生涯現役・臨終定年
(2002年12月号)

あと1ヵ月で新しい年が始まる。
 1枚だけになって壁にかかっているカレンダーも心なしか淋しそうだ。
 いつも持ち歩いている私の手帳の最後の頁には、今年亡くなった友人・知人の7人の名前と命日が書きこまれている。
 今年最後に亡くなづた友人Aは、私の中学時代からの馬術部の同級生だった。

今からちょうど7年前の1995年の12月号に私は「亡き友」と題してAのことを「馬耳東風」に書いている。
 同じ運動部の同級生といっても個人スポーツの色彩の強い馬術を通しての友人は、常にライバルという意識が働き、共にすごした 10年間のうち最後の1〜2年は特にその傾向が強かった。
 従って一般に云う「友をえらばば書を読みて、六分の侠気四分の熱」とは多少そのニュアンスを異にする。
 7年前の「馬耳東風」の内容は、私の卒業した1952年以降、亡くなった馬術部の同僚と後輩が10名もいたので、その男達を偲ぶ会 を開いた時の話なのだが、発案者の私が独善的に企画し勝手に案内状を出すわけにはいかず、同僚のAに相談し、開催予定場所の新宿 のホテルで打合わせることにした。
 ところが打合わせ日の2日前に、彼は突然の大量の下血により癌センターに緊急入院してしまった。
 それから正確に満7年、Aは入退院を何回も繰り返した末、10月9日に遂に帰らぬ人となってしまった。

大学卒業後、彼は母校の馬術部の監督を25年務め、学生馬術界の為に大いに貢献したが、一般の現役選手として常に全日本選手権や国際 大会に出場していた私は学生馬術界にはまったく縁がなく、彼と会う機会は年一回の大学馬術部の卒業生の集まりだけとなっていた。
 従って彼との付き合いは、学生中の10年間だけで、あとの50年間というものは全く別の世界にいて普段は思い出すこともなかった。
 それなのに彼の死後、何かにつけて彼の事が思い出されるのは、10年間という短い期間とはいえ終戦直後の食糧事情の悪いなか、 第一回の国民体育大会(1946年)から第六回まで連続して東京都の代表選手として共に出場したりと不自由だらけの学生時代を同じ釜の飯を 食ったということが、いかに私の心の中に大きなウエイトを占めていたかということを今更の如く思いしらされた。

Aが危ないらしいという知らせを聞いて見舞いに行ったその日、彼のあまりの変わりように愕然とした私は、Aのことをあれこれと 思い出しながら一心に般若心経の写経を何枚も書いて葬儀の日、そっと棺の中に人れてもらった。
 今年の春、馬術部の馬場で久し振りに会った時には退院したばかりだと言ってはいたが、比較的元気そうだったので、更に元気づけ ようと百才の今日まで毎週必らず一回はゴルフ場でワンラウンドを楽しんでいる塩谷信男氏の話をしたところ、「おれはそんなに長生き しようとは思わない」と眩いたが、その時Aの癌は既に全身に広がっていて自分でも皆に広言していたくらいだから或いは死の時期を 知っていたのかもしれない。
 私も或る程度死を意識した今から12年前、成功率半々の危険な心臓手術をするにあたり、手術の成功・不成功に関係なく自分の これまでの人生はこれで良かったのだという確信をもって手術台に乗ろうと、仏教書を読み漁ったものだったが、手術が成功して健康を とりもどしてみると、私の手術は半分は助かると思っていたからこそ本も読む気になったことに気が付いた。
 Aのように癌が全身に広まっていると知っていても尚且つ仏教書を読んで自分の気持ちを整理することが出来ただろうかと考えた時、 私にはその勇気はないように思われた。
 唯、私のように常に爆弾をかかえている人間にとっては、これからの人生を目を輝かして一生懸命に生きるその一歩一歩が人生の目的 であるような生き方をしてみようと真剣に考えたことは事実である。
 いよいよ危ないということで病院に駆けつけた私はAの衰弱の凄じさに言葉をかけることも憚って早々に立ち去ろうと病室のドアに 手をかけた時、いかにも苦しそうに、それでもはっきりと「近々スッポンの血が入るから飲みにこい、連絡させるから」と言った。私も 「有難う必ず飛んで来るよ」と返事をしたのが最後の会話になってしまった。
 そんな時でも私にスッポンの血を飲ませてやりたいという彼のことを思うと何とも遣り切れない気持ちになってしまう。
 彼の奥様から頼まれて葬儀の折に弔辞を読む羽目になったが、弔辞を読みながら万が一Aのことを思い出すと声がつまって醜態を演じ そうで、遺影を見ずに唯々弔辞の文字だけを目で追うことに専念したが、あの時程苦しい思いをしたことはなかった。

人は必ず死ぬ。死亡率100%だと云うが、死の本当の原因は生まれて来たから死があるだけのことだ。
 要するに私達は「死刑執行猶予中の死刑囚なのだといった人がいるが、「四苦」という生老病死にしても、人は生まれてきたばっかりに 様々な苦悩を味わされる羽目になるのだが、然し、人間として生まれてきた喜び、今こうして生きている喜びは、絶対に生苦にまさる と思いたいし又思うべきなのだ。

鬼に笑われるかも知れないが、私は来年の3月からベルギーを皮切りにオランダ・ルクセンブルグと馬の彫刻の個展を開くことにし ている。健康に注意して来年こそ素晴らしい年にしようと考えている。
 日本の政治・経済はもとより世界中どうもパッとしないが、心配しても始まらない。健康に注意して、一所懸命に毎日を生きようと 努力していれば、世界のどこにいようと、いつか良い事があると信じて生きる事にしよう。
 終わりに来年が良い年でありますように心よりお祈りいたします。