この記事が「コア」に掲載される頃、恐らく日本はアテネ・オリンピックの話で国中が大いに盛り上がっていることだろう。
かつてはオリンピックを夢見たこともある私としては、何となく老いの血が騒いで他人
事とは思えず、今回はオリンピックについて兼ね兼ね考えていたことを2〜3書いてみようと思う。
既にオリンピックについては「コア」2003年8月号に「五輪に未来はあるのか」と題して若干触れているが、元来「五輪」の意義は「スポーツを
通して青少年を教育することによって平和でより良い世界づくりに貢献すること」と五輪憲章にある如く、スポーツを通して世界の人々の健康と道
徳の資質を向上させ、相互の交流を通じて互いに理解の度を深め友情の輪を広げることによって、住み良い社会を作り、ひいては「世界平和の維持
と確立に寄与すること」にあったはずである。
然るに、こあ記事を書いている現在(7月上旬)も世界各地で戦火の絶えまがなく、その上テロという卑劣極まりない行為によって世界の平和が乱
されつづけている。
恐らく今回のオリンピツク最大の課題は選手達の記録更新等ではなく、「無事にオリンピックが終了すること」にあると思う。
かくして紀元前8世紀、デルフィスの神殿に詣でたエリスのイフィット王が考えた「スポーツによって都市国家間の平和をもたらす」と言う夢は
神話となってしまった。
現代オリンピックは個人と個人、国と国との戦いとして、お互いに敵対意識をかりたてる戦いの場と化し、各国民こぞってその獲得したメダルの
色と数に目の色を変える結果となってしまった。
何故かかる事態に立ち至ったのか、その原因の一つは我々がスポーツを単なる自然科学的な側面から研究するのみで、人文科学的な「文化」とし
て考えなかった事に起因している様に思われる。
即ち、オリンピック関係者が高度なスポーツを「文化」として捉えてさえいたら、オリンピックは五輪憲章の唱える如く各国問の偏狭な枠を超越
し、全人類の祭典として間違いなく世界平和に貢献し得たはずである。
それでは「文化」とはいかなるものか、改めて文化を辞書で引くと、「人間が自然に手を加」えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじ
め技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生
活にかかわるものを文化と呼び、文明と区別する」となっていて、残念ながら文化の事例の中に何故か政治が入っていても文化の2字は見当たらない。
然し、私に云わせれば、人間が手を加えて形成した物心両面の成果以外の何物でもないスポーツも又、立派に文化であると思うのだが一般的に
文化と云うと精神性の要素の強い高尚なもの、スポーツは身体性の要素が強く汗臭いもの、精神的要素はあっても高尚とか文化というにはあまりにも
程遠く、人間として価値の低い存在として捉えられている。
然し、少なくとも鍛え抜かれた一流選手の見事な肉体とその動作は美の極致であり芸術の名にふさわしいものだということは、紀元前450年頃の
ギリシャの円盤投げ「デイスコポロス」の像一つをとって見ても明らかである。
かつてベルリンオリンピツクの記録映画の題名が「美の祭典」となっていたのを御記憶の方も多いと思う。
それらのことを今改めて考える時、私達は近代オリンピックを何故「美と文化の祭典」「平和の祭典」と呼ぶにふさわしい企画のもとに、それを
実行に移さなかったのか残念でならない。
スポーツは、まぎれもなく勝敗を競うものである。然しそれはあくまでも同じ条件であることが大前提である。同じ勝つことが目的の戦争とはそ
の点が根本的に違うことなのだ。
その競う相手は同じスポーツを愛する仲間であって決して競争相手は敵であってはならないということなのだ。
そのフェアプレーの精神に支えられてこそ初めて一流選手のプレーは一級品の芸術として薫り高
い真の文化となり得ると私は信じている。
戦争やテロにはフェアプレーの精神はない。
最後に私の言いたいことは、何も近代オリンピックに水を注すつもりはないが、今後のオリンピックの進むべき道を、その原点に立ち返って
「世界平和の祭典」と銘うって、金銀銅のメダルを争うのは世界選手権にまかせようというのだ。
そして国際オリンピック委員会は勿論、世界各国のオリンピック委員会は自国の選手達に対し「世界平和の祭典」に選ばれて出場し、世界平和の為
に貢献したということを最高の名誉とし、それを真の誇りと思わしめるべく指導すべきなのだ。
そこに初めて近代オリンピックの創設者ピエール・ド・クーベルタンの「オリンピックは参加することに意義がある」という言葉が光り輝くことになる。
そして少なくともオリンピックの期間中だけは戦争を中止しよう、テロはやめよう、全人類こぞってオリンピックを通して平和な世界をつくるよ
うに努力しよう、それがオリンピックの本来の真の精神なのだから。
世界はその為のいかなる努力も惜しんではならない、オリンピックだけは世界平和という旗印のもと、金銀銅のメダルに目くじらを立てるのはや
めよう、そして世界平和の為の祭典を全人類で応援しよう。
重ねて言う、金銀銅のメダルは世界選手権におまかせしようではないか。
全世界の国々が、こぞって世界平和の為に平和の戦士をオリンピックに送り出すことが出来たら、どんなに素晴らしいことだろう。
終わりにアテネ・オリンピックがテロによって蹂躙されることがないよう心より祈るものである。