以下は、2002年11月29日に被告側代理人より提出された準備書面である。固有名詞は必要に応じてイニシャルとした。
第1 被告病院における亡OE(以下、「亡E子」という。)の外来・入院診療経過は、別紙のとおりである。
第2 肺高血圧に伴う右心不全について
1 平成11年6月29日の心エコー検査
原告らは、6月29日の心エコー検査の実施は遅かった、と主張する。
(1) しかし、亡E子は、前年の平成10年12月15日にS医師の初めての診察を受けている。このときの訴えは動悸・頻脈であり、特に肺高血圧あるいは右心不全を疑わなければならない症状・所見(胸部レントゲン・心電図などの検査所見も含め)は認められていない。
しかも、同年12月26日の救急外来受診時の心エコー検査では、肺高血圧症、右心不全を疑わせる明らかな右心室拡大などは認められていない。
その後、頻脈の原因については、降圧剤のよる影響(エマベリンL)が考えられる経過であった。
(2) 3月16日の段階で、亡E子から下肢の浮腫の訴えがあったが、それ以外に特に右心不全を疑わせる訴え・所見もなく、4月20日の胸部レントゲン検査では、平成10月12月15日のときのものとほとんど変わらない所見であった。(右心不全が平成10年12月15日以降に新たに出現したことを疑わせる所見はなし。)。
そして、4月20日に心尖部の収縮期雑音を聴取しているが、高血圧症の患者にはしばしば認められるものである。
これらのことから、亡E子の下肢の浮腫は、女性であり、その年齢(66歳)も考慮すれば、局所の静脈機能不全が一番の原因と考えるのが相当である。
(3) その後、経過をみていたところ、浮腫の状態が変わらないことから、6月29日い心エコー検査、心電図検査を行った。
(4) 肺高血圧症、右心不全の症状は、当然下肢の浮腫だけではない。しかし、亡E子の症状は、下肢の浮腫だけである。そして、その症状が出現したときの胸部レントゲン所見(4月20日)は、その症状が出現していないときの胸部レントゲン所見(12月12日)と変化がないのである。
これらのことと、亡E子が女性であり、66才であることを考えれば、肺高血圧症、右心不全を積極的に疑わず6月19日心エコー検査を行わなかったことが不適切であるとはいえない。
2 肺高血圧に伴う右心不全の治療
(1) 6月29日の心エコー検査の主な所見は、右心系(右心室、右心房、下大静脈)の拡大と肺動脈の上昇である。
この右心系の拡大と肺動脈圧の上昇は、それぞれ原因にもなり結果にもなる、という関係にある。すなわち、何かの原因(例えば先天性心奇形)で右心系の拡大が生じ、その結果肺動脈圧が上昇、すなわち、心原性の続発性肺高血圧を合併する病態が一つ考えられる。また、逆に、肺動脈上昇があり、そのことによって右心系拡大を来す、という病態も考えられる。この肺動脈圧上昇の原因として頻度の高いのは、慢性の肺動脈血栓塞栓症(PTE)があげられる。
この二つの病態の鑑別診断が必要となる。その鑑別診断がなされるまでの治療は、主に浮腫等の右心不全に対する対症療法が中心となる。そして、その対処療法としては、亡E子に対し7月6日より利尿剤ラシックス、アルダクトンAの投与を開始している。また、入院後は、ラシックス、アルダクトンの投与のほか、さらにはドブタミン(DOB)を投与している。
(2) 前項鑑別診断のため、外来では肺血流シンチグラム(7月2日)、経食道超音波検査(7月14日)を行っているが、明確な診断をできる所見は得られていない。もっとも、原発性肺高血圧症の疑いが高いとは判断している。
入院後、胸部CT(7月30日)、心臓MRI(8月2日)、経静脈的肺動脈造影(8月6日)、心カテーテル(8月7日)の検査を行い、8月7日の段階で重症の肺高血圧症と診断した。もっとも、この肺高血圧症については、原発性のものか慢性PTEか否かの明確な診断はできなかった。
(3) 慢性PTEの治療は、肺動脈血栓内膜摘除術が唯一有効な方法である。しかし、亡E子にとって、その適応がなかったことは明らかである。(その確定診断もされていない。)。そして、血栓溶解療法などの内科的治療は有効でない。
一般に、肺高血圧症においては病態の進展予防を目的として、ヘパリンやワーファリンなどによる抗凝固療法が行われる。亡E子に対しても、入院後ヘパリンを投与している。なお、ヘパリンはワーファリンと同様の抗凝固作用を有し、コントロールが容易であることにより入院中の患者などへはヘパリンが用いられることが多い。
(4) 肺高血圧に対し、血栓の内腔が細くなっている肺動脈の拡張を期待して治療法が考えられる。
その治療として、一つはプロスタサイクリンの投与があげられている。亡E子に対しては、その経口投与(ドルナー)を行っているが、効果は認められなかった。また、NO療法があげられているが、このNO療法も効果がなかった。なお、プロスタサイクリン(PGI2)持続注入は、被告病院でも行おうとすれば行える治療法である。しかし、プロスタサイクリンの効果は亡E子には期待できないものであった。そもそも、その治療は、国立循環器病センターで治験的に行われていたに過ぎない。
(5) 以上から、被告病院の亡E子に対する肺高血圧の伴う右心不全の治療が不適切であったとはいえない。
3 β遮断薬の投与について
亡E子に対し、β遮断薬(アーチスト、テノーミン)が処方されたのは1月19日までであり、1月26日にはヘルベッサーR(カルシウム拮抗剤)の変更されている。そして、亡E子が下肢の浮腫を訴えたのが3月16日である。このことから、下肢の浮腫の原因をβ遮断薬に求めることはできない。
そもそも、S医師がアーチスト、テノーミンを処方した段階では、右心不全を積極的に疑わせる症状・所見は認められていないのであり、また、エマベリンLから変更したことによる頻脈の改善から、その処方が不適切であったとはいえない。
4 インフォームド・コンセント、転医提示・転医勧告について
インフォームド・コンセントは、あくまでも患者の自己決定権を前提に、意思に説明義務を求めるものである。
原告らの主張にあるS,S両医師の説明義務違反により、亡E子は具体的にいかなる自己決定権を侵害されたというのか不明である。したがって、反論できない。
5 亡E子の死亡について
亡E子の死因は、解剖所見によれば、慢性肺血栓塞栓症と考えられる。そして、肺高血圧症を合併していた。肺高血圧症を合併した慢性肺血栓塞栓症の予後は極めて不良である。
原告らは、S医師あるいはS医師の診療内容を問題にしているが、裁判である以上、その問題にする診寮が亡E子の死亡の原因といえるのか、因果関係を明確にする必要がある。
以上