ハルウララ
(2004年7月号)

馬も何の為に走るのか!
 ターフを蹴ってゴールを走り抜ける馬達。
 果たして彼等は自分が勝ったのか負けたのか本当に分かっているのだろうか。
 私は以前からこの事に漠然とした疑問を持っていた。
 唯、オリンピックや世界選手権で首に優勝の大きなリボンをかけ、2位以下の入賞人馬を従えてのウイニングランを見る限りでは優勝した馬は確 かに騎手の喜びと誇りを敏感に感じとって(みずか)らの 勝利に興奮しているように見うけられる。
 そして私も又、幾度となく国内の競技会でのウイニングランで愛馬の尋常でない気持ちのたかぶりを味わった事がある。
 又、競馬に於いても先頭をきってゴール板を駆け抜け、大観衆の拍手に応えてゆっくりとウイニングランをする馬の表情には、たしかに「我れ勝 てり」という表情を読みとる事ができる。
 然し、馬群の中に消えた馬達が、三々五々引きあげながら悔し涙にくれている姿を私は見た事がない。
 かつての五冠馬、シンボリルドルフが天皇賞によもやの2着と敗れた後、馬房で涙を流したという話も馬術競技歴60年の私には何故か素直にうな ずけないものがある。

最近何かと言うと高知のハルウララが話題になっている。
 負け続けながら、いつの日にか陽の目を見る事もあるだろう、めげずに健気に、そして懸命に走り続ける馬の姿から、人々は思い通りにゆかぬ (みずか)らの人生を重ね合わせて新たな勇気をもらい、「リストラ世代の救世主」 「負け組の星」として浮世の苦しみを癒そうとしているのだろう。
 然し、この8才の貧弱な馬体の牝馬ハルウララが果たして、いつの日にか勝つ1時があるだろうか。

天才ジヨツキー武豊をしてもブービーに終った能力の無いハルウララのウイニングランに私はどうしても「百年河清を ()つ」の感を禁じ得ない。
 まして交通安全のお守りを買った人達にとって彼女は絶対に勝ってはならない馬でもあるのだ。
 更に一般の人達の目には、彼女がいつか勝利の日を夢みて走り続けているように見えるかも知れないが、彼女は唯、馬主の命ずるままに 騎手を乗せて走っているにすぎず、彼女にとっては勝ち負け等どうでも良いことなのだと思う。
 然し、彼女の負けっぷりを見よう、買った馬券がはずれる様にと願いつづける人達の気持ちを、もし彼女が人間の心を持っていたとしたら一体ど の様に受け止めるだろう。
 負けるとわかっているのに、なんと100回以上も衆人の中で恥をかかされ、恥を曝す毎に自分の人気が走がるとしたら、他の馬を勝たす為にのみ 走らせられている我が身の惨めさ、もしも自分が会社でその様な存在であったとしたら、考えただけでも「ゾッ」とする。
 その上今度はやはり順調に負け続けている妹馬までつれて来て一緒に走らせようとしたり、或いは未勝利馬のみを集めて走らせたら等と云うその 無神経さ。
 幸か不幸か馬には人間のように勝ち負け等という生臭い感情が無いからいいようなものの、私ならその様な侮辱には到底耐える事ができず自殺す る以外に途はないと思う。
 又、騎手というものは、馬に跨った瞬間大体その馬の能力がわかるものだ。

何の手ごたえもなく、又扶助に対して反応の鈍いハルウララでレースに出た武豊騎手に私は心から同情すると同時に今年3月22日の第10レー スで10着に終った後、スタンド前をゆっくりと駆けるブービーズランの武騎手の心境は恐らく大変に複雑なものがあったに違いない。
 何故ならば元来、国営競馬を民営化し農水省の監督下、全額政府出資の日本中央競馬会が主催する中央競馬は 「勝つことが絶対の勝利至上主義」の世界なのだから。
 即ち中央競馬は、馬匹改良をその主目的とし、「馬匹改良増殖上裨益(ひえき) (役に立つ事)なき馬匹は競走に使用することを得ず」と競馬規定に明記されている。

一方、戦後の復興策として自治体がつくる競馬組合が主催する地方競馬は、地方経済活性化がその主目的なのだ。ところがファンの高齢化や 長引く不況で経営難にあえいでいる昨今、売上げに寄与する為には手段を選ばずとばかり止むを得ずハルウララの登場となったのだ。
 然し、競馬組合の中でも一時期彼女を馬術競技の障碍馬として第二の人生を送らせたいという話もあったが、競馬で走らない馬が乗馬で出世した (ためし)はなく、最近洩れ聞く処によると、どうやら彼 女は北海道の浦河日高育成牧場でその余生を送ることになるらしい。
 心よりご苦労様でしたと私は云いたい。
 そしてサラブレッドをこよなく愛する者の一人として、せめてお守りにするなら絶対に勝ち目のない馬のではなくて、過去に競馬の殿堂入りした 名馬のお守りの方が私達に遥かに夢と勇気を与えてくれる様に思う。
 むしろ私はテンポイント、キーストン、そしてライスシャワーのあの壮烈な生きざまに最高の敬意を表したいと思っている。
 終わりにこの不況に終止符がうたれ、ハルウララの様な可哀相な馬が決して走ることのないよう な世の中が一日も早く到来することを心より祈るものである。