は じ め に

 1990年春、私は久しぶりに会った日本設備工業新聞社のN社長と新宿の天麩羅屋で一杯やりながら、昔話に花を咲かせていました。
 飲むほどに酔うほどに、お互いけっして嫌いではない競馬の話になり、その分野ではいささか専門的知識のある私は、社長に請われる ままに競馬場のパドックでの馬の見方や理想的なサラブレッドの体形等の絵を描きながら説明したところ、ぜひそのような肩のこらない話 を今度新しく出版した月刊誌に載せたいから、毎月四百字詰め原稿用紙に六〜七枚書いてもらいたいという話になり、酒の酔いも手伝って、 それでは「馬」に関して一般請けのしそうな話を、半年程書かせて頂こうということになりました。
 こうして1990年5月号より掲載された「馬耳東風」は、素人の悲しさ、最初の三〜四か月はまさに生みの苦しみを味わったものの、 そのうちにだんだんと文章を書く楽しみが湧いてきて、いつの間にか三年半がたちました。
 当然私の拙文も四十数回になったため、1994年1月『馬耳東風」(馬に憑かれ五十年)と題して一冊の本にまとめました。
 それから更に四年、月刊誌に連載された「馬耳東風」も現在すでに九十回、もう少しで百回にならんとしています。
 そして幸せなことに、いろいろな人達からのお勧めもあって、「豚も煽てりゃ樹に登る」の譬えではありませんが、「馬が樹に登った」 つもりで、今回二冊目の『馬耳東風」を出版する決心を致しました。
 この本も一冊目同様、馬耳束風と聞き流し、読み流して頂ければと思いますが、私の生涯学習のために、万一御意見、御批判等頂けます なら、これに過ぎる喜びはありません。
 なお、既刊の『馬耳束風」のお陰で現在、日本中央競馬会競争馬総合研究所発行の雑誌「馬の科学」にも掲載させて頂くようになり、 これまた私の心の遍歴の記録としていつまでも続けたいと考えております。

    「年々歳々花相似たり
     歳々年々人同じからず」

 唐の詩人、劉廷芝(りゅうていし) の「白頭を悲しむ翁に代わる」と題する詩です。
 七十歳に手のとどく白頭の翁の私ではありますが、何とか毎月の寄稿によって「歳々年々人同じからず」といきたいものだと願っており ます。

(1997.7)