「負うた子に教えられて浅瀬をわたる」という諺がある。
去年の暮、家族揃って楽しいクリスマスの食卓を囲んでいた時、小学校5年生の孫が突然何を思ったのか「100人の地球村って知っている
?」と私に問いかけてきた。「知らない」と答えると孫は「ちょっと待っててね」と言って一枚の淡い草色の紙と数枚の紙をホッチキスで
綴じた手作りの小冊子を持ってきた。
草色の紙には「いま世界ってどんななの」という見出しで彼女のいう100人の地球村の内容が要領よくまとめてあった。
それは田園調布隻葉学園の文化祭の模擬店で高校1年の生徒達が、その店に来た客(学生とその保護者)に配ったもので、小冊子には
その100人の地球村について自分達が調べたいろいろなデーターが載せられていた。
全世界63億人の人間を100人の村に縮小してみると一体何が見えてくるのかという100人の村の物語りは、非常にわかりやすく又どんな
社会科の教科書よりも今の世界を知るうえで説得力があった。
いずれ記事にしようと気をつけていたら、幸いなことについ最近テレビでその正体を知ることが出来た。
今から約10年前、ドネラ・メドウズという人が100人の村と題して新聞に発表したものが、その後数多くの人々のEメールというボダレス
な通信手段を通して徐々に広がった作者不詳のメッセージを集めたものが、「世界がもし100人の村だったら」として日本語に翻訳され、
絵本として売られているというのだ。
学校の文化祭の模擬店という機会をとらえて、私達は今こんなにもおいしいものを当然のように頂き、何不自由なく暮らしているけれど、
いま世界には15億人の人々が明日食べる物の蓄えもなく、又雨露を凌ぐところすらないということや、その他いろいろな世界の現状を
正しく理解して、私達がいかに恵まれているかを再確認すると同時に心から感謝の気持を忘れずに毎日を過すことの大切さを高校一年生の
女生徒達は訴えようと、この企画を考えついたに違いない。
食物と同じように教育は大切なものだと信じているアフガン難民の子供達は、その教育を受けたくても教科書もノートも鉛筆も、そして
先生も学校さえもないという。それなのに、どうしても勉強がしたい、将来は学校の先生になるのだというあの子供達の目の輝きを見るに
つけ、心が締めつけられる思いがする。
この子ども達の辞書には、おそらく不登校や学級崩壊まして「いじめ」等という不愉快極まりない言葉は決して収録されていないに
違いない。
この「100人の村」を介してアフガニスタンの現状を報じたテレビのアナウンサーは、最後に「この絵本は多くの人達の心を動かしは
したけれど、今私達はそれらの人達に何が出来るかと言われても、現実には何一つすることが出来ません」と締めくくった。まるで
他人ごとのように。
「アフガン難民の現状はこんなにも惨修たるものだったのか、可愛相だね」でテレビは終ってしまった。
私達はこの本を読み、難民達の現状をテレビ等で知ることが出来ても、果して何もすることが出来ないのだろうか、何故この絵本が
ベストセラーになったのだろうか、決して思いあがった日本人の優越感を呼びおこすだけに此の本が利用されてはならないように思う。
私達昭和一桁の人間は、育ち盛りの1O才代を戦争という悲惨な時代を経験し、「欲しがりません勝つまでは」と何事も我慢・我慢の生活
を余儀なくされてきた。
然しこの苦しかった経験は、半世紀を過ぎた今になってみると、むしろ楽しい思い出として私の心の中に生きている。
ちょうど学校も冬休みに入った事でもあり、良い機会だと思った私は、3人の孫を説得して、まる1日の断食をしてみようと提案してみた。
「そんな馬鹿な!」と一笑に伏されるかと思いきや、意外と素直に同意した孫達は、次の日の朝から断食に入った。
その日の夜、5年生の孫は「ものすごくお腹が空いたけれど、約束だから頑張る」、又3年生の妹も、「気持が悪くなったけど、
お風呂場でシャワーのお湯を飲んだから大丈夫」と報告に来た。
私もかつて子供の頃、兄姉喧嘩をした罰として父親に雪の降る夜、庭に引きずり出されて裸にされ、水をぶっかけられた経験があるが、
その時父も又私と一緒に裸になって水を頭からかぶってくれたことをつい昨日のように懐しく思い出して、私も1日ラマダンと洒落てみた。
きっとこの孫達は、この日の経験を幾つになっても事ある毎に思い出してくれるに違いない。そして次の日の朝食のおいしさと、
これからの三度三度の食事の有難味を充分に味わい、ほんの少しではあろうがアフガン難民の子供達の苦しみや悲しみを感じと
ることが出来たに違いない。
このことを、ある集まりで何人かの人に語したら、今時のおじいちゃんで孫にラマダンよりきびしいまる1日の断食をさせるなんて
信じられない、と本気にしてくれなかった。
この絵本を読んで、子供達に「したり顔」して訓示をたれる人は何人もいるだろう。然し、私がその日にとった態度は、祖父が可愛いい
孫達にしてやれる本当の家庭教育だということを信じて疑わない。
ところが、それから20日程たった1月18日の新聞に、不登校の小中学生の自宅に教師を派遣して個別に指導を行う「ホームスタディ
制度」を新年度から導入するという埼玉県志木市の教育委員会の記事を目にした。
「どこか違うんじゃないの」と思いつつ読んでみると、更にプロ教師の会とかいう人が、「文科省が不登校の子供達の普通教育を
保障していない以上、自治体がこの様な仕組みを作ることは大いに評価されていい」と書いていた。
教師は皆教育のプロかと思っていたら、どうやらプロ教師の会の会員以外は皆アマチュアということらしい。
かつて教育のプロを自認する男が、「水辺の馬」と題する本を出して、水辺まで馬を誘導するのはたやすい容易いが、馬に水を飲ます
ことは至難の技であると教育のむずかしさを強調していたが、私はそこで水を飲ませるのがプロというものではないかと
思ったことがあった。
私事で恐縮だが、馬に乗って60年、現在世界ランキング82位の現役の馬術選手として言わせてもらえば、馬に水を飲ませることなど、
いと容易いことで、例えば馬穴半分の水にポカリスウェットをちょいと入れてやるか、又は、馬には可愛相だが急激な運動を5分間も
してやれば馬は鼻の穴まで馬穴に突っ込んで「ゴクゴク」といくらでも水を飲んでくれる。
大切なことぽほんの一滴のポカリスウェットか、どの程度の運動をさせれば馬は水を飲むかのみきわめなのだ。
実際に今の子供達を教えた経験のない私が偉そうなことはいえないが、とうに古希を過ぎた私には、「プロ教師の会」のお偉い先生方
の云う今日の教育がまったくわからなくなってしまった。
おわりに「水辺の馬」の著者の大先生の名誉のために一言つけ加えると、彼は教育のプロであっても馬乗りではなかっただけのことで
喩えが悪かったのだと思う。