それから半月、今度は私の会社の役員の一人息子(48才)が八ヶ岳連峰に登って行方不明になり、結局、横岳(2,825m)西側の斜面で約300
m滑落して3日後の3月22日遺体となって発見された。
美しい奥様と可愛い2人の娘さんを後に残し、いずれ息子夫婦と一緒に暮らすことを楽しみにしていたであろう老夫婦の夢を無惨にも打ち砕いて
しまった。
故人は若い時から山が好きで年に何回も山に登り、死ぬ半月程前にも山に登っていたが常に単独行動だったという。
父と同じ慶應大学の工学部を卒業した彼は超一流会社に入社、その要職にあって将来を嘱望されていたというのに、何とも痛ましい限りだ。
私は「馬耳東風」の3月号に私の様に好き勝手な生き方をして最後にポックリと死ぬことを決して大往生とは言わないと書いた、それではあ
まりに虫が良すぎるからだ。
即ち大往生とは此の世に於いて、より良き人生を歩むことによってのみ、より良き死「大往生」が与えられるのだということなのだ。
いつものように私は若くして死んだ2人の棺の中に、そっと「般若心経」の写経を入れさせて頂いたが、後に残された人達の心境を思うと、なか
なかに成仏しにくいものがある様に思えてならない。
殊に雪山で遭難した故人は3日後に捜索隊によって発見された時、降り積もった雪の中から顔だけが出ていたらしい。
発見が少しでもおそければ、その全身はたちまち雪に埋り、遺体発見はどんなに早くても5月の連休明けになったと捜索にあたった人達は口を揃
えて言ったという。
彼の葬儀はキリスト教の教会で行われたが、当日教会で配られたカードには、数曲の賛美歌と共に「葬儀とは礼拝である。私達は神によって創
造され、神により日々守られ、生きています。従って私達は神の支えがなければ一日たりとも生きることはできません。言い換えれば、私達の生涯
は神からの賜物です。そして死は、神の思し召しにより神の御もとに帰ることです。従って故人を生かし、また召された神に礼拝を捧げるのです」
とあった。
又、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(ヨブ記1章21節)とも書かれていた。
裸でそこに帰ろうと言うことは、主の家に帰る
ということなのか、キリスト教の信者なら、それで充分納得し彼の死を祝福することが出来るのだろう。
然し、故人の年老いた両親は果たして最愛の息子を奪った神に心から礼拝を捧げることが出来るのだろうか。
この様な悲惨な経験のない私には逆縁となってしまった2組の両親の悲しみの深さを推し量ることは到底出来ないが、せめて慰めの一言なりとも
おかけしたいと思ったのだが、残念ながら何一つ言葉をかけることが出来なかった。
唯、後になつて考えてみると、遭難した彼が略
即死状態であったと言われるけれど、300mも滑落してゆく途中で、一瞬でも彼の脳裏をよぎったものが何かあったような気がしてならない。
人は日頃どんなに好きなことをやっていても、その心の中のどこかで常に若干の引け目を感じているものなのだ。
言い換えれば常に家族の人達に対する感謝の気持ちがあると言ってもいいかもしれない。
滑落してゆく途中、最後に彼の脳裏をよぎったものは恐らく残される家族への精一杯の愛情を父として又夫として見せたかったという思いと、後
に残されるであろう家族の将来を周囲の人達に、どうか温かく見守って頂きたいという彼の最後の願いが、降り積もった雪の中で顔だけをのぞかせ
るという奇跡を生んだのだと私には思えてならない。
恐らくそれが彼のなし得た我々に対する最後のメッセージだったに違いない。
仏教には「生死一如」という言葉がある。これは生きている人は死んだ人とどの様に美しく共に生きるかということなのだ。
故人を偲んで嘆き悲しむのは却って故人を悲しませるだけだと思う、故人が此の世でいかに愛情深く美しく、そして立派に生きたかということを
忘れずに、いつまでも懐かしく思い出すことが死者に対する最高の礼儀であり又慰めであるように私には思える。
心より若くして死んだ2人のご冥福をお祈りすると共に後に残された御家族を温かく見守りたいと思う。
−合掌−