原告第4準備書面

以下は、2003年9月11日に提出した準備書面である。機種依存文字の丸付き数字は[ ]付き数字に、固有名詞は必要に応じてイニシャルとした。

 第1 被告準備書面(4)に対する反論

 第2 被告Sの陳述書(乙A4号証)に対する反論


第1 被告準備書面(4)に対する反論

1. 1)項について

(1) 平成11年6月29日施行した心エコー、心電図検査は、脳外科S教授から浮腫増強の指摘があったからであり、被告は被告準備書面(4)において、この事実を省略し、まるで被告Sが自らの判断で施行したように記述しているが、これは誤りである。

また、被告の後に主張する心不全による浮腫の可能性を否定する目的は、後から付け足したものと原告らは考えている。

(2) 被告の、亡E子の全身状態や食欲が比較的良好であった、との指摘は、全く根拠がない。亡E子が「何を食べてもおいしくない。味の素の味がする」と言うと、被告Sは「エマベリンのせいかな」と言った。ちなみにこのときはエマベリンを服用していない。被告Sは何かにつけてエマベリンの原因にしていた。

(3) 下肢浮腫が右心不全によるものであるとの診断が遅れたのは、次のような理由からである。

 [1] 平成10年12月26日(救急外来)のカルテに、下肢浮腫増強と記載があるが(乙A1号証333)、被告Sがその記載に注意を払わなかったこと。

 [2] 下肢浮腫について、最初から年齢からくるものと決め付け、問診、触診も行わなかったこと。

 [3] 下肢浮腫の原因として、右心不全を疑わなかったこと。

 [4] 収縮期心雑音(平成11年4月20日外来時)について、三尖弁逆流を疑わず、異常とも判断しなかったこと。

 [5] 心エコー検査を実施しなかったこと。
 被告Sのように、胸部X線写真の読影ができず、心電図の右心負荷所見が読めないのでは、心エコー検査を実施し、放射線科 医師の所見が加わらない限り、診断が遅れるのは当然である。即ち、被告S一人では無理だったのである。

このように、右心不全の診断はあまりにも遅過ぎたのである。

2. 2)項について

被告医院では、「慢性肺血栓塞栓症」と「末梢肺動脈の血栓」は剖検の結果分かったことである。

亡E子の生前中、被告医院の医師らが「慢性肺血栓塞栓症」と「末梢肺動脈の血栓」について触れることは一度もなかった。

3. 胸部X線写真の読影ができなかったことについて

右肺動脈下行枝径について、被告は被告準備書面(3)で18mm未満と主張し、被告準備書面(4)では初診日については16mm、平成11年4月20日は17mmと主張している。

原告らは、原告準備書面(第三)で、胸部X線写真読影の常識として、右肺動脈下行枝の径が15mmを超える場合は肺高血圧症であると指摘した。重要なことは、被告の回答がこの15mmの数字を超えているかどうかである。

被告は16mm、17mmと記載している。これは、前述のように、肺高血圧症を示唆する異常所見である。循環器内科初診日から、胸部X線写真で肺高血圧症を示唆する異常所見があり、更に心陰影の拡大があり、亡E子が肺高血圧症であったことを、被告が事実上認めたのである。それ故に苦し紛れの言い訳をしている。

胸部X線写真の正面像においては、右肺動脈は他の構造物と明瞭に分離されるため拡大が認識されやすい。にもかかわらず、被告Sはこの肺動脈拡大所見を読影できなかったのである。

4. 心電図の右心負荷所見が読めなかったことについて

被告は、外来診療経過表と被告準備書面(3)で、心電図での右心負荷所見があったことを認めたが、そのほとんどはカルテに記載なく、被告S及び循環器内科T医師が読めなかった所見である。

詳しく書くと以下の通りである。

平成10年12月15日(初診日)  肺性P波(読めなかった)
平成10年12月26日(救急外来)  肺性P波(読めなかった)
 III,aVFの陰性T波(乙A1号証334)
 胸部誘導の陰性T波(読めなかった)
 V5の深いS波(読めなかった)
平成11年6月29日  右軸偏位(乙A1号証361)
 肺性P波(読めなかった)
 V5の深いS波(読めなかった)

平成10年12月15日と12月26日の心電図とでは、明らかな変化がみとめられる。このわずか10日余りの間に、急激な右心負荷が起こったのである。これは12月15日から開始したβ遮断薬の投与が原因である。

平成11年6月29日、心エコー、ドプラー検査で、肺高血圧症、右心不全が明らかになったが、被告Sは、同日施行した心電図検査での肺性P波とV5の深いS波の右心負荷所見が読めていない。

従って、肺高血圧症という結果を知っても、被告Sは右心負荷所見が読めなかった。

被告の、原告らの主張は亡E子が肺高血圧症であったという結果を前提にするものである、との指摘は、肺高血圧症とわかっていたら、胸部X線写真の読影はできるし、心電図の右心負荷所見も読めると主張したことと、同じである。

しかし、胸部X線写真、心電図などの検査は日常的にいつでもどこでも行える検査であり、肺高血圧症を疑うに至って初めて実施される検査ではない。

また、被告の、医療は結果を知って行われるものではない、との指摘は、一般論としてその通りである。しかし、被告の場合は、開き直りであるとしか理解できない。

上述したように、被告Sは肺高血圧症であったという結果を前提にしても、心電図の右心負荷所見が読めなかった。

被告S及び循環器内科T医師(救急外来)は、右心負荷所見が全然読めなかった。

これが、亡E子にとって致命的な結果をもたらした。

5. 外来診療において的確な診断ができなかった理由と結果回避可能性について

(1) 初診時の平成10年12月15日、胸部X線写真での肺高血圧症を示唆する異常所見があったにもかかわらず、胸部X線写真の読影ができなかった。

(2) 平成10年12月15日から心電図では右心負荷所見が認められるが、被告S及び循環器内科T医師は、右心負荷所見が全然読めなかった。

(3) 下肢浮腫は、平成10年12月26日に循環器内科T医師がカルテに記載しており(乙A1号証333)、下肢浮腫が右心不全によるものとの診断が平成11年6月29日であったことは、あまりにも遅すぎたのである。

(4) 亡E子がどんなに積極的に訴えても、亡E子の症状を年齢からくるものと決めつけ、β遮断薬の投与に固執する被告Sには結局通じなかったのである。

結果、被告Sと循環器内科T医師の診断レベルの低さと、被告Sの単純かつ短絡思考によって、亡E子は貴重な6ヶ月半を無駄に過ごしてしまった。

従って、被告Sにβ遮断薬の投与を中止させ、亡E子が外来診療における的確な診断を受けるためには、肺高血圧症の存在が疑わしい時点、即ち、遅くとも平成11年1月初旬に専門施設へ転院する必要があった。

そうすれば、亡E子の状態は全く違っており、適切な検査や治療期間が十分にとれ、後述するように体血圧が低くてプロスタサイクリン持続静注法が施行できないことはなく、結果は回避できたのである。

6. 4)項-(1)について

肺高血圧症においては有効な治療法が確立してきたが、治療を実施できる施設が限られているのである。

何度も繰り返し主張してきたように、被告医院は治療を実施できる施設ではない。

被告は、右心不全は肺高血圧症の生命予後規定因子であることを認めながら、続けて心不全治療により生命予後が大きく左右されることはないと述べているが、これは矛盾である。

7. 4)項-(2)について

原告らは「心拍出量低下例では血清尿酸値が高値を示すこと、血清尿酸値が治療効果の判定及び経過観察には極めて有用な指標となっていること」について、医学文献(甲B3・P793及び甲B7・P1160〜P1161)も提出して主張してきた。

この医学文献は、肺高血圧症の治療に最多の経験をもつ国立循環器病センターの医師の執筆によるものであり、被告が認識不足なのである。

8. 抗凝固療法について

亡E子は、入院中、抗凝固療法としてヘパリンのみ終始投与されていた。これについて、被告は入院中はヘパリン静注投与、外来ではワーファリン経口投与が行われていると主張している。

しかし、原告らはこのような内容が書いてある医学文献を読んだことはない。

また被告は、経口摂取が困難な場合、経口薬による薬物治療を避けることが原則である、と主張している。

しかし、肺高血圧症の治療薬として選んだのはドルナーは、プロスタサイクリン経口薬である。抗凝固療法は静注投与、プロスタサイクリンは経口薬を選択したことは、実に矛盾している。

抗凝固療法として、最初にヘパリンを用いるのはワーファリンに即効性がないためであり、ヘパリンを投与し、1〜3日後よりワーファリンの経口投与を併用する。ヘパリンの投与期間に関しては、ワーファリンによる抗凝固能がプロトロンビン時間のINRで2.0〜3.0のコントロール域に達するまでの7〜10日が一般的である。

上述したように、ワーファリンの経口投与はコントロールが煩雑であるが、被告医院の医師らがこの煩雑さを敬遠して、入院中終始ヘパリン静注投与を行ったなら、言語道断である。

さらに本件では、被告はヘパリン誘導性血小板減少症を疑わせる所見は全くない、と主張している。だからといって、入院中はずっとヘパリンを投与してよいと言うことにはならない。これは「飲酒運転はしたが、事故は起きていない」と強弁するのに等しい。

9. NO吸入について

被告は、NO吸入にる有意な肺血行動態の変化(肺動脈圧および肺血管抵抗の低下)は認められなかったと記載しているが、原告らは原告準備書面(第三)で、報告があったのは肺動脈圧だけで、全肺血管抵抗については一切報告はなかったと主張している。また、カルテの記載も肺動脈圧だけである(乙A3号証46)。ちなみに肺血管抵抗(PVR)と全肺血管抵抗(TPR)は同義である。

被告は肺血行動態という名称を持ち出し、(  )の中に肺血管抵抗を加え、肺血管抵抗についても原告らに報告したように印象づけているが、これは大きな誤りである。

NO吸入については、急性効果で、通常量80ppmNOの吸入で全肺血管抵抗は低下したが、肺動脈圧は不変かごく軽度の低下を示すに留まったと報告されている。

亡E子の場合は、最大50ppmであり、肺動脈圧はわずかに下がっただけであったが(乙A3号証47)、全肺血管抵抗については一切記録もなく報告もなかった。

亡E子のNO吸入の効果については不明である、原告らは考えている。

10. プロスタサイクリン持続静注法が実施できなかったことについて

被告は入院中のプロスタサイクリン持続静注法は、どの施設においても施行可能なものであると主張している。

それならば、なぜ、入院担当の循環器内科医師が最初からプロスタサイクリン経口薬であるドルナーを選んだ(乙A3号証36)のかが、重大な問題となる。なぜなら亡E子に対してプロスタサイクリンとして選択すべきは、持続静注法か又は経口薬科と言う問題だからである。

被告はプロスタサイクリン持続静注法を実施しなかった理由として、

(1) NO吸入の効果がみられなかったこと。

(2) プロスタサイクリン経口薬の効果がみられなかったこと。

(3) 体血圧が低くプロスタサイクリン静注によりショック状態になる危険が高いと判断されたこと。

と、記載している。しかし、

(1)については、被告医院の医師らはこのような事を一切発言していない。しかも誤りである。
NO吸入後も、プロスタサイクリン持続静注法の実施について話しがでたが、「現時点では血圧が低いため使用は困難かもしれない」という千葉大学の栗山教授の助言(乙A3号証107)により取り止めにした。

(2)については、(1)と同じく被告医院の医師らはこのような事を一切発言していないし、誤りである。
プロスタサイクリン経口薬とプロスタサイクリン持続静注法は、投与の方法の違いだけでは、適応する患者の重症度が違うのである。原告らが証拠保全時に取得した証拠資料より引用すると、経口薬はStage≦2、プロスタサイクリン持続静注法はStage≧3との適応となっている。
また、プロスタサイクリン経口薬に効果がみられない場合は、速やかにプロスタサイクリン持続静注法に切り替えなければならないのである。

(3)については、事実である。
しかし、亡E子の体血圧が低くなったのは入院してからのことである。外来では亡E子は高血圧症と診断されていた。体血圧の低下を問題にすることなしに、亡E子はプロスタサイクリン持続静注法を施行する期間は十分すぎるほどあったのである。

従って、プロスタサイクリン持続静注法が実施できなかったのは、外来時における被告Sの診断の遅れによって、貴重な時間を無駄に過ごしてしまったからである。

11. 肺動脈血栓内膜除去術について

肺動脈血栓内膜除去術は、慢性肺血栓塞栓症に対して施行される手術であるが、原告らはこの手術が亡E子にも適応されるとは一度も主張していない。

原告らは肺動脈血栓内膜除去術は被告医院では施行できる手術ではないと主張しているのである。

被告は、本手技では肺動脈切開と血栓除去が行われると記載しているが、この手技は血栓除去ではなく、血栓内膜除去であり、被告の主張は誤りである。血栓内膜除去は血栓を内膜とともに除去するのであり、この手術手技が困難といわれているのである。

被告は重要な点を間違っているのであり、被告医院では施行できないことは明白である。

12. 入院時の治療について

結果的には、被告医院の医師らは治療の内容について誤りが多く、さらに診断が遅れたために、治療を実施することさえできなかった。

被告医院は治療を実施できる施設ではなく、入院して検査及び治療をする施設ではなかった。

13. β遮断薬の投与と右心不全及び死亡との因果関係について

肺高血圧症が進行すると右心不全の病態になり、その臨床症状があらわれるようになる(甲B1・P78)。右心不全は肺高血圧症が進行した病態である。
従って、被告がβ遮断薬は肺高血圧症による右心不全の増悪因子であると認めたことは、肺高血圧症自体へ悪影響を及ぼすことも認めたことと同じである。

β遮断薬の投与は、被告Sが初診時の平成10年12月15日から開始した。

平成10年12月26日(救急外来時)の心電図は、15日に比べて急激な右心負荷を示す所見である。

カルテには、下肢浮腫↑と記載されている(乙A1号証333)。

血液検査では、GOT、GPTが上昇している。上記2つの所見と合わせるて考えると、右心不全による肝障害であることが分かる。β遮断薬の投与によって急激な右心負荷が起こり、右心不全の症状である下肢浮腫が生じたのである。
従って、β遮断薬の投与と右心不全の因果関係は明らかである。

亡E子は12月26日精査・入院を必要としたが、救急外来の循環器内科T医師は亡E子を帰宅させ、引き続きβ遮断薬を投与した。亡E子は症状の悪化を訴え、平成11年1月4日の血液検査ではGOTは依然として高値、GPTはさらに上昇、LDHも上昇していた。これは右心不全による肝障害であることは明白である。

亡E子は、β遮断薬の投与たびに、症状の悪化を訴えた。

亡E子の「この薬に慣れるまで体がもたない」との強い訴えで、被告Sはやっと訴えβ遮断薬を中止した。

β遮断薬は添付文書によると肺高血圧による右心不全のある患者に禁忌である(甲B8及び甲B9)。

被告らも認めたように、β遮断薬は肺高血圧症による右心不全の増悪因子であり、右心不全は肺高血圧症の予後規定因子である。

従って、β遮断薬の投与は右心不全の原因であり、死亡の原因である。

14. 亡E子が侵害された自己決定権について

亡E子が侵害された自己決定権について、被告は到底認められるものではなく、意味不明であると主張している。被告Sと脳外科S教授(当時院長)の説明義務違反がなかったならば、亡E子と原告らは、平成11年6月29日の心エコー、ドプラー検査の放射線科医師の所見によって、肺高血圧症、右心不全が明らかになったことを知る事になる。その結果被告Sの診断が初診日より、ことごとく誤りであったと判断することができる。さらに、治療の内容及び専門施設があることを知る事ができたのである。

これらの結果、亡E子と原告らは、被告Sを即座に替えること及び専門施設に即座に転院することを要求することになる。

したがって、原告らの自己決定権の内容は意味不明ではなく極めて明快である。

被告は、原告らの自己決定権の内容は、到底認められるものではないと主張しているが、認める、認めないの問題ではなく、亡E子の生命を無視してまでも、被告Sを替えさせないし、転院もさせないと、主張していることと同じであり、原告らは、亡E子の人格権を侵害されたと考えざるを得ない。

被告が明らかでないと、主張している事柄について以下に説明する。

(1) 原告らの「爾後の行動を決定する権利」について、具体的にどの様に行動するのか明らかでないと、被告は主張しているが、爾後の行動とは、以下の(2)及び(3)に詳細に述べている様に「被告Sを即座に替える」事と、「専門施設に即座に転院する」ことの二つの権利を行使することである。

(2) 原告らの「被告Sを即座に替える権利」について、被告は誰が持っているのか明らかでないと、主張しているが、「被告Sを即座に替える」とは、患者の訴えもとづき、被告医院側の然るべき責任者が精査のうえ、決定すべきもので、しかるべき人物は、被告医院側の医療システムによってあらかじめ決定していることである。

(3) 原告らの「専門施設へ即座に転院する権利」について、被告は具体的にいかなる施設なのか、またその施設が受け入れてくれるのか、明らかにしていない、と主張しているが、「専門施設」についていえば、基本的に医師側より、患者側に伝えられるべきものであって、患者はそれによって病院を選択する権利があり、被告のいういかなる施設かとか、又その受け入れをしてくれるのかは、第一義的に医院側の責任であって患者側の責任ではない。ちなみに本件の場合カルテに、千葉大学医学部と国立循環器病センターの名前を見る事ができる。

15. 原告らの主張について

(1) あえて説明するまでもなく、原告らのこれまでの主張は、亡E子に関する被告のカルテ(乙A1号証〜3号証)及び、被告Sとの会話記録(甲B1〜11号証に一部を示す)、その他の医学文献及びインターネット等による関連文書及び情報にもとづき書いたもので、内容的には全く亡E子の病状に対し、その診断と治療に豊富な臨床経験を持つ、医学の専門家による文章からとったものであり、その意味で極めて専門的と自負しているところであって、原告らが事故の考えのみにもとづいて、作文したものではない。したがって、被告の本項における専門家云々という主張は、原告らにとって意味不明であり受け入れ難い。被告は医師ではない原告らとの議論は全く恥ずかしいとでも思っているのであろうか。

(2) 原告らのこれまでの上述の根拠に基づく主張に対し、被告は種々反論を繰り返しているが、内容的には乙A号証と異なっている事も多々あり、又被告医院の慣行とも』思われる診療が亡E子の病状に対し行われ、これが病状に対する医学の専門家の意見と、異なる内容も多々ある。(これらの点を原告らはその都度指摘し反論してきた)。
原告らとしては逆に、亡E子の病状の如き患者にたいし、被告らにはより一層の能力の向上と、緻密な診療を望むものである。

                                                                                                  

第2. 被告Sの陳述書(乙A4号証)に対する反論

1. 被告Sの陳述書の内容は、被告側から既に提出された準備書面の内容とほぼ同じである。診療経過は、既に提出された内容とほぼ同じと判断している。それ故に、カルテに記載されていない心電図の所見も記載されている。
従って、原告らは既に準備書面で反論していることも多く、また今回の準備書面でも詳細に反論していることも多くあり、新しく気づいた点のみ本項で反論する。

2. 被告Sは「亡E子がカルシウム拮抗薬(エマベリンL)の処方を受けたあとから動悸などが出るようになったと話をした」と書いている。しかし亡E子は、エマベリンLの処方中、ずっと動悸などが出ていた事実はなく、むしろ動悸が出ていなかったことの方が長い。

また、被告Sの書いた上述の内容は、頻脈・動悸の原因をエマベリンLによるものではないかという、被告Sの判断を亡E子の話しのせいにしており、これは誤りである。更に頻脈・動悸の原因はエマベリンLによるものではない。

被告Sが胸部レントゲン上の肺動脈について触れるのは、この陳述書が初めてであり、肺動脈は太く、被告Sの判断は誤りである。

3. 平成10年12月26日、循環器内科の当直医が行った心エコー検査は、記録(写真及びビデオテープ)が残っていないので、被告Sがいうように右心室の拡大はなかったことを確かめることはできない。

4. 平成11年1月26日、亡E子は種々の症状を訴え、この薬(β遮断薬)の変更を訴えたのであり、脳外科からの依頼も薬の変更であり、被告Sの言う「診察の依頼」ではない。

5. 3月16日、被告Sは胸部の聴診について書いているが、カルテに記載なく、これは事実かどうかわからない。

肝機能検査結果については、数値が再び上昇し始めている。これ以降肝機能検査を行っていない。

被告Sは「亡E子から他に訴えもない」と書いているが、問診をしていないし、下肢のむくみについては触診もしていない。

下肢のむくみについて、被告Sが年齢的なものと日常活動の低下によるものではないかと考えたことは、重大な誤りである。4月20日、心エコー検査を行わなかったことについて被告Sは平成10年12月26日の、循環器内科の当直医に責任転嫁をしているが、責任は被告Sにあるのが当然である。

6. 6月29日、「亡E子さんや家族はむくみが軽減してきているということだが」と書いてあるが、足の甲はあまり変化がなかったと記憶しているが、亡E子と原告Kこはこのようなことを言ったことはない。

6月29日から7月29日までの陳述書の内容は、淡々と経過が書かれているが、これは被告Sが亡E子と原告らに検査結果について、全く説明をしていなかったことの証明であり、説明が行われていたら、このような内容にはならなかった。

7. 被告Sは「亡E子は治療の効果がなかった」と書いているが、治療の効果がある段階での早期の診断ができなかったというのが事実である。

8. 原告らは、臨床症状だけで肺高血圧症を疑えとは一度も言っていない。しかし、被告Sのように、亡E子の症状を単純にカルシウム拮抗薬によるものと、年齢からくるものと決めつけたのでは肺高血圧症の臨床診断はできない。更に、胸部X線写真も心電図も読めない。平成11年6月29日まで心エコー検査を頑固に行わなかった。

被告Sは「平成11年6月29日の心電図では、右軸偏位等、右心負荷所見を初診時の平成10年12月15日の心電図には、これらの所見は認められていません。」と書いている。しかし、「右軸偏位等、右心負荷所見」の「等」は肺性P波とV5の深いS波を示している。肺性P波は、平成10年12月15日も認められている。これは、既に被告の準備書面(3)で認めている。

従って、被告Sの上述の内容は誤りであり、「右軸偏位等」と書いてごまかすのはやめるべきである。

むくみの増強については、亡E子が救急外来を受診した平成10年12月26日のカルテに記載されている。

初診時の平成10年12月15日から肺高血圧症を示唆する所見があった。初診時から被告Sからβ遮断薬の投与を開始したので、肺高血圧症、右心不全は急激に進行してしまった。

その結果、平成10年12月26日に救急外来を受診した。それにもかかわらず肺高血圧症の診断は、平成11年6月29日に行ったドップラー法を併用した心エコー検査の放射線科医師の所見によるものであり、被告S一人では、肺高血圧症の診断は出来なかった。

肺高血圧症の診断までに要した期間は6ヶ月半であり、あまりにも長すぎたのである。この期間が生命予後に影響したのは当然である。

診断ができなければ、治療を開始することはできない。

肺高血圧症の診断ができない被告Sが、治療と治療の効果について語る資格はない。

以上


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