昭和20年4月3日の夜半、忌まわしい空襲警報のサイレンに叩き起こされた私は、両親と一緒に眠い目をこすりながら寝間着のまま
取り敢えず防空壕に潜り込んだ。
その防空壕は家に出入りの植木屋の小父さんが何日もかけて庭の片隅に深さ3m程、階段をつけながら掘り下げて、そこから左右に
やはり3m程の横穴が掘ってあった。
又壕の入り口は板の戸がついていて、そのうえ電気のコードまで引き込んであって、一応裸電球が一つ
点る様になっていた。
薄暗い壕の中に親子3人肩を寄せ合って座ってから約半時、何とも形容の出来ない不気味な音とともに防空壕の赤土の壁が「ビリビリ」
と震えて、今にもその壁に押しつぶされそうになった。
戦時中、田園調布は都合4回の空襲にあったが、最初は3月10日で焼夷弾によるものだった。
B29から投下された焼夷弾は空中で、花火の様に何十本もの六角形で約5〜60糎の長さの筒に分裂し、まるで雨の様に降りそそぎ、人家の
屋根瓦を突き抜いて家の中や地面に落ちると、その筒の中に入っているゼリー状の液体に火がついて、めらめらと燃え広がるものだった。
従って、気味の悪い落下音はするけれど、4月3日の夜の様に、鼓膜の破れる様な強烈な音は聞いたことがなく、明らかに1ヶ月前の
焼夷弾のそれとは違っていた。
両親と私は一体何がおきたのかと壕の中から恐る恐る出てみると、障子紙を細長く切って十文字に目張りをしてある我が家のガラス
は、その大半が粉々に吹き飛んで、その上、まるで台風の後の様に庭の木の枝等も折れていた。
そして高台にあった私の家からは200m程先きの田園調布第二小学校(当時は国民学校)が真赤な炎に包まれているのが目撃された。
後でわかった事だが、その夜の空襲は爆弾によるもので、その威力のすごさは今でも忘れることが出来ない。
若者のいない町の消防団の人達の懸命な消火活動にも関らず、火の粉は容赦なく降りそそぎ、間違いなく我が家も類焼は免れないと
判断した父は、親子3人連れだって兼ねて避難場所になっていた多摩川の河川敷に向かって着の身着のまま歩き出した。
多摩川に通じる道は避難しようとする人達でごった返していたが、それらの人達の顔迄赤い炎に照らし出されて、はっきりと見分け
ることが出来た。
途中まで逃げてきた父は、何を思ったのか急に歩くのをやめて、母と私に対し「どうせ死ぬのなら懐しい我が家で親子3人仲良く死
のうじゃないか」といって、結局逃げまどう人込みに逆らいながら家に帰りついた。
幸いなことに家は類焼を免れたが、南側に面した庭の前が200坪程病院の裏庭になっていた為、次々とその裏庭に死骸が運びこまれて
くるのを低い垣根越しにぼんやりと眺めていた。
結局その夜の死者は13名という記録が残っているが、小学校の友人一人は防空壕の中にいて爆弾の直撃をうけ、一家全滅となり、
又別の友人の父親は小学校の塔の上で見張りをしていて爆弾の破片が胸に突き刺さって死亡した為、塔の上からロープで地上におろされ
ているのが見えた。
あの忌わしい戦争から早いもので57年の歳月が流れた。
この戦争で日本は3月10日の東京大空襲で約10万人、8月6日の広島でも約14万人、そして8月9日の長崎では約7万人の死者を出した。
結局この3回の爆撃だけで30万人以上の一般市民の犠牲者を出したばかりか、原爆の犠牲者は半世紀をすぎた今日でも増え続けている。
然し、日本はその膨大な犠牲を乗り越えて「今後は絶対に戦争はしない」という平和憲法を作ったのだ。
誰の言葉か知らないが、「怨みにむくいるのに徳をもってせよ」という言葉がある。
又「怨みは怨によってはたされず、忍を行じてのみよく怨みを解くことを得」法句経第五というのもある。
今年の9月11日の世界貿易センタービルでの死者は約6千人だという。ブッシュ大統領は米国に於いてこの様な死者が出たのは、パ
ールハーバーについで2度目だといった。
然し、資料によればパールハーバーでの死者は2千数百人であり、そのうち民問人は僅か68名だという。
ブッシュ大統領は「正義は我にあり」と云うが、ビンラディンだって同じことを云っている。
大切なことは、何故世界貿易センタービルやパールハーバーの様な悲惨な事件がおきたかと云うことだ。そして今後どうすればこの様な
忌しい事件をおこさずにすむかと云うことなのだ。
それなのに米国は直ちに弔
い戦争をはじめビンラディンを軍事裁判にかけるという。戦争犯罪人(戦犯)は敗戦国にのみあるのでは
ない。先きの戦争で勝利した米国にだって立派に戦犯は存在することを忘れてはならない。
今回のアフガン戦争ではブッシュもビンラディンも、ともに伺じ戦犯として裁かれるべきなのだ。
自らの都合のよいことが正義であり、勝てば官軍、正邪は勝敗によって定まるという思想は明治維新のとき生まれたらしい、
嫌な言葉だ。
そんなことより、今我が国の最重要課題は国の要職にある人達が政策をあやまり、結果的に国民に多大な被害を与えていることの判
断ミスに対して責任をとらせるのが先決の様な気がする。
11月28目付の新聞によれば、昨年一年間の自殺者は、3万1千957人、3年連続して3万人以上の自殺者が出たことになる。
しかもその40%が四十代、五十代の人達だという。
年間の交通事故死が1万人以下であるのと比較して、今目の不況の深刻さを如実に物語っている様に思う。
的外れな公共投資や政策の誤りを繰り返して国の経済を破綻させ、3年連続して3万人以上の自殺者を出した現代の戦犯は、どの様に
裁けばいいのか、然し、それらの戦犯はリストラもなく多額な月給を取りながら、毎年文化の日には国の為につくした功績によって
勲何等かの勲章をもらい、後は知らぬ顔の半兵衛をきめこんでいる。
それらの一部政治家や渡り族(退職金泥棒)こそが真の戦犯なのだが、然し残念なことに、それを裁く人は今の日本には存在しない。
何故ならば、その裁判官も又、「同じ穴の狢」なのだから。