塞 翁 が 馬
(2003年3月号)

禍福は(アザナ)える縄の如し。
 人生の禍福、幸不幸は定まりなく、変わりやすいものだから、いたずらに喜んだり悲しんだりすべきではないという 喩えに「人間万事塞翁(サイオウ)が馬」というのがある。
 昔中国の偏狭の(トリデ)近くに占いの得意な老人が住 んでいた。或る日彼の飼っていた馬が逃げたので近所の人達が見舞にいくと、彼は「これできっと良い事がおこるだろう」 と言った。果たして、しばらくするとその逃げた馬が見事な若馬を連れて帰ってきた。人々が早速お祝いを言うと、今度は 「これは不幸の基になるだろう」と言う。老人の家では何頭もの馬を飼っていたが、彼の子息はその連れてこられた若馬から 振り落とされて足を折ってしまった。人々が気の毒がってお見舞を言うと、今度は「これできっと良いことがおこるに違 いない」と老人はつぶやいた。
 それから間もなく隣国との間に戦争がはじまり、村の若者達は皆弓矢で戦ったが、戦い利あらず、若者達の大半が戦死してしまった。
 然し、彼の子息は足が不自由であった為に戦わずにすみ、親子ともども無事だったという大変に結構なお話なのだ。

それはさておき私の方は、不運にも2年前から自分なりに一所懸命に準備をしてきたヨーロッパで彫刻の個展を中止せざる を得ないという事態に立ち至った。
 その理由(ワケ)は、去年の暮れ、彫刻を船積みする間際になって 私の依頼した日本の彫刻専門の輸送会社が、日本からベルギーまでの輸送は責任を負うけれど、現地の運送会社を調査した 結果、ヨーロッパ各地の個展会場で搬入搬出を繰り返すとなると、'その間の彫刻の安全は 覚束無(オボツカナ) いという結論に達したからだ。
 かくして馬術の本場ヨーロッパでの私の作品の真価を試す絶好の機会は中止となり、大袈裟のようだが、我が人生の 集大成だと意気込んで創作に励んだこの2年間の私の努力は総て水泡に帰してしまった。

アトリエと車2台分のガレージを占領している23基の等身大に近い馬像を前に、私は暫し全身の力が抜けて次の創作意欲を 失い、果たしてこれから先、今迄のような情熱を燃やして創作活動を続けることが出来るだろうかと不安になった。
 然し、よく考えてみると、私の馬像創りの原点は、今日の私を育ててくれた馬に対する恩返しとして本当に美しい馬の姿 をこの世に残したいという純粋な気持ちから出発しただけのことで、決して人に見せる為の彫刻ではなかったのだという ことに気がついた。
 唯、現実の問題として、この馬像をどこかに移動しないことには、我が家の自動車は2台とも玄関前を一杯にふさいで 不便この上なく、だいいち彫刻を創る場所もない始末。
 そこで取り敢えず以前世田谷の馬事公苑から持ってきた4基の馬像を元の場所に置かせてもらうべく馬事公苑の苑長に 交渉に行った。
 すると苑長は、折角そこまで作ったのなら馬事公苑の資料館に全部陳列してはどうかという有難い話になった。

まさに「禍転じて福となる」とはこのことで、2屯トラック4台分の馬像は、かくして目出たく資料館に搬入され、 それぞれ特註の立派な台の上に飾られることとなった。
 今迄この23基の原型は総て馬の首・胴・足・尻尾が別々になっていたものを、個展の為にわざわざ組立てて銅像のように 着色したもので、個展の話がなければ恐らく未来永劫にばらばらのまま鋳造屋(イモノヤ) の倉庫で陽の目を見ることはなかったに違いない。
 又、仮にヨーロッパに持っていった場合、ベルギー・オランダ・ルクセンブルグと展示場を転々としているうちに、 何本かの原型を気に入ってくれた人がいて、ブロンズにしてくれと言われたら、その原型をイタリアに送り、 再度頭・胴・尻尾ときりはなして鋳造せねばならず、結局原型の大半はヨーロッパのどこかで散り散りになって、二度 と今回のように一ヶ所にまとめて陳列すること等出来なかったはずである。
 幸か不幸か個展が中止になったお陰で、日本馬術の殿堂ともいうべき馬事公苑に私の記念館が出来たようなもので、 まさにこれを「塞翁が馬」といわずしてなんであろう。

人生は旅だと人はいう。
 元来、英語の「トラベル」という言葉は、「トラブル」から派生したといわれるように、人生のトラベルにはトラブル がつきものなのだ。
 今回は幸運にも結果オーライとなったから「塞翁が馬」等とすましていられるが、万一馬像の引き取り手がなかったら、 この2年間の私の努力はまったくの「骨折り損の草臥れ儲け」となるところだったのだ。
 塞翁が馬の喩は、私の解釈では、不運を不運ととらえて諦めずに、その不運を逆手にとって自らの力で運を切り開く 為の努力をするところに意義があるのだと思っていた。
 ところが塞翁の場合、彼自身何の努力もしていないのに勝手に幸運がころがり込んできたわけで、私の場合も塞翁と 同じく馬事公苑の苑長の一言によって運が開けただけのことなのだ。
 然し、私はこの事実を唯、「運がよかった」との一言で片付けてしまってはいけないような気がしてならない。
 古風なようだが、最近の世界情勢や心臓の悪い私の健康を心配した御先祖様の深慮遠謀によって個展を中止させ、 更にその展示場まで用意してくれたように思えてしかたがない。

もうすぐ春のお彼岸がくる。先祖より伝わったお彼岸という行事は、私達にとって自己をみつめなおすよい機会であり、 身にふりかかるいろいろな試練をじっくりとかみしめてみる絶好の機会だと思っている。
 私は今年もお彼岸には個展の中止と馬事公苑の件を有難しと受けとめて、感謝の心をこめて仏前に手を合わそうと考えている。
                           −合掌−