或る老犬の死
(2003年10月号)

7月28日、私達家族の一員だった16才の老犬(サルキー種・牡)が死んだ。
 大型犬の16才と言えば大変な長生きと言う事が出来る。
 従って彼の老いとの戦いは壮絶を極めたが、然し彼の老後の生きざまに私は何と多くのことを学ばせてもらったことか。
 死ぬ前の1〜2年間というもの、歯も抜けて物もよく噛めず、食欲もなくなった為に痩せ細って筋肉も削げ落ち、立ちあがるにも四肢を 八の字に広げて踏ん張り、やっと立っていられる様な有り様だと云うのに、最後の日迄全力を振り絞り、這うようにして用を足しに所定 の場所に行き、それが済むと又いざりながら毛布の処にたどりつくと、まるで朽ち木の様に「どさり」と倒れ込み、全身の力を振り絞って 空気を(むさぼ)り吸っていた。
 その様な状態にも関らず、彼は最後の最後まで自分の毛布の上には決して粗相はしなかった。
 畜生といえども自己の優越を証拠立てたいという自尊の本能があったのだろう、最後迄、決してプライドを失わなかった彼。
 その彼は、16年間という彼にとっての長い生涯を通して唯の一度も医者にかかったことがなかった。それは恐らく常に自然の成り行き に身をまかせつつ、彼なりに健康に注意していたからに違いない。

三木清も「健康というものは平和というのと同じだ」といったが、彼の心は常に平和そのものであったのだと思う。
 何故ならば彼は一度も歯をむいて怒ったことがなかったからだ。
 怒りという現象は、自分が人に軽蔑されたと感じた時に最もよく現れるものだから自信のある者は概して怒らぬものなのだ。
 謙虚に、然しあくまでも自分に厳しく、人には寛容にをモットーに、己を良く知り人を許すことを知っていたのかも知れない。
 又彼は一度もお腹が空いた、咽がかわいたと訴えるような仕種を見せたことがなかった。
 何かの都合で家の者が丸一日彼に餌を与えることが出来ずに、後で慌てて餌を与えても、人の見ている前では決して餌に近づこうとは せず「武士は食わねど高楊子」の精神を生まれながらにして持っていたのだと思う。

これらはサルキー種という高貴な血のなせる悲しい所業なのかも知れない。
 仲間の犬達(家には他に2匹の犬がいる)に対しても決して自己主張をせず、常に超然とした存在だった。かといって彼が仲間の犬や 私達に対してまったく無関心であったわけではない。
 恐らく彼は私達に余計な心配事や面倒をかけたくなかっただけのことだと思う。
 そして最後の日、あまりにも衰弱が激しいから暑い東京の夏は越すことが出来ないだろうと、そっと車に乗せて軽井沢につれて行こう としたその前日、皆の足手まといにならぬようにと、自分できっちりと毛づくろいまで済ませて家族の者達に見守られながら静かに16年 の生涯を閉じた。
 彼の一生は孔子の言う「(じょ)」の精神、 即ち思いやりの心を貫き通した美事な一生だと言わざるを得ない。
 その彼の生きざまの美事さ、私は彼に教えられる処があまりに多く、私には到底その真似は出来ないが、それでも私の老後は何とか 彼のように生きてみようと彼の死に顔を見ながら心に誓った。

自己の本来の生命を(まった)き姿で生かそうと努力するもの、その人こそが 人生肯定(こうてい)の道を歩いている人と言える如く彼こそは、まさに自分の 生涯を常に肯定しつつ歩いていたのだろう。
 人は誰でも美しく死にたいと思う。それは一種の感傷に過ぎないかも知れない。然し私はやはり彼のように美しく最後の最後迄誰にも 迷惑をかけずに死にたいと思う。
 それでも彼の死に顔は「大変に御迷熟をおかけ致しました、本当に有難う御座いました」と言っているように見えた。

人間は万物の霊長だという。
 それは思いあがった人間が勝手に決めた事。
 果たして彼は私達のことを、どう思い、どんな目で見ていたのだろう、自分の死期もわからず、本来の自分と向き合ったこともなく、 それを思うと本当に恥かしい。
 私達人間をなんと莫迦な生き物だろうと思っていたのかも知れない。
 人と人との愛には偽りがあり、裏切りがある、然し、犬の愛は絶対だと思う。
 私達家族は彼に対する愛が深かっただけにその悲しさ、寂しさも大きいが然し、彼に対しては一辺の悔いもない。
 私達家族の献身的な看護の裏を返せば、彼がつぐな私達に示した16年間の愛に対する当然の(つぐな )いであり、私達家族のささやかな感謝の現れに過ぎなかったのだ。

− 合掌 −