猿 の 反 省
(2004年1月号)

新年お目出とうございます。
 今年の年賀状に私は
『今年は申年、今年こそ百害あって一利なしのポルノ雑誌や漫画本、劣悪なビデオやテレビを絶対に子供達に「見せまい・聞かせまい・ 言わせまい」。そんな三猿主義を唱える政治家が現れないものかな、やっぱり駄目だろうな』と書いた。
 喩えの「見猿、聞か猿、言わ猿」とは、自分の得にならないことは、決して見ない、聞かない、言わない、ということなのだが、 私はこれこそが世界中の政治家の特技なのだと信じている。

それはさておき、去年の大晦日の新聞に、2003年は「こうなる−10大ニュース予想」というのが出ていた。
 それによると、
 1. 米国のイラク攻撃
 2. 世界不況
 3. テロ頻発
 4. 倒産激増
 5. 失業率6.5%
 6. 年金給付水準の引き下げ
 7. 北朝鮮経済危機
 8. 解散総選挙、自民不振
 9. 景気回復の終り、低迷に戻る
 10. 円レート 1ドル=150円接近
 等々と暗い予想ばかりが並んでいた。
 この十数年来の推移からして、大方そんなところだろう、当たらずと言えども遠からじだと全く期待はしていなかった。
 唯その中で、円安になるという予想だけは何となく確実なような気がして、米国債とユー口債を買って一儲けしてやろうと山気を 起こしたのが間違いのもと、大方当たっていた10大ニュース予想の中で、何と円安予想だけが大きく外れて円高に振れ、女房には内証 だが今の処大変に損をしている。
 そして自ら額に汗して働きもせずに、お金を儲けようと思ったことを、今更の如く反省している。
 そう言えば、12年前の年賀状の中に、日光猿軍団を真似て猿が机に片手をついて(うつむ) きながら「反省!!」といっているのがあったが、猿にも反省心があるのだろうか。

一般には人類は猿から進化したといわれているのに、何故いまだに地球上のいたるところに猿のままで生息している猿達がいるのだろう。
 この地球上には元来進化して人間になる要素を持った猿と、そうでない猿の2種類の猿が生息していたことになりそうだ。
 進化した猿と進化しなかった猿とは、どっちが幸福かわからないが、どこがどう違っていたというのだ。
 端的に言えば、それは脳の発達いかんによったものなのだが脳の発達を促進した最大の要因を私は「悩み」を抱いたかどうかの違い にあると思っている。
 それでは何故一部の猿だけが、どうして、どんな悩みを抱いたと言うのか、大変に興味のあるところである。
 今更「煩悩即菩提」を持ち出すまでもないが、「煩悩即菩提」とは、煩悩から逃避するのではなく、煩悩は煩悩として素直に受け とめて、日日を行ずるところに菩提、即ち悟りが生まれるという意味なのだ。
 要するに悩みこそが人間を成長させる一番のもとなのだから、苦悩なくして人間の成長はありえないということになる。
 してみると、前記年賀状の「猿の反省」には並々ならぬ深い意味が隠されていたことになる。

私達は、いつの頃からか悩みを抱いて生きるということは良くないこと、不幸なことと考えてその原因をつきとめて反省を繰り返し、 何事によらず楽しいことを追い求め、苦しいことは極力排除しようと努力するようになってしまった。
 然し、人はいつもいつも幸せいっばい夢いっぱいと、そう都合よくはいかないものだ。
 いや、むしろ人間は少々ブルーな気分で生きた方がいいこともある。
 悲しみの底にこそ、もう一人の自分に出会えると思えるが故である。
 そしてそうなってこそ始めて人は自分一人で生きているのではない、生かされているのだということの深い味わいを知ることが出来る のだ。
 人は幸福なものに包まれていても、その世界にドップリとつかって酔い痴れてしまってはいけない。
 仏教は人生の苦しみを見つめることから出発したということを決して忘れてはならない。
 「艱難を喜ぶ、そは艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずればなり」  −ロマ書五ノ三ノ四−
 果たして2004年、日本国民は希望を持つことが出来るだろうか、やっぱり駄目だろうな。
 「家じゅうを福の神がとりまいて貧乏神の出どころがなし」
 せめてこんな年にだけはなりたくないものだ。
                             −以上−