じ様な経験を持
っている施設の友達だったのだと思う。
彼らは恐らく同僚や後輩たちの悩みを會ての自
分の悩みと重ね合わせて、その当時の経験をもとに親身になって同情し、優しく慰め励ましているのだ。
寮生達は不幸な環境に育ったからこそ、そして愛に飢え、悲しい、悔しい思いを独りじっと堪えてきたからこそ人の愛や親切を人一倍
身に染みて有難いと感じ、そんな友達や先輩達の意見や忠告を素直にうけ入れる事が出来、それが大いなる救いとなって、「よし私は
立派な社会人になって世の為人の為に役に立つ人間になってみせるぞ」と奮起しているのだ。
最近文部科学省では、何かと云うと従来の詰め込み教育から「自ら学び、考える力」の育成を目指す「ゆとり教育」が望ましい等と云う
が、要は子供達の「やる気」の問題なのだ、子供達に「やる気」さえ起こさせれば、ほっておいても自ら学び考える子供になるのだ。
今更「教育勅語」でもないけれど、然し、「父母ニ為ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業
ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ」とこの様に学校に於いても家庭に於いても心の教育に絶対というものが無くなった今
日、これらの事を寮生同志で真剣に話し合う機会のある太陽寮の子供達は、考え様によっては一般家庭の子供達より幸せなのかも
知れない。
「人間万事塞翁が馬」だということを、つくづくと感じさせられた太陽寮の作文集ではあった。