濡れ落葉
(2004年9月号)

  60 年間続けた馬術競技の選手生活に別れを告げ、最低週に4日の馬場通いから解放されてみると、1日24時間の長さが「いや」という程耐え がたく、運動不足からくる食欲不振や得体の知れない欲求不満に悩まされ、馬をやめたら専念出来ると思っていた彫刻も何となく創作意欲が薄れ、 家で本を読んで過ごす時間が多くなってしまった。
 それに引き替え、我が女房殿は音大ピアノ科卒業にも拘らず十数年来のフラダンスが佳境に入り、去年の暮れからハワイに2度、そして今年の7 月にはなんとラスベガスで開催されたフラダンスの国際コンクールに準優勝とその活動の環を大きく広げている。
 そして遂に亭主である私に対し今迄の専業主婦からの自主退職を高らかに宣言した。
 その緒果、この1年間の平均在家率は僅かに10%という凄まじさ、よくもそんなに外に用事が作れるものだと呆れるばかり。
 帰宅は大体午後7時半(7時と8時の中間の意)、連絡なしに午後10時11時の時もあり、そのうちに帰って来ると思うから空きっ腹をかかえて待つ身 の辛さ、いつか新聞で読んだ川柳の「何時頃お帰りですかと妻に聞き」の一句が俄然現実味を帯びてきた。

この様な状態が長く続けば不本意ながらこの私も「濡れ落葉」になりかねないが、それだけは断じて私のプライドが許さない。
 又私が彫刻を始めた頃「粗大ゴミが粗大ゴミを創ってどうするの」と憎まれ口をたたいていた女房が、どこで聞いてきたのか「貴方はまだ生きて いるから粗大生ゴミだってさ」と(のたま)うかと思えば、 だけど倒産トーチャンの貴方でも(かつ)ては月給を持 って来たこともあったから「粗大ゴミ」より寧ろ「産業廃棄物」と云うべきなのかな、と言いだすしまつ。
 女子(じょし)小人(しょうじん)は何とやら、 1年のうちどんなに少なく見ても300日は外出している家外(家内にあらず)は一体女友達とどんな話をしているのやら、空恐ろしい気がする。
 やはり女房より60年間連れ添った馬の方がはるかに扱いやすかったと懐かしく思い出しても後の祭。

何故女房も馬の様に上手に調教できなかつたのかと考えてみたが、それもそのはず、馬の方は去年まで乗っていた愛馬は最初の馬から数えて 15頭目、それに引き替え今の女房は唯の1頭目(失礼)。
 いかに不器用な私でも再婚歴15回ともなれば、きっと女房を意の如く操ることが出来るに違いない。
 然し如何にせん寄る年波で体力の減退はなはだしく、この様な状態では2人目さえも覚東無(おぼつかな) い有様。
 ところがつい先日、日本ペンクラブの大先輩、下重暁子(しもじゅうあきこ)さんの 「不良老年のすすめ」を読んで、私は間違いなく不良性はあっても、まだ下重さんの言う様な老人ではなかったことに気がつき、い ささか自信をとりもどすことが出来た。
 然るに、あくまでも四十数年来の怨みをはらすかの如く、女房は7月15日発行の文芸春秋の臨時増刊号「第二の人生暮らしの設計図」なる雑誌 を買ってきて今後の私の生き方の参考にしろと言う。

「第 二の人生」については、いささか一家言(いっかげん) を持っている私は、いろいろな処で老後の生き方について講演をしている関係上「何を今更」と無視していたが、あまりの 無柳(ぶりょう)に耐えかねてついパラパラと頁をめくると、永六輔さんの次の様な文 章が目に飛び込んできた。
1.生まれ変わってまた同じ女房と一緒になりたい男  75%
  又同じ亭主と再婚したい女  20%
2.60代夫婦で夫が妻を看取るのが  15%
  妻が夫を看取るのは  85%
3.妻を看取ったあとの夫の余命  5年
  夫を看取ったあとの妻の余命 22年
 この数字が本当だとしたら世の男性にとって由々しき大問題である。

この三ケ条のうち(2)は一般的夫婦の結婚時の年齢の差や、男と女の平均寿命を考慮すれば或る程度うなずけるが、(3)は女性の生命力 の強さというか、生活力のものすごさに圧倒されることなく、世の男性も第二の人生の設計図をきちんと定め健康管理に努め、常々女房がいなくて も自立する術を身につけようではないか。
 然し、少なくとも(1)だけは常に夫婦が同じ意見を持って老後の夫婦生活を送らなければお互いに不幸になるばかりだ。
 三度の食事をつくってくれるという弱味はあるものの夫が同じ女房と暮らしたいと望んでいるのに妻はもう二度と貴方と暮らしたくありませんと 言う。
 そうかと思うと10年程前、私の会社の社員で夫婦共稼ぎで毎日妻の夕食をつくっていた男がいたが、そのうち女房に棄てられて自死してしまった。
 男性としての誇りは一体どこに行ってしまったのか、これは明治生まれの父親に厳しく躾られた男の時代おくれな考えなのだろうか。

 然しし濡れ落葉になつても女房にしがみつこう等というケチな惰けない根性だから、もう貴方の顔など二度と見たくありません等と言われるのだ。
 私には私の人生がある如く、妻にも又妻の人生がある。
 仮令(たとえ)三食コンビニ弁当とおにぎりだけで余生をあわ 送ろうとも女房に憐れみをこうのは止めよう。
 そして、これからの私は90才の時に30年分の材料を買い込んだ明治の彫刻家、平櫛田中にならって、死ぬ迄彫刻に情熱を燃やし続け、 私の自論である独り楽しむ「独楽(こま)」の人生、自分の心棒で回 り続ける第二の人生を歩む事にしよう。
 いかに「粗大生ゴミ」「産業廃棄物」と罵られようとも「おれは断じて濡れ落葉にはならない」これが女房の専業主婦からの自主退職宣言に対す る私の決心である。
 女房元気で留守がいい。

(注、私の自論である「第二の人生」については、今迄にも折にふれて書いてきたが、いずれ機会をみて改めて書いてみたいと思っている)