仔犬の贈り物
(2004年11月号)

夏休みに小学校6年になる男の子の孫が、2年前に3才で死んだ愛犬(イングリッシュ・スプリンガー・スパニエル、愛称ジョイ)のブロン ズ像を創りたいと云ってきた。
 その犬はある有名なブリーダー(繁殖家)が自分の繁殖用にと手元においていた仔犬だったのだが、孫がどうしても欲しいと駄々をこねて特別に 譲って頂いた犬である。
 孫の処で飼われることになったジョイは忽ち一家の人気者となり皆に可愛がられていたが、ブリーダーのたっての願いでドッグショーに出すこと になり訓練士に預けて調教してもらっていたが、或る日歯石をとる為に獣医が麻酔をかけたところ次の日の朝、犬舎の中で冷たくなっていた。
 訓練士も獣医も今迄の経験からしても、まったく考えられないことだと云うのだが、一旦死んだものはもう二度とは生き返らない。
 ブロンズを創るにはまずデッサンに基づいて粘土で犬の像を創り、それから石膏で原型(犬の石膏像)をとり更にその原型を美術鋳造所でブロン ズ像に仕上げる関係上、期日も1ヶ月以上かかるうえ費用も20糎程の大きさでも約20万円はかかると云うと、彼は今迄のお小遣いやお年玉を貯めて あるから大丈夫、どうしてもジョイの像を創りたいという。

それではということで一応彫刻家の祖父として粘土と像を仕上げる為に必要な支柱その他の道具一式を貸して、その仕上がりを楽しみに待つ 事にした。
 20日程すると粘土の仔犬像が出来たといって孫が大事そうに自分の腕に抱えて私の家に持って来た。
 小学6年生の子供が一人で創った仔犬の像、知らない人にこの像は有名な彫刻家の作品だといっても誰もあやしまない程良く出来ていた。
 娘が手伝ったのかと思って聞いてみると、娘が一ヶ所だけなおしたら孫はその部分を全部こわしてしまったという。

勿論子供の創つたもの、技術的にも稚拙なところは多々あるが然し彫刻で一番大切なもの、即ち、こういう物を創りたいという強い願望と自 分の限界に挑もうという強い意志と祈りの感情が作品に(にじ) み出ていて、自分の手で(かっ)て愛した仔犬 の像を此の世に残したいという一途な心がひしひしと伝わってきて、正直我が孫の作品ながら「じいん」とくるものがあった。
 作者が何の愛ももたずに仕上げた作品は決して見る人を感動させることはない。
 淋しく訓練士の犬舎で死んでいった犬に対する切なく懐かしい思いで、一所懸命に創った仔犬の像、私にはそれだけで充分に立派な芸術作品だと 思えるし、きっとその像は彼が幾つになっても、恐らく死ぬ迄大切に手元に置いておくことだろう。
 曾って司馬遼太郎がいみじくも云った「人間は幾つになっても精神の中に豊かな子供の心を胎蔵しておく必要がある、でないと精神の中に何の楽 しみも生まれてこない、良い音楽を聴いて感動するのは自分の中の子供の部分なのだ、芸術家や学者あるいは創造にかかわる人々は生涯子供 としての部分がその作品をつくるのだ」と。

ブロンズに仕上がつた像は夏休みの学校の宿題の一つとして学校に持って行ったが、その像に添えた感想文に彼はこう書いている。
 「ジョイは僕が2年生の春に、この家に来ました。僕がほしくてほしくてたまらなかった犬です。白と茶色の毛糸玉の様にフワフワのかわいい仔犬 でした。甘えん坊で淋しがりやでいつも誰かにベッタリくっついていました。  僕とジョイはいつもいっしょで、とても幸せでした。僕が4年生の夏、ジョイは訓練士さんにあずけられ、ドッグショーに出るため獣医さんで全 身ますいをかけて歯石をとることになりました。そしてそのままジョイは永遠に目をさます事はありませんでした。久しぶりにやっと会えたジョイ は、もう僕の顔をなめてはくれませんでした。僕はジョイの死をずっと認めたくありませんでした、だから誰にもジョイが死んだことは言いませんで した。この夏、僕は精一杯心をこめてジョイをブロンズにしました。いつも僕たちに喜び(JOY)をくれたジョイ!ありがとう」と。

そして又9才の彼の妹は、その像を見ながらポッンと私に(つぶや)きました。
 「ジョイがいた時は皆本当に楽しかったな。ジョイはいつもいつも私達の伸間に入りたくて一所懸命に努力していたのに 他人(ひと)の家(訓練士)に預けられてしまったからきっと自分のことを皆もう いらなくなったのだと思っちゃたんだよね、そしてもう皆のことを喜ばすことが出来なくなって、ジョイも幸福でなくなっちゃたから死んじゃった んだよね。
 きっとジョイは自分が犬であることがいやだったんじゃないのかな、だからきっとジョイはどこかで人間の赤ちゃんに生まれていると思うよ、き っとそうだよ」
 私は孫娘の肩にそっと手をおいた。
 涙が後から後から湧いてきた。
 誰も教えないのに、こんな幼い子供が、こんなにすごいことを考えていたのだ。
 孫達はジョイの死によって、人間として決してさけることの出来ない淋しさ、切なさ、果敢(はか)なさ、 (むな)しさを身をもって味わっていたに違いない。此 の世の中にはどんなに思ってもどうしようもないことがある。孫達はこの現実をふまえて子供心に「般若心経」の「空」の心を理解しようとしてい たのかも知れない。病気になったり死なれたり、生きているといやでもそういう体験を重ねることになりその一つ一つを大切にして理屈ではなく体 験でわかるところに「空」をつかむ鍵があるように思う。
 ジョイは自分の命をかけて孫達にそのことを教えてくれたのだ。

人間として何が一番大切なことかと弟子に聞かれた孔子は、唯一言「(じょ)」と答えた。
 恕の心、即ち人を思いやる心がそれである。
 ジョイの心を思いやった9才の孫娘、この子に人は絶対に殺せない。
 佐世保同級生殺害事件について、いろいろな人が実にいろいろな意見を述べている。
 (いわ)く「子供を理解する努力をしよう」
 「人に共感する心を育てよう」等々、
 先の孫達の心を見る限り子供達は生半可な大人たちには思いもつかないデリケートな心を持っていることがわかる。
 未来の日本をになうべき子供達をどう教育すればいいのか。

「好 んで人の師となる勿れ」という言葉がある。
曾って広く政財界の精神的支柱となった安岡正篤は、「教育者に一番大事な事は先生になることではなくて学生になる事だ、良い教師は必ずよく 学ぶ人でなければならない、今の教師は人に教えることばかり考えて自分自身学ぶ事を忘れている」と。
 それでは一体何を学ぶべきなのか、彼は先ず己に(かえ)る為に「小学」を勉強する事 だという。
 「小学」とは中国(そう)の時代、 劉之澄(りゅうしちょう)が朱子の指導の下で編集した児童の為の道徳教育の書で知識 と学問を論理的概念で捉えるのではなく、孫達のように肉体化し体現する事の大切さを述べたものだ。
 教育者といわれる人達や自分で偉いと思っている学者先生は文科省の役人も含めて明治の中頃迄広く一般に読まれていた「小学」を勉強すること をぜひお薦めする。

最後に犬に関係する会の会長として一言つけ加えると、最近の多くの子供達は両親の愛を一身に受けて育つが塾に明けゲームに熱中する子供 達はその受けた愛をオーバーフローさせるだけで他人に分け与える方法(すべ)を知らない。  縫いぐるみや人形を愛し動物を愛する事を知った子供達はきっと両親にその愛を返し友達を愛する心を持つ事が出来るはずである。
 小学校教育で一番大切な事は国語でも算数でもなく「恕」の心、愛の心を育てる事だと私はいつも思っている。

−以上−