生 涯 学 習
(2001年1月号)

    新年明けまして
    おめでとう御座います。

正月が来ると必ず登場する諺に「一日の計は(あした)にあり、一年の計は春にあり、一生の計は少壮の時にあり」というのがある。
 中国の随の時代、天台大師として知られる(ちぎ)(538〜597)は、 その著「摩訶止観(まかしかん)」の中で 「誓願なければ、牛の(ぎょ)するなきがごとく(おもむ) くところを知らず、願来(ねがいきた) って(ぎょう)() すれば、まさに所在(しょざい)に至らん」と誓いを立てる事の重要性を説いている。
 正月を機に、更に充実した生涯を送るために人生に対して何らかの目標を立てて、その目標達成の誓いを新たにするのも意義ある ことと思う。

今から2年程前になるが、総理府は「生涯学習に関する世論調査」の結果を発表した。
 それによると、スポーツやボランティア、趣味などの「生涯学習」について回答者の90%以上がその重要性や必要性を認めているという。
生涯学習をスポーツやボランティアや趣味に限定したところに総理府の役人達は一体何を考えているのか理解に苦しむが、一方生涯学習 を前記の三つに限定した上で尚且(なおか)つ90%を超す人達が必要であると答えているあたり、設問者も回答者もともにピントがずれていて滑稽 だが、取り敢えず日本人の生涯学習に対する認識度だけはわかるような気がする。
 とにかく、この調査は全国の成人5,000人に対し面接形式で実施されており、そのうち約70%にあたる3,448人の回答にもとづいて作成さ れたものだが、悲しいこと、「一生の計は少壮にあり」といわれる働き盛りの40代では、何と74.4%が仕事などが忙しくて、まったく取 り組めないという回答だつた。
 生活するだけ、食べるだけが精一杯であとは金もゆとりはないというのだが、気を取り直して世論調査の結果をみるとしよう。
 生涯学習について、「これからの社会は学校で学んだ後も、生涯、新しい知識や技能を学ぷことがますます大切になる」と答えた人が 91.7%もいたという。
 しかるに、「この一年の間に、生涯学習に取りかかった人」は44.8%にすぎず、「まったくしていない人」に至っては54.7%という淋しい 結果が出た。
 更に「していない理由(複数回答)」として、「仕事や家事が1亡しく時間がない」が58.6%でトップ。「きっかけがつかめない」が 16.5%。「費用がかかる」が5.9%となっている。
 また、どのような生涯学習の機会が増えればよいかという設問(複数回答)では「公民館など身近な施設の講座をもっと充実する」が 45.5%ともっとも多かった。
 公民館や図書館など生涯学習施設に対する要望(複数回答)のナンバーワンは、「夜間や休日でも利用できるようにする」が40.1%で、 時間や場所の点で利便性を求める声の多いことが判明した。

 1960年代以降、世界各国に普及したものに「生涯教育」というのがある。
 これは「生涯を通じて教育の機会を保証すべきである」とする教育観に基づいて行われる成人教育だが、平和で国民総中流化の進ん でいる今の日本では確実に生涯教育の機会は保証されているのに、生涯学習に対する国民の意識はあまりにも「おそまつ」といわざる を得ない。
 だいいち「生涯学習」とは人からいわれてするものなのだろうか、時間や場所やお金がなければできないものなのだろうか。
 人のためにする学習ならそれでもいいが、自分のためにする学習なら万難を排してもやりぬく必要があるのではないだろうか。
 「仕事や家事が忙しくて時間がない」というが、眠っている時間は何時間になるのか、食事をしている時間は、くだらないテレビを 見ている時間は何時間あるのか、1日は24時間もあるというのに。
 要するにやる気がないだけ、自分に甘えているだけのことだ。
 「きっかけがつかめない、費用がかかりすぎる」というが、これは単にきっかけをつかもうとしないだけのことであり、費用がかかる というけれど費用のまったくかからない学習だって考えればあるはずだ。
 更に「公民館など身近な施設の講座をもっと充実し、夜間や休日も利用できるようにしろ」に至っては甘えも程々にしろといいたくなる。
 将来何の役にも立ちそうにないそれらの人達のために国は大切な税金をびた一文たりとも使うわけにはいかないはずだ。
 生涯学習が何故必要なのか、「これからの社会では学校で学んだ後も、生涯、新しい知識や技能を学ぷことがますます大切になる」 と91.7%もの人が答えておきながら、「けれど私は仕事や家事が忙しいから、やりません」と答えた人が54.7%もいたという事実、何か 最近の日本人の弱点である骨の折れる仕事、疲れる事は一切やらない、常に小利口に立ちまわってとりあえず今日一日が何事もなく過ぎ ればいいという根性の現れのように思える。
 最初から、「ど一せダメ、ど一せムダ」という「負け犬根性」を曝け出しているのだ。
 そんな親に育てられる子供達こそいい迷惑だ。
 働き盛りの40代の人達が自分達の子供に良いお手本を示さないで、どうして子供に正しい教育ができるというのだ。

この総理府の統計一つとってみても日本の暗い未来を暗示しているように思えてならない。
 傲慢にも李鵬首相は「2015年までには、日本という国自体がなくなっているだろう」という発言までされている。
 政治家も官僚も、企業も役所も、警察も学校も、不祥事の発生のない日はなく、少年少女の心は荒れて疲れ果て、自殺・殺人・恐喝は 日常茶飯事。
 日本国民の恐らく99%が程度の差こそあれ一様に危機感は持っている。しかしそれではまず自分達の家庭から従来の悪習を少しでも 改善しようという努力は決してやろうとしない。
 仕事や家事が忙しいから、子供の教育まで手が回らない。それは社会や学校がやる仕事だ、と。

心理学用語に「デナイアル」という言葉がある。要するに、「見て見ぬふりをする」という状態のことを言うらしい。
 一番深刻な問題から目をそらして逃げようとする。
 一番大事な自分自身の問題ですら、じっくり考えようとしない。
 努力することを忘れてしまった日本人。
 吉田松陰は「狂夫の言」の中で「天下の大患は、その大患たる所以を知らざるなり。いやしくも大患たる所以を知らば、いづくんぞ 之が計をなさざるを得んや」と言っている。
 要するに、大変な病気を治すために最も必要なことは、大変な病気にかかっているという自覚を持つことだ、というのだ。
 自覚さえあれぱ、それなりの治療法もあるというもの。
 自覚症状のない病気は死に至る。
 生涯学習問題一つとってみても91.7%もの人が必要だと答えているが、本当に必要だと思っている人は殆どいなかったということだ。

それらの日本人の意識をどう改革したらい一いのか、大体、生涯学習の世論調査を何故文部省がやらないのか、学校を卒業した人達の 教育は文部省の管轄外なのか、政治家や役人、又は学者先生の栄典に関する業務でもやっていればいい総理府に調査をさせるから、 こんな結果になるのだ。
 正月早々つい過激なことを書いたが、気を静めて、とりあえず私自身の生涯学習をいかにしたら続けられるか、じっくりと考えてみる ことにしよう。