日本酒・四方山
(2001年12月号)

私が大学を出た昭和27年という年は、三白景気(サンパクケイキ) といって、就職活動も、紙(洋紙)・肥料(硫安)そして砂糖の三つの業界に人気が集中していた。
 御多分にもれず私も一応大手の製紙会社を受験したのだが、お前は営業向きだということで、中井商店(現・日本紙パルプ商事)という 洋紙販売会社に自動的にまわされてしまった。

その会社で最初に配属されたのが営業第一課の教科書係というところで、いろいろな教科書会社の要求にあった教科書用紙を製紙会 社に発注して、その用紙を納入するのが主な仕事で、私が担当した教科書会社の一つに東京書籍という会社があった。
 王子の飛鳥山の麓にあったその会社の隣には日本醸造協会という建物があって、その協会では全国の酒造会社から毎年その年に出来た 新酒を審査して等級を決める仕事もしていたらしい。
 会社の仕事が終る午後5時頃を見計らって東京書籍の仕入担当課長のところへ行くと、無類の酒好きだった彼は、その協会の人と親しく なっていて、やおら机の下からレッテルの貼っていない一升ビンを大事そうに取り出して、そっと飲ましてくれたものだった。

「酒の飲めぬ奴に馬術の上手くなった奴はおらん」というのが私の馬術の師匠で昭和の間垣平久郎といわれた遊佐幸平騎兵少将の口癖 で、先生には『遊(あそび)佐(さ)幸(ゆく)平(べえ)』とばかり、国民体育大会等の地方巡行の折には何度か飲みにつれていって頂いた ものだ。
 先生の弟子で1932年のロスアンゼルス・オリンピックの馬術競技で優勝した西竹一中尉(優勝当時)の家には広い (カワヤ) があって、その厠の片隅に設けられたカウンターの上には、常時ブランデーが置いてあり、彼は用を足しながら悠悠とグラスを傾け ていたという。
 今日の如く水洗便所の普及していなかった大正の末から昭和の初め頃の話し。
 大金持ちの男爵の家の便所もその例外ではなく、トイレの匂いを消す為と、馬乗りの職業病ともいえる痔の予防の為に 蓋し名案と言わねばなるまい。
 そのような理由(ワケ) で学生中ずっと先輩達に鍛えられ、自分でも馬術が上達したい一心から随分と飲酒道に励んだ甲斐あって、大学を出る頃には一端 の酒飲みになっていた。
 従って自然と東京書籍に行く回数も他の教科書会社より多くなり、それに比例して売上も上昇し、うまくすると、おいしい日本酒 にもありつけるという正に一石二鳥のサラリーマン生活を送ることが出来た。
 そのお陰で、70才を過ぎた今でも私は完全な日本酒党を自認している。
    “白玉の歯にしみとほる秋の夜の
       酒はしづかに飲むべかりけり"
                一若山牧水一

これからが日本酒の本当においしい季節。
 然し、最近では西洋カブレした連中が、やれブランデーだのワインだのと通ぶって、私の家の近くの寿司屋では、あろうことか ブランデー持参で、うまいはずの刺身を肴に得意顔してブランデーを飲んでいる大馬鹿者がいた。
 寿司屋の親仁(オヤジ) も、そんな(ヤカラ) には塩をまいて店の外にたたき出せばいいものを、そこはやはり客商売の悲しさ、そんな客にも話を合わせながら客の求めに応じて 更にコーヒーまで出す始末。
 寿司屋の暖簾(ノレン) をくぐった途端コーヒーの香りがしたとあっては、下手な酒落にもなりはしない。
 昔、銀座に慶應大学の有名な教授の実家の天麩羅屋があったが、そこの親仁は、うちの天麩羅の味を舌に残したまま、匂を着物につけて 家まで持って帰れといって、お客にはお茶一つ出そうとはしなかった。
 そんな態度が今の時代に迎合されるはずもなく、今から十数年前に残念なことに店を畳んでしまったが、今の名人等と云われる料理人達 も、テレビでチヤホヤされる前にそれくらいの心意気というか頑固さがほしいものだ。
 焼鳥屋でウイスキーを飲んだり、寿司屋でブランデーやコーヒーを飲むのは、それはあくまで個人の自由といってしまえばそれまでだが、 道元禅師の典座(テンゾ) 教訓にも諭すように、食物にしてもお酒にしても、皆それぞれに食べ方、飲み方のマナーがあるはずだ。
 日本人なら日本人らしく、さも文化人気取りで、わかりもしないワインの味見をする前に・日本酒の「きき酒」とまではいかないまでも 日本酒について少しは勉強しても罰は当たらないと思うのだが。
 その為には先ず第一に日本酒を愛し、自分の一番好きな銘柄を選ぶことから始めるべきだが、お気に入りの酒器をソッと懐に忍ばせて 寿司屋の暖簾をくぐるぐらいの心意気が欲しいものだ。

又、せっかく選んで持ってこられたお酒も、唯「これはうまい」の一言で片付けてしまっては、何となくお酒に対して申し訳ないよう な気がする。
 一般には「おれは甘口がいいとか辛口にしてくれ」等というが、世界に冠たる日本語には、「こく・ごくみ(極微)・芳醇・旨味・まるみ ・ふくらみ・のどごし・さばけ・後味・きれる・なめらか・軽い・すっきり・なれた・若い・しっかりした・さらりとした」等という 有難い表現方法があるのだから、まずは日本酒の色を見て、次に香りを、そしていよいよ舌の上で転がしながら、ゆっくり と味わっては、これらの表現のどれとどれが当てはまるかを考えるのも日本酒や日本料理を楽しむ「こつ」だと思うのだ。
 若山牧水の詩ではないが、日本酒は一人で静かに飲んだり、恋人や或いは気心の知れた仲間と飲んだりとお酒を飲むシーンはいろいろ あるが、そんな時、銘々自慢の酒器を持ち寄ったり、照明を少々調節したり、庭先に椅子を持ち出して、ちょっと風流に花見酒、月見酒、 そして雪見酒等と洒落てみたいものだ。
 そしてあくまでもマイペースで人に無理強いはせず、楽しく笑いながら肴をおいしく頂けるように、そして自分の適量(これは60をすぎ てから若干悟ったこと)を守るよう心がけたいものだ。

最後に「酒」「サケ」の語源は、栄え水がサカエ・サケエ・サケとなったという説が一般的だが、「さける」という意味から、お酒を飲 めば風寒邪気を避けることが出来る、つまり「避ける」からきたという説もあると聞く。
 まさにこれからが冬本番、どうか家族や会社が栄えますように、そして風寒邪気や不景気風を避けることが出来ますように日本酒を 飲みながら楽しい年末年始を迎えようではありませんか。
         (参考:日本酒造組合中央会発行「日本酒読本」)