5.資本主義・社会主義・民主主義
中山伊知郎・東畑精l訳、東洋経済新報社、全三巻、一九五一−一九五二、改訂版、一九六二。合本、一九九五。

 
およそ経済体制とか、あるいは資本主義と社会主義という問題は、その論者のイデオロギーを表明することが急であったり、かりにそうでなく客観的な態度を貫くと明言してとりかかったとしても、結局は自己の好みや願望に強く支配されやすい性質のテーマであると言える。したがって、このような問題は、ジャーナリスティックにはしばしば取り上げられるものの、科学的な領域で本格的に論じられることは少なく、かりにあったとしても、せいぜい二流の仕事としか認められないというのがこれまでの事実であった。
 本書は主著『景気循環論』(一九三九)を発表した後、シユンベーターとしては比較的軽い気持ちで書いたということも手伝って、わが国においては、出版されてからしばらくの間は、シユンベーターの経済学の中で比較的低い価値しか認められていなかった。しかし訳者序文にもみられるように、そしてサムエルソンが、マーク・トウェインの話を引き合いに出して絶賛していることからも明らかなように、この書物は決して安易な、そして気軽な読みものとして書かれているわけではない。事実はまさにその逆であって、純粋理論を学び、それの限界を軽な読みものとして書かれているわけではない。事実はまさにその逆であって、純粋理論を学び、それの限界を見極め、経済学とは何であるのかを明らかにしたシユンベーター体系の結論とも言うべき重要な文献である。
 多くの人びとがこの種の問題を論じようとする意欲を持ちながらも、十分にそれを果たしえないのは、結局は素質の問題に帰着するのであろう。まれにみる読書家であり、しかもめぐまれた才能の上に、非常に自己に厳しい努力家であったシユンベーターは、こうしたテーマを論じるに最もふさわしい第一級の人物であったと言えよう。
 社会主義の実現を展望するという点においてはマルクスに近い結論をもちながら、資本主義はゆきづまり、崩壊し、社会主義が誕生するというのではなく、資本主義は大いに成功し、それ故に社会主義へ移行するというシユンベーターの見通しに対して、それが正しいとかあるいは誤っているとか判断するのはむずかしい。シユンベーター自身はその心情において、決して社会主義社会を好むものではなく、むしろ古き良き資本主義ないしは貴族社会を自分にとって住み心地のよいものと感じていたが、彼自身による科学的分析の結果は、条件づきであるとはいうものの、皮肉にも社会主義は資本主義の次に到来すべき体制であるというものであった。
 しかしわれわれにとっては、このような結論は第一義的たりうるものではない。というのは、われわれは分析そのものにまず注目して熟読すべきであるからである。本書はそれに十分に応えるだけの質と量をそなえているということは付言を要しないであろう。

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