林 住 期(りんじゅうき)
(2003年6月号)

インドでは人の一生を「学生期(がくしょうき) 」「家住期(かじゅうき) 」「林住期」の三つに分けて、それぞれの時期に悔いの残らぬようベストをつくすのが理想的な人生のあり方だとする思想がある。
 「学生期」とは読んで字の如く、いろいろな人に師事して人生の何たるかを学び、物事の是非善悪や人間として生きてゆく上で必要な 学問・知識を身につける時期であり、「家住期」は家族全員仲良く幸福な家庭を築く為に、先祖を祀り、はっきりとした職業を持って 仕事に精を出し、社会の一員として立派に暮らしてゆけるよう努力する時期だという。
 そして最後の「林住期」とは、それ迄の世俗的な生活から離れて、一人静かに森の中に住んだり、又は所定() めぬ遍歴修行をする禅僧(雲水)の様な生活を通して、その中で人が老境に入ったときどのような生き方をすべきかを、しっかりと見定める 時期だというのである。
 それを聞いた時、私は「学生期」「家住期」の二つの時期を卒業したと思った時点で、楽しい家庭や仲間達とのつき合いを捨てて、 「ハイ、今日から私は一人になって林住期に入り、いかに老後を有意義に過ごすかを真剣に考えさせていただきます、では皆様さよう なら」というような器用な生き方は到底出来そうにないと思った。

ところが生憎、還暦を迎えた年に日頃の無理がたたって持病の心臓病が悪化し、医者におどかされ、あまり長くは生きられないと悟 った時、たまたま長野の山中に芸術家の友人が建てた家が売りに出た。
 以前から、その家を気に入っていた私は、「林住期」のことも思い出し、限りある人生であっても何とかもう一仕事して、私の人生 これで良かったと自ら納得したいと考え、その家を購入した。
 そんなことをすると「林住期」が「臨終期」になりはしないかという一抹の不安はあったものの、美しい雑木林の、車一台がやっと 通れる獣道(けものみち) のような細い道の奥に、ひっそりと建つその家は、心臓手術の前後の約半年間たしかに私の精神を安らげる絶好の場所となってくれた。
 特に玄関の前にひときわ高く聳える唐松と赤松の二本の老木のそばに立つと、自然とすがすがしい気分になり、手術後の体力の回復 にも非常に効果があり、第二の人生に対する意欲も湧いてきた。
 特に老木から発散する素晴らしい「気」は、優しい心を生み、包容力のある大きな愛のエネルギーを感じ、私もいつか此の老木のよう に私がそこにいるだけで周囲の人の心がなごむような、例えば空気清浄器のような老人になれたらと思ったこともあった。
 然し、手術が成功し、以前にも増して健康な体をとりもどしてみると、現金なもので、やれ彫刻だ、馬術競技だと老後のこと等悠長に 考える(いとま) もなく、従ってその後長野の家には白然と足が遠のいてしまった。

ところが2年程前、あまり御無沙汰しているのも物騒だと、夕方から思い出したように車で出かけてみると、家の周囲の美しい雑木 林はすっかり切り開かれて、丸木小屋や黄色や緑の家が何件も建ち、昼なお暗きはずの我が家が、月の光に照らし出されていた。
 その上、私の家の敷地内に境界線として植えていた幹の太さ5〜60糎もあった唐松が数本、その下枝が道路づくりに邪魔になったと みえて無惨にも根本から切り倒されて跡形もない。
 これは明らかに法律違反だと憤慨しながら家に入り、2階に上がってみると、なんと今迄まったく見えなかった浅間山が2階の窓 一杯に、まるで墨絵の如く浮びあがって見えるではないか。
 一時は、これでは林住どころか東京の家の方がまだ林住になる、どこの不動産屋か知らないが、一つ裁判で目にものみせてくれんと 意気込んだものの、美しい浅間山を目の前にした途端、私の戦意はあとかたなく消滅してしまった。

この家は手術の後何回かは自分の生き方に疑問が生じた時、一人その家に泊まって手術前後の、死ぬかも知れないという思いと戦っ たり、生きていて良かったという感謝の気持ちが新たに蘇ってきて、たしかに心のリフレッシュ効果はあったのだが、この周囲の環境 が変ってはその効果も薄らいでしまった。
 元来依頼心の強い私のこと、世捨て人となる気など毛頭なかったが、それでも一時(いっとき) 、老後は住む環境を少々変えて、粘土でもいじりながら、自ら納得した人生を送りたいと考えたこともあったが、これでその夢も果敢なく 消えてしまった。
 然し、これも考えようによれば仏様が「お前にはそんな生き方は向いていない」と私からそれを取り上げてしまったのかも知れない。

かくして私の臨終期ならぬ林住期は遠のいたが、結局私は芭蕉の臨終の句ではないけれど、「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の 方が性にあっていたのだ。
どだい老境に入ったと感じた時点で、今迄の世俗的な生活を総て捨てて一人山中にこもり、何を考え、何を悟ろうというのだ。
 「色即是空・空即是色」等と悟ってみたところで、それが一体何の役に立つというのだ。
 いくら長生きをしても人生余った命(余命)等あろうはずもなく、まして仏様から与えられた命(与命)なら、尚更大切に使わねばならず、 生かされている命なら、いつでもどこでも、その時その時の正念場のはずだ。それが仮に割りに合おうが合うまいが。
 60年間乗り続けた馬、その馬術を通して知った馬の美しさを、何とか彫刻として後世に残したい、それが私の天命だと信じていたはずだ。

馬の彫刻、これが私の天命だと信じて我が道を行く処に老後の生き甲斐が生まれ、幸福が生まれる。幸福への道は自分の前にあるのでは ない、自分の後ろに自ら創り出すものだと信じたい。
 唯、我武者羅に馬の彫刻を創り続ける、これが私の林住期であり、林がなくても心の中の美しい雑木林に一人座って彫刻を創ることも 出来る様な気がした。
 然し、ひょっとすると私の林住期は、いつの日か私が臨終を迎え棺桶におさまってから、やってくるのかも知れない。