4.景気循環論 吉田昇三監修、金融経済研究所訳、有斐閣、全五巻、1958〜1964。

 マルクスの場合には『資本論』、ケインズであれば『一般理論』というように、経済学の歴史にその名を残すほどの経済学者の場合には、誰でもが一致して主著ないし代表作を一点だけ挙げることができるのであるが、シユンベーターに関しては、この原則があてはまらない。彼の主著を『経済発展の理論』としても、あるいは 『景気循環論』としても、また『経済分析の歴史』としても、いずれも誤りとは言いえない。その意味から 『景気循環論』を、ここでは彼の主著のひとつと表現しておきたい。
 かつて中山伊知郎は、二巻、千二百ページからなる原著の出版を「巨艦の進水」をみるようだと表現されたことがあったが、それは決して過剰な形容ではないように思われる。シユンベーターは彼の生涯でも最も充実していたアメリカ時代を中心に、長い歳月をかけてあらんかぎりの意欲を振りしぼり、努力を傾けて本書を書き上げたのであったが、出版後の評価は著者であるシユンベーターの期待を完全に裏切ってしまうものであった。その最大の原因は、本書に先だつて一九三六年に、ライバルと自ら認めていたケインズの『一般理論」が世に問われ、シユンベーターはその後塵を拝する形となったという点があげらたのであったが、出版後の評価は著者であるシユンベーターの期待を完全に裏切ってしまうものであった。その
最大の原因は、本書に先だって完二一六年に、ライバルと自ら認めていたケインズの『一般理論』が世に問われ、シユンベーターはその後塵を拝する形となったという点があげられる。
都留重人がサムエルソンの言葉として紹介する妄によれば、「『一般理論』は、あたかも南洋諸島の孤立した原住民族を突如としておかして死滅させる疫病のように、三五歳以↑の経筆者の大部分をとらえた」ほどで、一九三九年に出版されたシユンベーターの『景気循環論』は、ケインズの嵐の前で人びとの注意を惹きつけるには至らず、彼を大いに落胆させたのであった。さらに悪いことには、何よりも本書は大冊のため専門家ですらたった一度の通読をも厭うほどで、しかもかりに読み終えたとしても、そこから何らかの役に立つような政策的提言とか有効なコメントは一切見出すことはできないのであり、その意味で読者の失望は大きなものとなるのである。
本書はシユンベーターが明言しているように、一般の読者の理解を得やすくするために、その表警毒気循
環論』としたのであるが、実はその副苧ある「資本主義過程の理論的・歴史的・統計的分析」こそ、彼の真意を示すものとなっている。全体の五分の一が理論、五分の三が歴史、残りの五分の一が統計的分析に当てられている。理論部分は『経済発展の理論』が受け継がれており、彫警加えた形となっている。本書における圧巻は、なんといっても歴史的分析であり、全体に対して占める割合からみてもシユンベータJの意欲がうかがわれるところである。彼はシユモラーの歴史的細目的研究を高く評価しており、本書はその影響を強く受けたものとなっている。
初版以来半世紀以上もの歳月が流れたにもかかわらず、本書についての本格的な研究はいまだに行われていない。おそらく巨人シユンベーターの頭脳に近い研究者の出現を待つか、1記の三分野についての専門家の共同研究を待つ以外に、このシユンベーターの山を征服することはできないのではないだろうか。彼は次のように述ベている。「経済学者の若い世代は本書をたんに射撃目標や出発点として一層の研究のための誘導的な予定表としてみてもらいたい」と。そして、「本書は結論を追うためにざつと目を通すことはできない。本書はとり組まれるべきである」と。偉大な教師としてのシユンベーターの遺志は、まさしくこの一文に凝縮されている。
『景気循環論』は、これからの本である。

シュンペーター主な著書と解説