シュンペーター主な著書と解説

1.理論経済学の本質と主要内容

 「一つの思想を考え抜くことは、その結果としてただその不必要さが判るという時でも、尚一つの功績でありまた必要であろう。かくてわれわれは真摯に各々の理論を理解することに努める。克服をではなく理解を、批判をではなく習得を、単なる肯定或いは否定をではなく分析と各命題における正しきものの抽出とをわれわれは欲する。」

これはシュンペーター教授がその二十五才の時の大作『理論経済学の本質と主要内容』(一九〇八年)の序言にある一節である。若きシュンペーターのこの言葉に激励されながら、私ははゼミナールで伊藤善市教授(当時山形大学助教授)から近代経済学を学び始めた。ハロッドの名著『動態経済学への途(一九四八年)をはじめジョーンロビンソンの「資本蓄積論」(原書)ケインズの「一般理論」中山伊知郎「純粋経済学」シュンペーターの「経済発展の理論」などを読んできた。

シュンペーターは1906年に、23歳でウイーン大学を卒業し、その後ただちにイギリスへ遊学を試み、翌年にエジプトへ渡り、カイロで女王の財政顧問となった。このエジプト滞在は、1908年までの短いものであったが、この時25歳で本書を書き上げた。この若さで今日にまでも残る名著を著したシュンペーターは、実はそれの執筆に際して、ほとんど参考にすべき文献を手許に用意出来ぬまま筆を運んだと言われ、その才能の豊かさと早熟に比肩しうる経済学者はおそらくいないだろう。シュンペーターが経済学を学んだ当時のオーストリア学派は、メンガーがすでに引退した後で、第2世代たるベームバベルクやヴィーザーによって指導されていた。シュンペーターはその下で限界理論を学びながら、他方においてワルラス流の経済学をも身につけ、両者の統合の上に立つべく研究を重ねていた。この立場は、単にベームやヴィーザーにとどまるものでなく、広くマーシャルからクラークまでをも包み込むものであり、その意味から本書は、その表題が示すごとく、当時の理論経済学の主要内容全てを盛り込んでいる。

全体は五つの部分から構成されている。まず、基礎理論として交換が論じられ、次に静学的均衡の問題、すなわち価格、貨幣、帰属理論が取り上げられ、第三に分配論が展開される。そして、変化法と純粋理論の価値ないし意義とその発展、換言すれば、純粋経済学に対する限界が詳細に検討されている。
シュンペーターは、当時大きな力を持っていた新カント派の認識論を避けてマッハ流のプラグマティズムを採用した。それは経済学が科学として独立するためには、学派的な相違や価値観の対立に固執すべきでなく、一切の党派的立場を捨てて、社会科学の領域内において精密な取り扱いがどこまで可能かを問うところからきている。従って、そこに描かれるものは、従来理論と呼ばれていたものが、どうして経済学ではないのかということの論証であり、そのような浄化作業を経た後に残されたわずかばかりのもの、即ち財の交換関係に理論経済学の本質を見出すのである。

このような書物は多くの人々の興味を引くことはないだろう。その意味では本書は過去の経済学の歴史中にあるものといえるかもしれない。しかし「方法論争」のさなかにあって、多くの研究者たちが右往左往していた時代に、これほど明解に理論経済学の本質を示しえた若きシュンペーターの面目躍如、しかもその先に経済の動態に関する理論を構築しており、シュンペーター体系の基礎をなすものであって、今日においても依然としてその重要性は失われていない。