2002年の暮れ、2年がかりで準備したヨ一ロッパの個展がベルギーの運送会社の認識不足から中止せざるを得なくなり、これ迄の
努力は一体何だったのか暫しの間、虚脱状態に陥ってレまった。
然し、個展を取り止めたからといって何も西村が死んでしまったわけではなく、がっかりしている暇があるのなら、そのような消極的な
考えを捨てて、これは自分自身をじっくりと見つめなおす絶好の機会を仏様が授けてくれたのだと気をとりなおして、もう一ふんばり
頑張ってみることにした。
ところが、いざこれからの創作をどのように進めるべきか、自分の限界に再度挑
もうという強い意志はあるものの現実の問題として、こういうものを創りたいという具体的な姿がどうしても見えてこない。
これではいけないと焦れば焦るほど、その溝は深まるばかり。
その上、毎月のことながら月の15日が近づくにつれ今月の「コア」には何を書こうかと落ち着かなくなってくるのだが、今月は特に
彫刻の方の焦りと重なって八方塞がりの状態になってしまった。
そして、ニュアンスは若干違うけれど、文章も書けず彫刻も思うような作品が出来ないような状態のことでも「
推敲
」というのだろうか等と、つまらぬことまで考えてしまった。
然し、何故文章や詩の字句を幾度も練り直して苦しむことを「推敲」というのか不思議に思い調べてみると面白いことが判って一つ
利口になった気がした。
それは今から千年余り昔、唐の時代に賈島
という若者が受験の為に唐の都・長安にやってきたが、或る日のこと騾馬
の背にゆられながら何とか良い詩が出来ないものかと思案の末、やっと「僧は推
す月下の門」という句が浮かんだが、「推す」を「敲
く」にした方が良くはないかと迷いながら騾馬の上でしきりに手を動かして推したり敲いたりの格好をしているうちに夢中にな
りすぎて、事もあろうに、長安の知事の行列の中に割り込んでしまった。
当時の中国で知事の行列をみだすということは、日本では大名行列の供先
を遮るようなもので、下手をすると即刻打首獄門にもなりかねない。真青になった賈島は何故このようなことになったのか、
その理由を懸命に説明したところ、幸いにも長安
の知事、韓愈は有名な文豪でもあった為、それなら「敲く」の字がよかろう
ということになり、二人はそのまま轡を並べて詩について語り合ったと
いう故事からとったとされている。
彫刻といわず原稿といわず、私の今の現状を救ってくれる韓愈知事のような助っ人が現れないものかと恨めしく思いつつ、それでも
せめて彫刻だけは目鼻をつけたいものと、あれこれ理屈で考え、理想を描き一応の結論を出したつもりで、いざ彫刻に取りかかってみた
ものの、どうしても自分の作品を批判的にしか見ることが出来ない。
どうやら彫刻というものは詩や文章と違って頭で考えても埒があかぬものらしい。
彫刻の厚みや量感、更には質感等というものは頭で考えるものではなく、実際に粘土を指や手の平で何度も何度も押し込むところか
ら生まれるものなのだ。
要するに、常に頭と目を働かせ、粘土と格闘する以外に道を拓くことは出来ないらしい。
禅僧が跌跏し、瞑想して悟りを開くのとはわけが違い、「読書百遍意
自から通ず」の心がまえが
大切だということがよくわかった。
結局、毎日毎日祈るような気持ちで粘土に立ち向かい試行錯誤の結果、或る日突然新天地が拓けることを願うしかないのだ。
つい先頃このことを親しい女性の彫刻家に話したところ、そのような自分の作品に行き詰まりを感じている時、或る日突然光明が見
えることを、女性の彫刻家仲間では「天使が舞い降りて来た」というのだと教えてくれた。
男の彫刻家には想像もつかない実に良い表現だと感心すると同時に、私の頭に今月の「コア」はこれで行こうという考えがひらめいた。
これはきっと何を書こうか、何を書こうかと毎日頭の片隅で考え続けていたことへの天使のご褒美に違いない。
これでどうやら今月号も目出たし目出たしということになりそうだ。
彫刻の方も、いずれそのうちに「天使が舞い降りてくる」ことを期待しつつ粘土と格闘することにしよう。あまり焦らずに。
−以上−