以下は、2002年10月11日に提出した準備書面である。機種依存文字の丸付き数字は[]付き数字に、固有名詞は必要に応じてイニシャルとした。
1. 1項について
被告Sが主治医としての治療担当時期は、亡E子の外来通院時、即ち平成10年12月15日より平成11年7月29日(入院)までである。但し、入院後の扱いについては分からない。
原告らと亡E子の身分関係については、平成12年5月25日に診療録等の開示を申し込んだ時に、亡E子との身分関係を証明するために、被告医院に戸籍謄本を提出した(甲B12)。
2. 2項(1)について
(1) 「亡E子は階段を昇ったり」から「疲労感も訴えていた。」までは、平成10年12月15日脳神経外科外来と循環器内科初診日に、亡E子が訴えた内容である。
(2) 「その旨」は、前記「亡E子は階段を昇ったり」から「疲労感もうったえていた。」までを指す。
(3) 「後で分かったこと」は、被告Sと原告K子との書面でのやりとり及び電話の会話で判明したことである(甲A1〜甲A5)。
被告Sは、亡E子の主訴である息切れ、動悸等を「息切れ、動悸等を主訴に循環器内科を受診された閉経後の女性の大部分は、はっきりとした原因はありません(甲A5)。」と言い、何ら考慮を払うことなく無視した。
亡E子には、既にカルシウム拮抗薬が投与されていて、頻脈があることに対し、被告Sは、ここでもまた何ら考慮を払うことなく、頻脈の原因をカルシウム拮抗薬に求めたのである(甲A1、甲A3、甲A4の6頁-以下P6と表示する、甲A5)。
従って、被告Sは、カルシウム拮抗薬をβ遮断薬へ変更することを常識的な選択と考えたのである(甲A5)。
従って、被告Sは、原因究明をしていないことは明らかである。
(4) 「労作時の息切れが強くなり」は亡E子が実際に訴えていた。
「右心不全を疑わせる肝機能障害」は、被告S自身が認めている(甲A4・P5)。
(5) 「その余」は、平成11月1月4日付で脳外科S教授から被告S宛診断依頼書に記載されている内容である。
(6) 平成11年1月4日の項
「その余は」、脳外科カルテの記載通りである。
(7) 1月5日の項
被告Sは薬を変更するだけで検査をせず、原因究明することをしなかった。循環器内科カルテの記載からも、検査をしていないし、原因を究明することもしていないことが分かる。
(8) 1月12日の項
脳外科カルテの記載通りである。
(9) 1月19日の項
[1] 脳外科カルテに、脳外科S教授宛、被告Sからのメモが貼付されており、内容は次の通りである。
・できればβ-blockerを使用したいところです。
・本日の肝キノウを確認した上で、処方させていただきます。
従って、「被告Sは」から「再び戻したいと考えていた」ことは事実である。
被告Sが脈が速くなっている原因をカルシウム拮抗薬に求めるのは、亡E子が循環器内科を受診する前からの考えであり(甲A4・P6)、被告Sは亡E子の原因究明をしていない。
[2] その「症状」は、次の通りである。
1. 平成10年12月26日 救急外来に行った理由
2. 平成10年12月31日〜平成11年1月3日の間の症状
3. 1月4日 脳外科外来で亡E子が訴えた症状
参考までに、1月19日再びβ遮断薬に変更した後の症状は次の通りである。
4. 1月21日 具合が悪くなったと亡Eこが言った時の症状
5. 1月26日 薬の変更を依頼するために亡E子が訴えた症状
(10) 1月21日の項
不知とされた内容は事実である。
(11) 1月26日の項
[1] 脳外科S教授の発言内容は、平成11年12月3日の当時アメリカ在住の脳外科S教授宛の手紙にも原告K子が書いた内容である(甲A9・P2)。これ以降、脳外科S教授は、自らの発言内容をすべて否定するようになった。
[2] 亡E子の「薬に慣れるまで体がもたない」との訴えに、被告Sは「我慢できないんですか」と言った。被告Sは、この発言を否定していない。結局、亡E子は、β遮断薬の治療に忍容性のない患者、即ち、医師の服薬指示を守らない患者にされてしまった。
被告Sは、相変わらず高血圧症と診断し、肝機能の検査のための血液検査さえ行わなかった。原因究明をしなかったのは事実である。
ちなみに、被告Sと循環器内科高谷医師は、β遮断薬が肺高血圧による右心不全に禁忌であること(甲B8、甲B9、甲B10)を、知らずに亡E子に投与したと考えられる。
(12) 2月16日の項
単に血液検査を行うだけであったことは、事実である。
(13) 不知とされた内容は事実である。3月2日、リハビリで病院へ行こうとして亡E子に靴を履かせたときに、靴ひもの余裕がなくなっているのに原告K子が気づいたのである。即ち、下肢の浮腫に気づいたのである。
しかも、平成10年12月26日(救急外来日)には、循環器内科高谷医師は、「下肢浮腫+」とカルテに記載していたが、被告Sはこの事実に注意を払っていなかった。
(14) 3月11日の項
不知とされた内容は事実である。
(15) 3月16日の項
亡E子が下肢の浮腫が生じたことを訴えても、血液検査を行うだけだったことは事実である。
(16) 4月20日の項
被告Sは、亡E子が循環器内科初診日に訴えた労作時の息切れや動悸を無視し、その後も労作時の息切れや動悸に関する問診は行わなかった。被告Sが亡E子に「家で歩いた時はどうですか」とか「利尿剤を飲んで、前に比べて歩くのがきつくなりましたか」と、当然聞くべきことを聞いていたら、不知であるとされた内容は分かった筈である。
(17) 5月18日の項
具体的には、次の通りである(甲A4・P3)。
被告Sは、4月20日外来での胸部X線検査結果として、右心拡大を否定した。5月18日の外来では、被告Sは、右心が拡大し浮腫を起こす病気以外の浮腫を起こす病気として甲状腺機能低下症を疑い、検査をしたが、正常だった。
(19) 6月29日の項
[1] 「心電図と心エコー検査をした」のは事実である。
否認の前提が「ようやく」にあるのなら、被告Sが心電図検査を実施したのは6月29日と循環器内科初診日(平成10年12月15日)、たった2回だけである。また、被告Sが心エコー検査を実施したのは、6月29日が初めてである。まさに、「ようやく」である。
[2] 検査結果について説明がなかったことは、事実である。
亡E子の死後、原告K子は被告Sに再三にわったて、「入院前にどうして検査結果について話されなかったのですか」と尋ねた。被告Sは、当初「説明不足」と述べていたが、平成12年7月28日付書面で「外来の合間ではなく、結果が出そろった時点で病棟担当医からお話させていただく方が良いだろうと判断しました(甲A5)。」と、前言を翻した。被告Sは、検査結果について説明をしなかった事実をこの書面でやっと認めた。
ところで、「結果が出そろった時点で(甲A5)」と言う被告Sの言い訳は認められない。その理由は、6月29日に行った検査の結果は、被告Sのこれまでの判断とは違う重大な結果であったからであり、今までの診断が間違っていたことを意味しており、当然即座に説明すべきであった。
[3] 「意味が不明」と指摘された個所については、次の通りである。
検査結果と検査結果をもとに分かったことについては一切説明がなかった。被告Sからの説明は、訴状P7〜P8の○印のような内容であるべきであるが、このような説明は一切なかったのである。
[4] 「この後」から、「水が滲み出ていたのである。」との点は事実である。「2〜3箇所下肢から水が滲み出ていた」は、右心不全の臨床症状であり、被告Sは、右心不全の臨床症状について一切説明をしなかったのである。
(21) 7月6日の項
[1]脳外科S教授の言動を否認しているが、S教授の言動は事実である。
[2] 肺血流シンチについては、「右中肺野」とは放射線科医師の所見の中にもあり、被告Sが「一部もやもやしているものがある」と亡E子と原告K子にいったのは事実である。「右心ががむくんでいる」と言ったことは、被告S自身が認めている(甲A2)。「これ以上の説明はなかった。」のは事実である。
(22) 7月14日の項
[1] 「心臓も肺のどちらもはっきりしたところはない」と言われたことは事実である。
[2] 被告Sは、6月29日の心エコー検査で判明した肺高血圧症、右心不全を隠蔽し、亡E子の自己決定権に必要な医療情報の提供も全く行わなかった。それ故に、亡E子も原告K子もどこか悪い所があるのなら、入院してからの検査でないと分からないと理解していたのは当然である。
(24) 7月24日の項
説明すべき時点は、遅くとも6月29日である。ちなみに、7月24日は、亡E子も原告K子も在宅していた。
(25) 7月27日の項
繰り返し主張してきているように、脳外科S教授は肺高血圧症、右心不全を知っていながら、ついに黙ったままだった。また、肺高血圧症の専門家であるK氏が知人であるとの情報も、亡E子と原告らに提供しなかった。即ち、脳外科S教授は、積極的に隠蔽に関与したといってよい。
3. 2項(2)について
(1) 7月29日の項
[1] ナースステーションの前で、亡E子と原告K子が被告Sに会ったこと、被告Sは亡E子の姿に驚いた様子だったことは事実である。平成11年12月3日の当時アメリカ在住の脳外科S教授宛の手紙にも、原告K子は上述の内容を書いた(甲A9・P6)。当時、原告K子は、被告Sが亡E子の入院病棟にいたことを不思議に思った。
[2] 「systolic murmursIII/IV」をカルテの記載通り「systolic murmursIII/VI」に訂正する。
[3] 「以後共にずっと続く」の意味は、「systolic murmursV/Y」と「no rale」の所見が、平成11年8月25日までにカルテにずっと記載されているという意味である。
(2) 7月30日の項
[1] 「原告K子は」から「原告K子は頭を抱えてしまった」までは、亡E子の入院中の現実の状況である。
[2] 亡E子の「私退院したらあの人もういいわ」までは、平成11年12月29日の脳外科S教授(当時院長)から電話の際(甲A10)、原告K子が話をしているので知らない筈はない。
[3] 「両側に中等量の胸水、腹水(++)」を、カルテの記載通り、「両側に中等量の胸水、腹水(+)」に訂正する。
(5) 8月2日の項
「右房と連結する血管を認める。」を、カルテの記載通り「右房と連続する血管をみとめる。」に訂正する。
(6) 8月3日の項
「下肢から滲み出している」ことは、循環器内科と呼吸器内科のカルテに既に記載されていた。「下肢の注目すべき浮腫」と変更する。
(8) 8月6日の項
亡E子と原告K子の電話のやりとりは、亡E子が循環器内科医師から言われた内容であり、事実である。
(9) 8月7日の項
不知とされた内容は事実である(甲B)。
(11) 8月12日の項
不知とされた内容は事実である。
(13) 8月18日の項
原告らは脳外科S教授と3号館のエレベーターの前で会い、その後院長室で話をしたこと及びその内容である。
(15) 8月21日の項
不知とされた内容は事実である。
(16) 8月22日の項
不知とされた内容は事実である。
神戸から亡E子の二人の妹が来ることになった理由は、亡E子の母親と姉妹に、亡E子の病気についてまだ通知していないことを、呼吸器内科SE医師から批判され、電話連絡をしたからである。原告らが交替で近くのホテルに泊まることになった理由は、同じく呼吸器内科SE医師からの批判がきっかけである。
(18) 8月25日の項
[1] 循環器内科O医師の説明とその内容は事実である。O医師が一人で、亡E子の病室で、スワンガンツカテーテルを挿入している間、原告K子は病室の前の廊下で聞いたときのO医師の説明とその内容である。スワンガンツカテーテルの結果(数値)は、カルテに記載されている。ちなみに、右房圧がカルテに記載されたのは、この時一回限りである。
[2] 循環器内科O医師が「原発性肺高血圧症では肺動脈圧はもっと高い(90〜100位)人がいて、それでも大丈夫な人がいるんですけどね。」と言ったのは、亡E子の肺動脈圧について高くない、低いという認識があったからである。呼吸器内科SE医師も、8月31日亡E子死亡後の説明で、「肺動脈圧50mmHgと低いのに」と発言している。この認識は、循環器内科と呼吸器内科の医師らに共通していた。
(20) 8月27日の項
[1] 午後2時30分のこと及び「原告K子は、病室で」から「驚いたまで」までは、呼吸器内科カルテに同様の内容が記載されている。
[2] 「原告K子は国会図書館へ行き、厚生省研究班の報告書をコピーした」ことは、呼吸器内科、O、SE両医師は知っている。
[3] 脳外科S教授が、亡E子の病室に来たことを否認したのなら、驚くべきことである。
[4] 原告K子が病室に泊まったのは、呼吸器内科、O医師、主任看護婦に勧められてのことである。
[5] 「原告K子は病院に泊まった。」のは間違いで、「原告K子は病室に泊まった」と訴状に書いてある。
(21) 8月28日の項
[1] 午後4時30分、循環器内科O医師の説明は、循環器カルテに詳しく記載されている。
[2] 午後6時頃、午後7時20分及び午後9時25分の内容は事実である。
[3] イソジンの口腔内ケアについては、呼吸器内科カルテに記載されている。
(23) 8月30日の項
[1] 午前0時〜の内容は事実である。
[2]午前5時の内容は、循環器カルテに記載されている。
[3] 亡E子の「お腹(下腹部)が痛い。」から「胸の圧迫感は毎日あるの。」までは、呼吸器内科カルテの記載通りである。
[4] 「浮腫も増強している」から「肺うっ血もひかない」までは循環器内科カルテの記載通りである。
[5] 呼吸器内科の医師が湿布を貼ったことは、呼吸器内科カルテに記載されている。
[6] 循環器内科O医師の発言は、循環器内科カルテに詳しく記載されている。
[7] その他も事実である。
(24) 8月31日の項
[1] この看護婦と同じく呼吸器内科病棟のもう一人の看護婦(8月30日、酸素吸入時に瓶に入れてある精製水をめぐるトラブル)の非常識な言動について、平成11年11月6日付で看護部長より謝罪の手紙を原告K子はもらった(甲A8)。
[2] この後しばらくしてから、原告K子は、脳外科S教授(当時院長)に、「この件について、看護部長からお聞きになりましたか?」と尋ねると、脳外科S教授は「聞いた。しかし、自分の目の前で起こったことではないので、確認しようがない。あなたが嘘をついている可能性がある。」と発言した。
原告らは、脳外科S教授(当時院長)の発言は、組織として、また管理職の発言としては問題にならないほど間違っていると考えている。なぜなら、院長としては、その構成員の行動に間接的に管理責任をもっているからである。
また、原告K子に「嘘をついている可能性がある」との発言は、原告K子の人格を無視した暴言であり、断じて許されるべきものではない。
[3] 脳外科S教授は、謝罪の手紙が存在するにもかかわらず、否認している。まして、記録されていない会話は、事実に反して、ほとんど否認されている。
(25) 平成12月1月5日の項
脳外科S教授が、亡E子と原告らに、肺高血圧症の専門家であるK氏が知人であるとの情報を提供しなかったことを認めたことは、重大な事実である。
(26) 4月22日の項
[1] 「原告K子は、「これだけ?」とびっくり、」は事実であり、これを被告が否認する根拠は何もない。
[2] 平成12月5月25日に、診療録等の開示を申し込んだ時に、剖検報告書も一緒に申し込み(既に病理担当教授から許可を得ていた)、閲覧だけでなく、コピー取得も申し込んだ。
申請者は原告K子であり、亡E子との関係を証明するために戸籍謄本を提出した。開示料10,000円、コピーは1枚につき10円を支払い済である(甲B12)。
請求の原因3ないし5の注意義務違反に対する認否と反論があるまで、回答を留保する。
肺高血圧症の存在を見つけるには、早期に右心負荷を発見することが重要であること(甲B4・P353)は、訴状で主張したが、これに関連して、心電図所見及び三尖弁逆流(TR)について以下に述べる。
1. 肺高血圧症の心電図所見について
(1) 肺高血圧症の心電図所見は、QRS波・ST-T波に現れる右心室の変化と、P波に現れる右心房の変化にに大別される(甲B11・P148)。
(2) 右房圧は、心電図のP波の所見、即ち、U誘導でのP波高、右側胸部誘導でのP波高、V1での右房性陰性P波などで推定が可能となり、P波の所見に注目することが重要となる(甲B11)。
2. 本件における心電図所見について
(1) 肺性P波の見落とし(甲B2)
肺性P波は、U、V、aVF、のP波が尖鋭化し、右房負荷を示唆するものである。また、肺性P波は、何人にも極めて理解しやすい所見である。
[1] 心電図記録を見ると、肺性P波は平成10年12月15日(循環器内科初診日)から見られる。
[2] 外来時には、他に2回心電図検査を実施した。平成10年12月26日(救急外来日)と平成11年6月29日(肺高血圧症、右心不全が判明した日)である。共に肺性P波が見られる。しかし、被告Sも循環器内科Tいしも、カルテに心電図所見として記載していない。
[3] 入院した平成11年7月29日にも肺性Pが見られるが、記載はない。
[4] カルテを見ると、平成11年8月4日に初めて「UP波↑」と記載されている。ちなみに、この日のV1でのP波は陰性P波となっている。
(2) 従って、被告Sを始めとして被告医院の医師らは、P波の所見に見落としがあり、これに注目していなっかたと考えられる。
3. 三尖弁逆流(TR)について(甲B3、甲B7)
三尖弁逆流(TR)は、右心不全のほぼ全例に認められる。
(1) 三尖弁逆流(TR)が起こると、心尖部で収縮期性雑音を聴取する(甲B2)。
(2) 三尖弁逆流(TR)の進行によって、CTRの拡大及び右2急の突出が生ずる。CTRの拡大及び右2弓の突出は胸部X線上の所見である(甲B6・P58)。右2弓の突出は右房の拡大を反映している。
(3) 三尖弁逆流(TR)は、心エコー・ドプラー検査によって得られる所見である(甲B6・P58)。
4. 本件における三尖弁逆流(TR)を示唆する所見に対する判断の誤りについて
(1) 平成11年4月20日、外来時の被告Sの判断は次の通りであった。
[1] 下肢の浮腫(Pretibial edema)↑
・既に3月16日の外来時のカルテに記載してある。
・その他、カルテには、平成10年12月26日(救急外来時)に、循環器内科T医師が下肢の浮腫(lower
limb’s edema)+と記載している。
[2] 心尖部収縮期雑音+
・心臓に明らかな異常がなくともしばしば認められると述べていた(甲A1)。
[3] 胸部X線検査
@ CTR 14/23.5
A 右の第2弓の突出が軽度ながら存在していた(甲A2)。
B 右心拡大を積極的に示唆する所見はない(甲A1)。
[4] 高血圧症との診断(甲A1)。
(2) 平成11年4月20日、外来時の被告Sは、三尖弁逆流(TR)を示唆する所見に対する判断を誤った。
[1] 亡E子の主訴であり、身体所見でもある下肢の浮腫からは、的確な診断が行われなかった(甲B5)。
[2] 心尖部収縮期雑音と胸部X線検査像のCTRの拡大と右の2弓の突出は、三尖弁逆流(TR)によって生ずる所見であるにもかかわらず、そのように判断しなかった。
[3] 従って、4月20日の所見に限って判断しても、心エコー・ドプラー検査は必要であった。しかし、被告Sは行わなかった。心エコー・ドプラー検査を実施すれば、肺高血圧症、右心不全 の診断は確実にできた。
以上