今年の3月末、ニューズウィーク誌は、いみじくも「日本で今最も人気のあるショ一は相撲でも歌舞伎でもない、永田町という舞台
で連日繰り広げられている政治という名のスペクタルショーである」と報じた。
日本経済のこと等、まったく眼中にない政治家の馬鹿さかげんに、ほとほと愛想を尽かしていた矢先、アメリカでもエンロンの会計
疑惑につづいてワールドコムの粉飾決算が明るみに出て、ドル安傾向に歯止めがかかりそうにない。
いよいよ日本脱出の季節到来と思っていたら、国際馬術連盟の上層部から来年3月〜4月に、ベルギーとオランダの国際馬術大会
(オリンピックより規模は大きい)に、その競技場内で私の馬の彫刻の個展を開いてはどうかという誘いがあった。
渡りに船と思ったが、まず最近の国際大会の様子を知る必要があると思い、6月25日〜30日にドイツで開催される大会の視察を兼ねて国
際馬術連盟の役員達とも詳細について打合せをしようと、数年振りにドイツの土を踏んだ。
ドイツでは、たまたまサッカーが決勝まで勝ち進んだというのに馬術競技の開かれているドイツ北部の都市アーヘンは
サッカーのサの字でもなく町全体が馬術一色に染まっていて、馬術競技場の入場者数は一日約5万人とテレビで報じていた。
私の個展会場となるベルギーとオランダはアーヘンの大会より若干規模は小さいが、それでも土、日曜日の観客数は2万人は下らな
いという。
そしてその競技場内の貴賓室が広くてきれいだから、そこに私の彫刻を展示してくれるというのだ。
馬の彫刻をやる人間にとって馬術の本場ヨーロッパの馬術競技場の貴賓室で個展が開ける等という幸運はそうざらにあるものではない。
何が何でも成功させてやろうと、闘志がもりもりと湧いてきて、ドイツの帰りに急遽
彫刻の本場イタリアに行く事にした。
その理由は、仮にヨーロッパでブロンズ彫刻の注文を受けても、その都度日本でブロンズに仕上げて送っていたのでは納期がかかる上
輸送費も馬鹿にならず、むしろ世界一の技術を持ちしかも鋳造代も日本の約半値のイタリアに拠点を置いた方が成功する確率が蓬かに高い
と判断したからだ。
幸いなことに私はイタリア在住の世界的彫刻家、佐藤順九氏(2000年イタリア、カステルガンドルフォ・ローマ法王公邸=夏の離宮=
内に歴史上初めて世界唯一人抽象彫刻を永久設置)と親交があったので、彼をたよって、ソフィア・ローレン等世界の有名人が多数別荘
をかまえるアルバーノ湖畔の彼の家を訪ねた。
絵の様に美しい彼の家は、地階がアトリエになっていて、暖炉の前に重厚なイタリア家具やファニチャーが置かれ、何と造りつけの
バーまで設けてあった。
それに比べて私のアトリエ(そういえるかどうか)はガレージを一部改造しただけのもので、暖冷房の設備はおろか作業の都度車を
別の所に移動させるという惨めさ、いかに日本の二流彫刻家のアトリエとはいえ、あまりの格の違いに、これでは良い作品など出来る
わけがないと勝手な理屈をつけて自分自身を慰めることにした。
その夜、この辺のどのホテルのイタリア料理よりおいしいと言う武藤氏自慢の奥様の手料理を戴きながら、毎夜冷えたコンビニの弁当を
自分で温めている我が身の上を重ね合わせて、これも小さな彫刻一つが何百万円という芸術家と、創るたびに損をしている作家の違い
なのだと諦めることにした。
次の日、ローマから車で約4時間半、有名なリビエラ海岸に近く、ミケランジェロが切り出した大理石の巨大な山の聾える麓の村、
ピエトラサンタに彼の第二のアトリエを訪ねた。
その村は世界各国の有名な彫刻家と大理石や鋳造技術で超一流の職人達の住む村で、神々しいまでに美しい大理石の山を仰ぎ、恐らく
ミケランジェロも通ったであろう古く美しい教会の前の広場に面したレストランで味わうワインと夕食の味はまた格別、このような世界
があろうとは今迄想像もしなかった。
その上、日本なら差し詰め1人1万円は下るまいと思った料理の代金が何と2人で8千円弱、又私達の泊った四ツ星のホテルは
一泊朝食付きで七千二百円、聞けば三ツ星なら一泊朝食付きで三千円だという。
結局、武藤氏の紹介があったお陰で、世界一の大理石加工会社がヨーロッパでの私の彫刻の連絡拠点になることを引き受けてくれた
ばかりか、その会社の社長の従兄弟が経営するその村一番の鋳造工場(従業員約百人、有名な彫刻家ボテロのブロンズを百パーセント
鋳造している会社)が私のブロンズの鋳造を引き受けることになった。
これでどうやら私もヨーロッパで活躍する場を与えられたことになったのだが、これも今から30年前、単身でヨーロッパに渡り、ア
ルバイトをしながら今の地位を勝ちとった武藤順九氏のお陰と云わざるを得ない。
今から10年前、心臓病の悪化で馬に乗れなくなってから始めた独学の彫刻、「少年よ大志をいだけ」といったクラーク博士の言葉が
頭をよぎる。
もっともこの少年、気持ちだけは若いつもりでも、すでに72才、少年というにはいささか気がひけるけれど、それでも私は又々新しい
目標に向けて来、年こそは海外にその第一歩を踏み出してみせると心に誓いつつ成田に降り立った。
今、私の家には尊敬する那須の護法寺の中島住職の書が二本かけてある。
その一つは
“今一番やりたいことをやれ“
であり、
もう一つは
“ひたむきに生きる人には
その道の途中に素晴らしい出逢いが
待っている“
である。
やりたいことに思いきって挑戦していれば、例えその夢がかなわなくても決して悔いは残らないと私は信じている。