6.経済分析の歴史 東畑精一訳、岩波‡店、全七巻、一九五五−一九六二。

 
平和主義者であったシユンベーターは、日米間の雲ゆきがあやしくなりはじめ、ついに開戦となった一九四一年頃から、本書の執筆を始めた模様である。これに先だつて、すでにハーバード大学で経済思想史の講義を行っており、戦争中のなぐさめということも手伝って次第に筆が進み、ついに今日見るような大冊となった。彼の1950年1月の急逝の時までに、ほとんど完成に近い状態であった原稿を整理し、出版にこぎつけたのはエリザベス・ブーディー夫人であった。しかし彼女も、編集者としての責任をほとんど果たし、シュンペーターに代わって「序文」を書いた段階で他界し、索引はさらに別人の手にまかされ、実際の出版は1954年となった。従って本書は、シュンペーター夫妻の遺著と言える。1200名を超える歴史上の人物を論じ、一貫して「経済分析の歴史」つまり「経済現象を理解するために人間が試みてきた知的努力の歴史」ないしは「経済思想の分析的ないし科学的側面の歴史」を書き連ねたものである0したがって経済学の歴史において、たとえ大きな影響力をもった経済学者の思想や政策論も、このような分析的側面をもつものでなければ本書においてまったく取り上げられないし、逆に従来の経済学史にはほとんど顔を出さないような人物であっても、シユンベーターのスポット・ライトを浴びて大きく浮かび上がってくることもある。
 したがって、このようなことから本書に対してはさまざまな批判が可能であろう。たとえば過去の標準的とみなされる学史を十全なものと考える論者は、明らかにリカードやマーシャルに対するシユンベーターの取り扱いを批判することになるであろうし、またスミスに対する評価の仕方に疑問を投げかけるかもしれない。さらにこれはシユンベーターの特徴であるのだが、ある種の特殊性を引き出し、それを評価しすぎる面が、時として読者の誤解を招くこともあるかもしれない。
 だがマルクスにも劣らぬシユンベーターの博覧強記は、そのような批判を越えて読者を引きつけずにはおかない。本書はその意味でいろいろな読み方が可能である。もちろん専門家に最も多く引用され、今日では『経済分析の歴豊からの引用がひとつのスタンダードにすらなっており、この点からも本書は今後一層重要性が高まる書物となるであろう。また一般の経済学徒が、日本ではあまり親しみ探くない中世のスコラ哲学やローマ法、あるいはその頃の南欧の経済学の発展などに接するのは、知的満足を得るという点からも楽しい読み物となるかもしれない。
 シユンベーターの愛弟子である東畑精一によって、この大著が日本語に移されたということは、われわれにとって大きな幸せと言わなければならない。なぜなら翻訳は愛情と尊敬があってはじめて十全たりうるからである。
原著にはなく、翻訳書にのみ挿入された人物の写真や書物のタイトルページの写真は、読み進む上での疲れを取り除いたり、ページを繰る楽しさを教えてもくれる。
最後に訳者の次の一文を引用しておこう。「邦訳の合計二千五百ページ、一時間に二十五ページずつ静かに読んで合計百時間の読みもの。関心をいだく読者があれば、せめてそれだけの時間をこれに費されることを希望したい」(東畑精一「農書に歴史あり」家の光協会、二六三ページ)。

シュンペーター主な著書と解説