百尺竿頭一歩を進む
(2005年1月号)

私が「馬耳東風」を書くようになつてから16年目の春が(めぐ)ってきた。
 従ってこのエッセイと同時期に始めた彫刻も又16年目という事になる。
 その間私は幾度エッセイを書くのを止めようと思い、又二度と粘土を握るのは止めようと思った事だろう。
 60年間にわたって私の心の(ささ)えとなってくれた「馬」の本当の美しい姿を彫刻として此の世に残 し、私なりに「馬」に恩返しがしたくて始めた馬の彫刻。
 肉体の躍動美を最も適格に表現出来るのは三次元である彫刻以外にないと思い定めて始めた馬の彫刻。
 然し私のその願いも、美しい馬を創りたいという情熱だけでは解決出来ない未熟な技術力という大きな壁に阻まれ続けて来た。
 そしてその都度神田あたりの古本屋を(あさ)っては 古今東西の有名な彫刻家の著書や図録集を買い込む日々が続いた。
 然し結局の処、彫刻とは禅僧が結跏趺坐(けっかふざ)して悟 りを開くのとは違い、読書と瞑想からは何も生まれてこないことがわかった。

やはり今の私には気をとりなおして再び粘土をこの手でつかむ意外に救われる途は無かった。
 そのようにして粘土と格闘しながらの試行錯誤を繰り返していた一昨年の暮、私はフッと山本周五郎の小説の「虚空遍歴」という言葉を思い出した。
 そうだ、私も馬乗りであると同時に彫刻家の端くれ、それなら一つ馬が虚空を遍歴しつつもがき 苦しんでいる(さま)を彫刻にして、今の私の気持ちを表 現してみようと考えた。
 何故ならば、小説家は心を書くのではない心が外に見世を出している処を書くのだ、と云った漱石の言葉を思い出し、彫刻も又、心が外に見世を 出している処を創ればいいと考えたからだ。
 1ヶ月程してその作品は何とか形になったが、やはり満足のいく作品には程遠く、四苦八苦の毎日が続いていた。

そこで今度は虚空遍歴に続いて四苦八苦のうちの五蘊盛苦(ごうんじょうく)を除いた。
1.愛別離苦(あいべつりく)(愛する者との別れの苦しみ)
1.怨憎会苦(おんぞうえく)(怨み、憎む人と出会う苦しみ)
1.求不得苦(ぐふとっく)(求めるものが得られぬ苦しみ)
 の時の馬の表情を彫刻にしてみた。
 すると何となく今迄の馬の彫刻とは一味違う雰囲気の彫刻が出来たような気がした。

 気を好くした私は同じように「物思い」「興味津々(しんしん)」 「(いなな)き」と立て続けに馬の頭部のみを石膏で創ってみた。
 画家が自分の顔を描くのを自画像というが彫刻家が自分の顔を創るのは自刻像という。
 従って私は去年1年かかって7個の馬の自刻像を創ったことになる。
 その結呆、「彫刻の根源は自己表現であり祈りの感情以外の何物でもない」といった或る彫刻家の言葉を何となく身近に感じることが出来た。
 然し、「絶対」と云うもののない彫刻の世界に生きる者にとって所詮、虚空を遍歴する人生から逃れる (すべ)はないが、時として虚空と悦楽の間を遍 歴していると思える時もあるので、それならば少しでも悦楽の期間が長続きするように祈りつつ相変らず粘土と格闘の日々が続いていた。

そして時は2005年1月、1年の計は元旦にありだ。
 今年からは去年のように悲観的なことばかり考えず、一つ勇気をもって「この悩みを闘争のエネルギーにかえてやろう」と決心した。
 今迄が失敗続きだからといって、これからの試みも又失敗するとは限らない。
 成功は一分の霊感と九分の流汗にありだ。
 馬場馬術の創始者、フィリスの言葉ではないが、「前進、前進、常に前進」だ。
 そう考えてくると、60才から始めた私の彫刻とエッセイの人生は、枯れた人生のプロローグのような気がしてくる。
 百尺竿頭一歩を進む、未知の世界、宇宙に向って一歩を踏み出す為の序幕がやっと降りたばかり だと考えれば、勇気も湧いてくるというもの。

そこで烏滸(おこ)がましくも75才になるのを記念して雅号を造ろうと考え、思案の末雅号を 「推歩(すいほ)」とすることにした。
 即ち、推歩の推は馬術で最も大切な推進力、推進気勢の推であると同時に、おしはかる、おしすすめるという意味があり、「推歩」は天体の運行 を推測すること、と広辞苑に載っている。
 正に百尺竿頭一歩を進むに相応(ふさわ)しい雅号だと自 画自賛すること(しき)り。
 人は或る程度の技術を習得すれば彫刻家になることは出来るが、決して芸術家になることは出来ない。
 それならば、なんとしても百尺竿頭一歩を進めて人様(ひとさま)から 一端(いっぱし)の芸術家になったと云われるような男になってやろうというのだ。
 はっきりとした目標があれば、何年かかるかわからないが、ひょっとして芸術家といわれるような男にならないとも限らない。
 芥川龍之介は雅号とは作品と同じように、その人の個性を示すもので作者のその時々の趣味の進歩に応じて自然と出来るものだと云っている。
 私の雅号も何年かして又違ったものになるかも知れない、然し当分の間私はこの“推歩"という雅号で自分の限界に挑んでみようと思う。
 これが私の年頭の所感である。