今年の9月、イタリア在住の世界的彫刻家、武藤順九氏が大阪の梅田画廊で個展を開くことになり、関西に友人、知人の多い私達夫婦
も武藤氏の為に一肌脱ごうと久し振りに二人して大阪に行った。
来場者も一区切りついた昼休み、梅田画廊の入っている朝日新聞社ビルの地下に食事をする処がありはしないかと、ビルの正面玄関
の案内板をみていたら、偶然にも関西の慶應大学卒業生のクラブ「清交社」の文字が目に入った。
この11月に関東の慶應大学の卒業生のクラブ「交詢社」という処で講演をたのまれていた私は、一応関西のクラブでも見ておこうと
「清交社」のドアを叩いた。
そこで先ず私の目に入ったのが前記「朗人」の額である。
喜多内十三造と読めるその書の主は、一体いかなる人物なのか私は知らないが、我が意を得たりとばかり、受付嬢に断って早速手帳
にその詩を写しとった。
今日からは、老人を老い先短い悲しい老人ととらえずに、お互いに希望に満ちあふれて朗らかな人生を送っている人「朗人」と呼ぼ
うじゃないか。
そして老齢を朗齢に、老化を朗化におきかえて、何となく哀れっぽいニュアンスのつきまとう老境を、朗らかな境涯、朗らかな境遇に
かえていくように努力しよう。
だって私達は、少しばかり人生経験を多く積んだ結果、これからやっと朗境に入ってやろうと決心したばかりなのだから。
老いて年に負けるのではなく、明るく楽しく、自分の思い通りに常に前向きの考えを持って、老を朗にかえて大いに楽しもうじゃないか、
とこの詩は我々に語りかけているのだ。
私達「朗人」は、若い人達が経験したことのない長い年月を、様々な事柄に遭遇しながら、それでも今日まで、しぶとく生き抜いて
きたこのメリットを最大限に生かして、より有意義な人生を、ますます朗らかに、そしてますます楽しく生きようと努力すべきなのだ。
然し、不幸なことに、病気や貧困や孤独というものは、老人になってからが殊に切実さを増してくるのも事実である。
かくいう私も、60歳にして成功率50%の心臓手術を経験し、倒産の憂き目にも会い経営者としての孤独も、いやという程味わったが、
その体験をふまえて孤独も病気も、そして貧乏さえも総ては気の持ちよう一つで克服できることを学んだように思う。即ち、人間万事
塞翁が馬であるということを。
「人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
サムエル・ウルマンの詩が私の脳裏を過ぎる。
どうやら貝原益軒の「老後の一日を楽しまずして空しく過ごすはおしむべし、老後の一日千金にあたるべし」というのが正解のような
気もする。
然し、考えてみると情けないかな私も「朗人」等という文字がすぐに目につくようになっては、やっぱり確実に老境に近づいた証拠
なのかも知れない。