去年の春、腹の贅肉を落として少しでも馬術競技の成績を良くしたいと腹筋運動をやりすぎて盲腸炎になり、その上、腹膜炎まで併
発して救急車で担ぎこまれたと同じ病院に、又々この5月に入院することになった。
入院は老人病の一種である前立腺肥大と尿道狭窄の手術の為だが、これは子供の頃、栄養失調の裸馬で障碍を飛びそこね、男性の急所
を何回もき甲(*unicode漢字*:馬の背中の骨)に打ちつけて血尿が出たのをそのままにしておいた報いらしい。
入院した日の夜、美しい新宿の夜景をボンヤリ眺めながら、今回は何日の入院になるのかわからないが、来月号の「コア」には少し品格
を落として、この手術のことを書かしてもらおうと考えていた。
今回の手術は急を要するものではないが、いずれやらねばならぬ手術なら、馬術競技もシーズンオフで彫刻の仕事も一段落した今の
時期にやっておこうと考えたのだ。
その上、私の様に老人保険とか介護保険等というものの適用を受ける年齢になってみると、老衰で危篤状態になって、否応なしに病院に
担ぎこまれるならいざ知らず、それ以外で家族の者達に迷惑がられながら病院につれていかれるのは何としても不甲斐無い様な気がして、
まだ回復力もあり、体が動くうちに予め悪い箇所を総て修理しておこうと考えたのだ。
要するに、死ぬまで心臓を除く手足や頭もそして身体の総ての機能がなんとか働いていて、最後に心臓がパタッと止まって、
「ハイ御臨終です」というのが理想的な一生だと思ったからだ。
手術そのものは過去の3回と比較して簡単なはずだったが、心臓の手術後飲み続けた薬の為か、それとも執刀医が御丁寧に余分な箇
所まで切除しすぎたのか、とにかくその日の夜半から明け方にかけて若い当直の医師によって、3回も下半身にたまったゼリー状の血液を
抜かれるはめになった。
その量は合計でコップ3杯はあったと思うが、その間痛み止めの注射もされず懸命に頑張り通して何とか一命はとりとめたものの、
心臓に欠陥のある私は、「こんなことで俺を殺したら化けて出てやるぞ」と若い医師にすごんでみせた。
夜も白々と明けた頃、やっと痛み止めの注射をしてもらい尿も順調に出だしたので安心して半日程死んだ様にねむった後、早速
「コア」のことが頭に浮かび、どの様な内容にしようかと過去の入院のこと等思い返してみた。
すると不思議なことに、今まで4回の手術総てに共通した点のあることに気がついた。
最初の痔の手術は約半世紀前、これは骨のかたまらない子供の頃から馬に乗っていた者の通例として、坐骨が広がってしまう為か馬
乗りには比較的痔病で苦しむ者が多いようだ。
私もその例に漏れず、普通に歩くのにも支障をきたし、止むを得ず生まれて初めて身体にメスを入れた。
今日の様に医術も進んでおらず、終戦間もなかったこともあって、手術後の痛みは今回以上のものがあった。
然し、私の病室の両隣りに、元横綱の琴錦関と今は亡き作家の有吉佐和子さんがいて、隅田川に面した病院の玄関わきの待合室で、
3人して良くお尻の話をしたことが懐かしく思い出される。
2回目は心臓弁膜症の手術だが、これも最初の兆候は心房細動といって、競走馬がレース中によく発症するもので、「馬の科学学会」
の学会員の私も心房細動とは馬の病気とばかり思っていた。
そして3回目の盲腸炎、これも素人判断から、最初は疝痛(馬の腹痛を伴う便秘疝や風疝=ガス腹、急性腸カタル)と間違えて、
腹をぐいぐいもんでその上温めた為、腹膜炎まで併発してしまった。
いくら腹をもんで下剤をかけてもボロ(馬の糞)一つ出るでなし、益々腹痛がひどくなるので近所の医者に看せたら軽い腸閉塞
(馬の最も死亡率の高い病気で疝痛からなる場合が多い)だと診断され、馬並みの浣腸を2本もくれた。
馬が疝痛になると私達は石鹸水で浣腸し、脾腹を藁でごしごしこすって、それでもボロが出ないと肛門に手をつっこんで詰ったボロ
を掴み出すのだが、てっきり疝痛と思い込んでいた私は盲腸炎のことはまったく念頭になかった。
そして馬の病気の総仕上げとなったのが、今回の前立腺の手術である。
手術後の処置の失敗によって、膀胱内に凝固した血が充満し、尿道が詰まって胸のあたりまでふくれあがり、経験したことはないが
恐らく去勢の痛みもこんなものだろうと想像することが出来た。
然し、馬の去勢手術は、睾丸を切除した後、切り口を縫合しないで血をたれ流して凝固を防ぐのだが、私の場合は傷口が小さく血が
膀胱内で凝固したわけで、その圧迫感は或いは馬の去勢の痛さより激しかったのかも知れない。
去勢された馬が麻酔が切れると全身を震わせて冷汗をポタポタ流しているのを幾度となく見ているが、去勢とは人間も罪なことをする
ものだとつくづく馬が可愛相になった。
永年にわたって馬を痛めつづけた罪の報いか、人馬転倒(馬と一緒に転倒すること)による肋骨骨折(2本)や膝の血のひび割れを含めて
馬のかかりそうな病気はこれで総て経験した様に思う。
とにかく手術とはどんなに小さいものでも痛いもので今回は随分損をしたが、それでもこのまま泣き寝入りをしないところが私の良
い処で、入院中どうしたら男性の急所に上手に包帯がまけるかを懸命に考えてみた。
いずれアフリカの原住民がしている筒の様なものの改良型を発明して世界中の病院に販売して大儲けをしたら、そのお金でヨーロッパに
行き一級品の馬を買って今度こそ世界選手権に出てやろうと決心した。
馬鹿は死ななきゃなおらないというが、死んでもなおりたくないというのが私の偽らざる本音である。