【談話サロン-第1回{アニメとサイトと読者と作者}】

 ゲスト・明都(みんと)さん
[関東地方在住。高橋留美子ファン歴約10年。初読作品は短編【炎トリッパー】や【めぞん一刻】。アニメで【らんま1/2】を知り没頭。【犬夜叉】はコミックス1巻から愛読。お気に入りキャラは桔梗。複数のファンサイト掲示板に独自の視点で投稿を初めて約3年、現在に至る。]

アニメ犬の問題点

北斗『拙サイトにひとかどの論客…と申しますか、熱心な高橋留美子ファンのゲストをお招きして語り合うのはささやかな夢でした(笑)。第1回は明都さんです。本日はどうぞよろしく。』

明都『いやこちらこそ…どうぞよろしくお願いします。』

北斗『早速ですが、明都さんは私同様に原作ファンの立場から、もっぱら【犬夜叉】のアニメ演出に強い疑問を持っておられるそうですが、一番にはどこでしょうか。』

明都『一応先に申し上げておきますが、何も私はアンチアニメ派でもなければ、原作至上主義者でもないんですよ。それでもあまりに不満があり過ぎて、何から話せば良いものやら非常に戸惑うんですが(笑)、そもそも根本的な部分、つまり原作もしくは原作者に対する理解不足やアニメ制作にあたっての姿勢そのものに問題があるんじゃないかと思うんです。例えばアニメが演出するキャラたちの酷さ。あれは原作世界を大切にしたい者にとっては、もはやブラックジョーク以外の何物でもありません。特に犬夜叉、かごめ、桔梗といった主要キャラの解釈のズレは、作品全体の世界観に大きな歪みを引き起こす結果となっていますから。』

北斗『順を追って回想しますと、アニメも最初からズレてたわけじゃなかったと思うんです。脱線し始めたのはやっぱり桔梗が復活したところからで、原作では主人公の犬夜叉がヒロインのかごめに対する気持ちを一つ一つ積み上げていく、その大切な過程の二人のやりとりがアニメでことごとくカットされて描かれなかった。あれにはどういう理由があったと思われますか。』

明都『アニメ放送開始当初の作品は、なかなかにクオリティの高いものに仕上がっていたのではないかと思っています。最初の数回目くらいまでを見た時点では、原作よりもむしろアニメの方が好きだったくらいです(笑)。犬夜叉は今のような軽い奴じゃなかったし、何よりかごめが可愛かった。だからこそ、何故そのレベルをずっと維持できなかったんだ、と余計に残念で仕方がないんですね。原作での大切なシーン、描写をことごとくカットして先を急いだ件ですが、劇場版第一作の制作が深く関係していたのではないかとも思うんです。』

北斗『劇場版第一作…2001年冬に公開された‘時を越える想い’ですね。』

明都『アニメ開始からわずか半年程でバタバタと決まった印象があり、そのため現場でも相当な負担を強いられることになったのではないかと思うんです。』

北斗『公開が12月中旬ですから、製作決定は普通に考えると5月頃として、アニメTV放映開始から7ヶ月目。珊瑚が登場して弥勒の風穴の傷のエピソードのあたりですね。』

明都『そもそもTVアニメというものは、決められた放送枠にぴったり当てはまるように作らなければならないですよね。高橋氏の作品は一つ一つのエピソードがはっきり独立して存在しているような部分もありますから、それを30分に収めるのか、2回分に分けて制作するのか、そのプロットを組むだけでも随分大変だとは思うんです。30分にすれば削らなければならない内容が出てくるかもしれない。2回分の60分にすれば、オリジナル要素を多く取り入れて繋がなければならなくなる場合もある。まあそれがプロの腕の見せどころといってしまえばそうなんですが、それひとつとってもじっくり吟味して制作していかなければならないところを、劇場版制作の方に人手をとられてしまったため、時間とノルマばかりに追われ、歯車が狂ってしまったのではないかとさえ思うんですよ。』

北斗『なるほど。やたらにカットされた犬夜叉とかごめのシーンは、シリーズ構成上の犠牲になった格好だったわけですか。』

明都『更に、その劇場版第一作で、犬夜叉には早くも爆流波という大技を使わせますが、犬夜叉がその技を会得したのはコミックスでいうとちょうど20巻、竜骨精のエピソードになるわけです。すると当然、TVアニメの方では劇場版公開以前に犬夜叉に爆流波を会得してもらわなければ不自然になりますから、自ずと先を急ぐ結果になる。前年の10月16日にアニメ放送が開始されてから、翌年の暮れに劇場版第一作が公開される直前までの間、年末年始や春・秋の番組改正時期には通常のアニメ放送がありませんから実質一年にも満たない。このわずかな間に竜骨精のエピソードまでの原作20巻分を一気にアニメ化して放送したんですよ。単純に計算すれば一月で単行本2冊分の物語を消化していった計算になる。このスピードたるや、はっきり言ってキチガイ沙汰ですよ(笑)。これでは要所要所での大切な描写がおろそかになって当たり前な状況だったんですね。』

北斗『爆流波のエピソードのTVアニメ放映は12月10日、まさに劇場版公開の直前でしたからねえ(笑)。たしかに物凄い駆け足だった証拠ですね。桃果人のエピソードなんか後回しになって、年が明けてからご丁寧に前後編でやった。その後にきた黒巫女椿のエピソードがやたらめったら間延びみたいにオリジナル混じえて5話分もかけた理由がやっとわかりましたよ。あれもシリーズ構成上の犠牲になってたんですねえ。』

明都『そしてなによりひどかったのが、あの桔梗のキャラ破壊なんです。犬夜叉の喉元に懐剣突き付け、お前は私を殺せないと高笑い。高飛車で女王様気取りの悪女みたいな演出をされた。桔梗を‘悪役’として描いているのか、みたいな疑いを持ってしまう事も度々で、当然桔梗の評判も一気に下がる下がる叩かれる。男を知り尽くしたようなあの口調には、‘毒婦’という言葉が頭の中に浮かんだくらいで、清らかな巫女の片鱗も感じられません。ここまで人格を歪められ、踏みにじられたのでは、原作の桔梗ファンはたまりませんよ。』

北斗『そうですねえ。たしかにあれはね、まさしくブラックジョークの域でしたよね(笑)。なまじ次の週があの、かごめが自分の気持ちに気づいて犬夜叉のところに戻ってくるエピソードだったもんだから一段と桔梗の悪役化が際だってしまう印象を残してしまった。あの時点で、相当数の原作桔梗ファンの人が愛想をつかしてアニメを視るのを止めたでしょうね。ちょっとアニメ犬夜叉の関東地方の平均視聴率を調べてみたんですけど、1年目15.1%、2年目15.1%、3年目は13.6%なんです。つまり2年目の猛スピード放映で劇場版第一作の爆流波使用に間に合わせたものの、その劇場版でも桔梗の扱われ方は酷いこと酷いこと。3年目に入ると桔梗ファンが逃げちゃった。これで平均1.5%落ちたと。』

明都『そしてそんな‘悪女’に踏んでも蹴られても(笑)、未だに未練たらたらの犬夜叉。繰り返される安易な‘二股’発言。‘両方じゃ駄目なのか’なんて、どこをどうしたら犬夜叉の口から出てくるんだというようないい加減でとことん軽い描写。あんなことをされては、原作の犬夜叉の真面目で誠実な性格も、背負ったものの重みも、すべて台無しなんですよ。』

北斗『余波はかごめにも波及して、あの有名なおすわり連発ね(笑)。私には、小学校低学年、幼稚園児の視聴者さんらがおすわりごっこではしゃぐんで調子に乗ってやらせてるんじゃないか、ってマジで思ったくらいですからねえ。主要キャラの一人の性格を破綻させると、影響はそれにとどまらず次々と周囲に伝染していったんだから怖いですよね。』

明都『確かにアニメのかごめは随分とおすわりが好きみたいで(笑)。私は劇場版二作目で、かごめがペットショップで吠えている犬たちに向かって、‘うるさいっ! おすわりぃっ!’とやった時には、激しく脱力しましたよ。何なんでしょうかねぇ、あのヒステリックかつドスの効いた演出は。直にイライラしてキレる辺りの描写は、現代っ子特有の問題点?を抱えたかごめでも演出しているつもりなんでしょうか(笑)。』

北斗『私は未だに劇場版第二作‘鏡の中の無幻城’を視てもいないというファンの風上にも置けない奴ですが(笑)、かごめが一際好きなキャラだけにそういう解釈と演出をされているのを大画面で視るのが耐えられない、ってところもあるんです。第一作で懲りてしまったもんでね。』

明都『そもそもアニメでは桔梗も犬夜叉もかごめも、皆高慢で居丈高で。何ゆえそこまで自信に満ち満ちているんだい、何がそうさせているんだい、と言いたくなるような描かれ方をしていますよね。原作の彼らとはまるで正反対なんですよ。そのせいかアニメの彼らは原作の彼らと比べると、知性・品性の点において随分見劣りして見えることも確かなんです。』

北斗『劇場版第一作で七宝が‘おらたちひょっとして物凄いバカなことやってるんじゃなかろうか’ってポツリと言うでしょ。それから草太が‘ねえちゃんが…壊れた’って。私は映画館で座ってて、まるで原作の彼らが一緒に映画を視てて思わず漏らした言葉みたいに聞こえたくらいです(笑)。大画面で大々的にあれだけやってくれたら、原作ファンはハイハイよーくわかりました、もう結構です、になりもしますよ。下がった1.5%は桔梗ファンだけでもないですね。』

明都『ところが何を勘違いしたのか、それとも‘楽して数字を取れ’の安易な考えからなのか、キャラの描写は相変わらずトンチンカンなまま、即物的なものに頼る傾向ばかりが目立つようになってきましたよね。』

北斗『池田前監督は辞任ということになってますが、私はあれは実質的な更迭だったと思います。猛反発した原作ファンの抗議メールが殺到したことや、視聴率の低下傾向を危惧するスポンサーが圧力をかけたんじゃないかな。でサンライズの幹部と監督が衝突して、路線変更するくらいなら辞めさせてもらいます、に行き着いたと。で後任の青木監督はスポンサーの意向を汲んで、原作ファン多数派の機嫌をとろうとして路線変更しようとするんだけど…』

明都『例えば不必要な犬かごのベタベタいちゃいちゃシーンや、いかにも女性ウケしそうなイケメンキャラの派手な演出がそれですね。これで単純なファン層は簡単に飛びついてくるだろう――そうした製作者側の計算がモロ見え見えって感じでしたからね。マッタク我々もなめられたもんです。』

北斗『事実、一部のファンサイトでは単純にそういう演出で大喜びしている人達が結構いましたから(笑)。スタッフ側は成功だと思ったんでしょう。しかし一本の物語として通して見ると不自然な部分が目立つので、今度はアニメしか知らない視聴者が首をかしげて離れ始めた。』

明都『確かに一つの物語として全体を捉えた場合、ストーリー、キャラ描写共に一貫性を欠くものとなってしまいましたね。私の周囲でも、アニメ放送開始当初は【犬夜叉】といえば随分評判が良かったんですよ。それが次第に皆離れて行ってしまって(笑)。ストーリー重視のアニメ派からは完全に見放されつつあるというのが現状としてあるようですね。』

北斗『一度キャラの性格を暴走させておきながら、原作ファンが激怒したからといってムリヤリ原作に近づけ、いいとこどりをやろうとしても矛盾が吹き出るだけなんですよ。原作を知らないアニメオンリーの視聴者をバカにしちゃいけないわけでね。いわゆる虻蜂取らずで、3年目も視聴率は右肩下がり。4年目になると平均10.8%の有様で、2年前から4%以上落ちた。』

ファン間の対立

明都『そんなアニメでも、ストーリーもキャラの人間性も無関係、犬かごベタベタ描写、イケメンキャラの派手描写、美形キャラ同士のいちゃいちゃがあれば満足…という嗜好で見れば、それなりに楽しめるのかもしれません。それを十分意識して作られているようですから(笑)。ただ、アニメ制作側によってキャラがずいぶん捻じ曲げられてしまったために、ファン間の無意味な対立や、特定のキャラ叩きといった虚しい現象を引き起こす一因となってしまったのも事実なんですよね。』

北斗『代表的なのが、アニメ桔梗の暴走でアンチ桔梗のかごめ贔屓という読者がやたらにファンサイトで吠え始めた。あんな女に未練持ってかごめをないがしろにする犬夜叉はけしからん、さっさと別れろ二股男、って理屈なんですね。これは原作だけのファンにもかなりいる勢力なんですけど、明らかにアニメの演出が輪をかけてる。一方では原作の桔梗ファンがますます激怒して、アニメでベタベタする犬かごをとことん軽蔑した挙げ句、原作の犬かごまで自分たちのことしか見えていないだのバカップルだのと言いたい放題。桔梗贔屓もかごめ贔屓も互いにアニメと原作の区別がつかなくなって、アニメの問題点を恋敵キャラの悪口に利用する始末ですから、一時期のファンサイトはもう収拾がつかなくなってました(笑)。』

明都『つまり、アニメ演出がファン間の対立に輪をかけ、更にサイトの存在がその対立に拍車をかけてしまったともいえるのかな。確かにサイト管理人という責任ある立場にいながら、ご自身のサイトで慢性的にある特定のキャラ叩きや愚痴ばかりを繰り返す方も中にはいらっしゃいますからね(笑)。よくもまあ、あれだけ重箱の隅を突付くかの如く、キャラのあら探しをしてお説教を繰り返し、負の視点でばかりこの作品を読めるものだと感心しきりなのですが、そんなに【犬夜叉】という作品や作者の筆の進め方に不満があるのなら、読まなきゃ良いだろって思いますよねぇ。楽しくありませんよね。そんな風に【犬夜叉】を読んでいたって。それともソレが趣味なんでしょうか。』

北斗『人気作品に文句をつけるだけの連中は、たしかに存在しますから。あら探しにすぎないことを、自分の知性の高さだと自慢するタイプもいますよ。それこそ昔っから…まあこれはもっぱら男の場合ですけど(笑)。』

明都『だとしたら随分性格暗い(笑)。要するにそういう方には元々、他に対する“思いやりの欠如”や“気配り不足”といった精神的な幼さが根底にあるんでしょう。まがりなりにもかごめや桔梗のファンであるならば、もう少し彼女達を見習い精神的に成長してほしいものですね。』

北斗『さすがに文句つけの専門家は、自らサイトを開設するまではせず、もっぱら公共掲示板や人様のサイトで悪態をつくもので、こういう男どもは明らかにファンじゃないからまだいい。問題なのはファンを名乗っててこの作品オンリーのサイトを開設していながら、変な方向に解釈してる人達なんですよ。そしてそういう人達に限ってやたらに‘言論の自由’だの‘表現の自由’だのを居丈高に持ち出すという特徴があるんですね(笑)。』

明都『その‘自由’を声高に主張する人たちに限って、苦情は一切受け付けません的な無責任な姿勢を見せたりしませんか(笑)。そもそも‘自由’とは自分にかかる責任が一番重い事なんです。好き勝手に何をやっても良いという意味の言葉では決してない。それ相応の責任を取る覚悟なくして、自由ばかりを主張できるはずもないんですよね。聡明な人ならその言葉のもつ意味をしっかり自覚しているから、むやみやたらに‘自由’という言葉を振りかざしたりはしないんですけ
れどね。』

北斗『一般社会でも自由を強調する人には近所迷惑なタイプが多いのが事実ですしねえ。仕事で色々な調整をやる時にも、そのタイプがよく障害になる。』

明都『だいたい‘言論の自由’を盾にキャラ叩きや作品批判を繰り返す人達の言い分を拝見すると、申し訳ないんだけれどえらくトンチンカンな主張ばかりが目につくんですね。そして、どうしてもそうした人達の声って大きくて目につきやすいから、アニメ製作者に‘犬夜叉ファンとは所詮そんなもの’と甘く見られてつけこまれる。結果、アニメ作品はどんどん安易な客寄せ路線へと走る。そういうわけなんだな。まあ、そのアニメ制作者側にも感性不足とそれに伴う原作誤読が深く根ざしているんだから救いようがないんですけれどね(笑)。』

北斗『うーん、そうなるとやはり3年目以降のアニメ犬夜叉は…』

明都『アニメ製作者の制作姿勢とその作品が、原作者及び原作世界を真に愛するファンたちに対する配慮を欠いたまま、安易なウケ狙いに走るとこうなるものなのか――それをものの見事に象徴していますね。そのようにして制作されたものからは、作品の重みはおろか、品性の欠片すら感じられないんですよ。』

北斗『原作ファンとアニメファンが対立するのは大昔からよくあることですし、ある意味それは宿命ともいえます。対立があること自体が作品人気の大きさの証だということなんだけど、こと高橋留美子氏の作品に関しては【うる星やつら】の頃からそりゃもう根が深くて深くて(笑)。』

原作者の気持ち

明都『ちょっと高橋氏の作品世界を軽く見すぎていないかい?…そんな印象すらあります。要するに、原作世界をもっと愛して、大切にして、そして原作者の気持ちに立ってみて、制作にあたってほしいんですよ。それが二次創作を手がける者としての、必要最低限のマナーなんじゃないでしょうか。』

北斗『おっしゃることはよくわかります。噂では青山剛昌氏なんかはかなりアニメにも意見をポンポン出してるみたいなんですけど、高橋氏の場合は非情に寡黙なんだそうです。【うる星】の頃はアニメ制作側に押井守氏という傑物がいたんですけど、この人が劇場版二作目を作った時、高橋氏自身があれは押井さんのうる星で私のとは別物ですと明言してる(笑)。どうも高橋氏は、自分の作品はアニメになるとまず原作に忠実にならない、と悟ってるような節があるんです。』

明都『高橋氏はプロであり、アニメ製作者もまたプロですからねぇ。高橋氏はその点を踏まえ、相手のプロとしての仕事をできる限り尊重し、また信頼し、ご自身の作品を預けようという姿勢でいらっしゃるのかもしれません。あるいは、アニメ制作側がきちんと原作の世界観を理解しているという基盤がなければ、いちいち口を挟んだところで根本的にはどうにもならない――それを悟っていらっしゃるのかもしれませんね。』

北斗『そんなわけで御大が沈黙を貫かれるので、私のような頭の固い原作ファンがギャアギャア騒ぐことになるんですけど(笑)、気がつくとすっかりアニメから離れてしまってる。3年前から平均して5%近く減ってしまった視聴率を構成していた人達は、もう【犬夜叉】という作品を見限ってしまったのだとしたらいささか悲しいんですけど、原作に乗り換えてくれた人達も多いはずだと思うんですよ。』

明都『私もそう思います。アニメの一番の功績は、それまで【犬夜叉】という作品を全く知らなかった方々に、出会いの機会を与えてくれたということでしょう。最初はアニメを通じて【犬夜叉】の世界に興味を持ち、次第に原作派に移行していったとか、更には他のるーみっく作品に興味の幅を広げていかれたりとか、そういう人達もたくさんいらっしゃるはずです。インフォに登録されている犬夜叉系サイト数ひとつとってみても、今ではおよそ42,000件ですからね。これはアニメ開始当初の登録数の軽く8倍から10倍にもなるんです。いかにアニメの影響が大きかったかを物語っていますよね。』

北斗『原作の存在を飛躍的に世間に知らしめてくれる、まあそのためのCM料金と割り切れば、アニメが別物になるのも黙認するのがプロとしての原作者の姿勢かもしれませんね(笑)。アニメ製作側にしてみりゃ、高い著作権料まで支払ってるんだからという気持ちがあるんでしょうが、だからといってやりたい放題していいのかって側面もありますけど。』

明都『昨年テレビ東京系列で【Pの悲劇】【専務の犬】等に引き続き、【人魚シリーズ】も一部放送されましたが、これは【犬夜叉】人気の波及が一因しての事とも考えられますね。何しろ【専務の犬】には、ワンカット、それもほんの少しですが犬夜叉とかごめまで出てきた(笑)。一般放送網ではありませんが、【うる星やつら】【めぞん一刻】【らんま1/2】も殆どエンドレスで毎日のように放送されています。【犬夜叉】アニメ開始に伴い、こうした他のるーみっく作品も再び注目されているんですね。』

北斗『古本屋で偶然手にとって読むとか、レンタルビデオ屋で偶然に興味をそそられて借りてみる確率と、リアルタイムでTV放送に接して興味を持つ確率とではそもそも比べ物にならないってことでしょうな(笑)。幅広いTV放送でオンエアされるからこそ、読者層の世代交代を促進するんです。実はいわゆるるーみっくファンの男って、オタクの代名詞みたいに世間から見られてるもんだから、特にファンというわけじゃない一般人女性と結婚すると、嗜好が子供に引き継がれないみたいで…そんなわけでやはりアニメ再放送の影響は絶大ですよ。』 

明都『テレビアニメというものは、おっしゃるとおり巨大メディアによって流される一種の作品CMみたいなものなのかもしれません。CMだから実際のその作品の価値は原作に接してみなければわからない事も多々…なのですが、一度に多くの人々に作品の存在を認知してもらうには‘これ以上のものはない’というくらいの絶好の手段なんですね。その点においては、これらるーみっく作品のアニメ化は成功だったといえるのかもしれません。そのCMの出来はともかくとして…(笑)。』

劇場版犬の舞台裏

北斗『さてちょっと話を戻しますが、劇場版第一作目(時を越える想い)で不自然だったのは、キャラ解釈やストーリーだけじゃなくて作画。普通アニメが初めて銀幕に進出するんだから、考えられる最高のスタッフで最上級の絵になるようにするもんですよね。まして明都さんが指摘なさるように、爆流破のために超特急でTVアニメを進め、数々の犬かごシーンまでカットしてきたんだから、それこそサンライズが命運をかけて作り上げた映画、になるはずだったのに…私は映画館でかごめが振り向いた瞬間にのけぞりましたよ(笑)。なんだったんですかねあの作画の質の低さは?』

明都『犬夜叉や殺生丸等の他のキャラにしても、とんでもない顔をしていましたよね(笑)。隣で見ていた友人などは、プロの仕事じゃねえ〜!って、ケラケラ笑ってた。確かにあれは怒りを通り越して思わず笑いたくなるようなレベルでした。しかもそのキャラ達の顔立ちや体形までが場面場面で激しく変わる変わる…完全に一貫性を欠いていましたからね。TVシリーズではキャラデザインは菱沼氏が担当され、氏の設定したデザインを元に作画担当者は作業にあたるわけですが、映画ではこのデザインもほとんどど活かされていない状態でした。』

北斗『作画監督は何をやってたんだ、とわめかれそうな出来映えだったんですけど、修正の時間もなかったのかコラ、と思わずツッコミたくなる(笑)。』

明都『TVシリーズでせっかく定着しつつあったキャラ達のアニメイメージをなぜわざわざ映画では違うものにしなければならなかったのか…それも不思議なんですね。映画でのキャラクターデザインは本橋氏と菱沼氏のお二人が担当されているようですが、この点にも何らかの問題点があったのではないか、なんて勘ぐってしまうんですよ。なまじ外から助っ人として呼んだ本橋氏が大物だっただけに、ですね。キャラを描き起こす際の基本ともなるべき雛型をきちんと一つに絞り提示した上で、作画担当者それぞれが作業にあたったのか?――あのコロコロ変わるキャラの容貌を見つめながら、そんな疑問が湧いたほどでした。』

北斗『【うる星】の劇場版第二作制作時に声優さんらの組合と出演料問題で揉めたことがあった、なんていう‘大人の世界の事情’を小耳にはさんでしまっている私のような年寄りは、つい‘路線対立で制作途中にスタッフ総とっかえ’なんてことがあったんじゃないか、と映画視ながら考えてましたよ。事実【うる星】劇場版の完結編でそれが起きたことがあったんです。キャラ設定資料を当時のアニメ制作会社のファンクラブ会報に掲載したところ膨大なファンの抗議が殺到したため、プロデューサーが決定済みの監督他スタッフを更迭してすべて入れ替えちゃった。犬夜叉第一作では、制作途中で脚本、演出、監督らの内部対立が起きて修復不可能になり、急遽作画担当を変更して突貫作業させることになって本橋氏にSOSを出した。その結果調整の時間がなくなってしまい、酷い作画になってしまったんじゃないかと。予告編で放映されたシーンが本編に全然なかったのも、そうだったとすると合点がいくんですね。』

明都『十分考えられますね。本当なら納得のいく作品が完成するまで、一般公開は延期すべきところだと思うのですが、それこそ様々な要因が絡んでそれは無理だったんでしょう。しかし、これではお金を払ってわざわざ劇場まで足を運ぶファンがたまりませんよ。より良い作品を作るために激しい意見交換がなされて、その結果生じた摩擦・内部紛争ならまだ救いもありますが、各々の利潤や変なプライド等が交錯しての対立であったなら、泣くに泣けません。』

北斗『何があったのかはわかりませんが、もう時間がない、おまけにTV放映では爆流破までこぎつけなきゃならんから人手は回せない、大々的に宣伝までやって前売り券を派手に売りさばいておいて、今更上映延期なんぞできるかっ!とお偉いさんの雷が落ちて、不眠不休で突貫工事でああなった…とでも考えないと説明できないんですよ、あれは(笑)。』

明都『絵は描く人の内面をストレートに表に出してしまうと一般にも言われていますが、まさにあの作画はアニメ製作者側の内情を浮き彫りにしてしまったわけだ(笑)。』

北斗『作品の出来は組織としての力量を表すものです。しかしあれでも感動した面白かったというリアクションをした層はそれなりにいたらしくて(笑)、めでたく劇場版第二作(鏡の中の無幻城)の製作が決定する。今度は絶対に失敗は許されないとばかりに、サンライズはわざわざ高橋氏を製作会議に招いて、敵キャラである香具夜のキャラデザインを当人に依頼してる。そして問題の犬かごキスシーンも、高橋氏に了解をもらって描いた、らしいんですけどね(笑)。』

明都『一見、アニメ制作側の高橋氏に対する配慮のようにも思えますが、これにはもっと別の思惑も絡んでいるようですね。つまり、原作者が劇場版に関与しているという事、それをファン側にアピールしたかったんでしょう。キスシーンについても、わざわざ高橋氏の了解を得たということは、そうした描写を入れることが二次創作者にとって‘禁忌’を侵すことであると十分理解していたからだと思います。』

北斗『わかっていたから原作ファンへのアリバイ工作ってことですか(笑)。客寄せの広告塔に利用していたのはミエミエだったけどねえ。』

明都『どのような形で了解をとったのかは知りませんが、その時の高橋氏の心中を考えるとお気の毒に思いますね。元々高橋氏はキスシーンのような直接的表現をあまりなさらず、キャラのさりげない言動や仕草を丹念に積み重ねていくことによって、キャラ同士の絆や信頼関係を表わす方ですよね。』

北斗『ええ、そのとおりです。前作【らんま1/2】でも、実は乱馬とあかねのそれといえば、ネコ化していた乱馬が無意識にやった一回きりだった(笑)。娘の読んでる少女漫画雑誌見たら、キスシーンなんて多すぎてインフレ状態ですよ。そんな時代だからこそ、もっと高橋氏の手法は評価されていいと思うんです。』

明都『そうした心情的繋がりの描写をこれまでずいぶん省き捻じ曲げてきたアニメが、原作をさし置いてキスシーンを入れさせてくれだなどと、よくもまあ申し出られたものだと感心してしまいます(笑)。アニメ制作サイドの安易な客寄せ姿勢には高橋氏もきっと落胆したんじゃないでしょうか。あの頃おぼろげに思ったことは、これで原作での犬かごキスシーンの可能性は一気に減少してしまったなってことでした。』

ファンサイトの暴走

北斗『ちゅーだちゅーだとファンサイトも大騒ぎでしたねえ(笑)。まさしく即物的といいましょうか…そういう価値観が多数派だってことでしょうか。』

明都『非常に残念ですが、そういうことなんでしょう(笑)。即物的な嗜好に走るサイトがずいぶん目につくようになってきましたからねぇ…。早くキスしろ、抱きしめろ、大人の展開に期待等々と、そんなことばかり恥ずかしげもなく堂々とおっしゃる人もいらっしゃいますから。しかもいい大人だったりするからタチが悪い。そーゆうものを期待するなら、他の漫画でやってくれ!って私なんかはついつい思ってしまいますけれどね。そもそも高橋氏の原作世界の魅力がどこにあるのかという根本的なことすらわかっていないんじゃないかと。』

北斗『アニメから先に知った人なら、まあそれも仕方のないことかとは思うんです。ただなんというのかな、ご自分の常日頃の欲求不満をサイトでぶちまけているかのような方々は、さすがにね(笑)。』

明都『で、そうした欲求不満をご自身が二次創作をされることで満たそうとするから、やたらと即物的で恥知らずな代物が多くなる(笑)。きちんとご自分を律することのできない人のサイトは、暴走の一途を辿るわけだ。同じ【犬夜叉】ファンとしてとても哀しく残念に思うのは、高橋氏が作品を通してこちらに語りかけてくるメッセージというものが、そういう人達には何ひとつ伝わっていないんじゃないかって危惧されるところなんですよ。』

北斗『うんうん、そこは重要だと私も感じてます。できれば思い当たるところを聞かせていただけますか。』

明都『まあほんの一例に過ぎませんが、高橋氏は連載当初から【犬夜叉】という作品を通して、命の大切さを繰り返し謳い続けてきましたよね。そもそも鉄砕牙は、人の命を慈しみ、守る気持ちがなければ使えぬという設定。魂静めでの真由の話も実に印象的でした。桔梗の死人としての設定もまた、命の尊さを訴える一つの象徴としての役割を担っているようです。19巻で犬夜叉が変化し、野盗をその手にかけてしまった時、後で深く苦悩する描写に至っては、誰にでもわかるストレートなメッセージとして読者に贈られたものだったと思います。例え相手が悪人であったとしても、その命を取ってよい理由には決してならない――それは犬夜叉の壮絶なまでの悲壮感の描写を通して高橋氏が我々に教えてくれたものであったと思うんですよ。そうした数々の高橋氏のメッセージをきちんと受けとめることができていたなら、いくら七人隊に美形がいたからといって、簡単にそちらへなびくこともなかったのではないかと思うんです。』

北斗『ああ、ズバリですなそりゃ。原作では18巻のかごめが戦国に戻ってくるところばかりがクローズアップされがちですが、鋭い感性を持つ読者はむしろ19巻の描写に唸ってハマるんですよね。』

明都『外見の華やかさだけに飛びつく行為にしても、高橋氏がかごめという少女を通して、人を外見で判断せずに内面に目を向けることの大切さを繰り返し訴えてきたこととは明らかに逆行していますよね。私は高橋氏が七人隊にこうしたいかにもウケのよさそうな美形キャラを持ってきたことには‘踏絵的役割’があったのではないかと感じています。我々読者がいかに高橋氏のメッセージを受けとめてくれているか、かごめや犬夜叉側の人間でいてくれるか。それを確かめる意味もあったのではないかと…。』

北斗『うーん、なるほど。そういえば第8巻の地念児のエピソードでは、外見ゆえに化け物扱いされる者の悲哀を描いてましたよね。かごめはまさしく内面を見て地念児と村の人々の間をとりなし、地念児が自分の力を見せた後、犬夜叉は初めて自分の過去を少しかごめに話す。七人隊はちょうど地念児の逆だ。』

明都『まあ、確かにこうした漫画作品の場合、現実の倫理からは切り離し、ただキャラの外見の格好良さに萌えるのもひとつの楽しみ方だとは思うんですよ。ですから七人隊のファンになることも、決して悪いこととは思ってません。ただここで肝心なのは、実際私も目にしてきたのですが、七人隊の美形キャラを倒した犬夜叉を責める言葉を公然と述べたり、美形キャラに弓を放ったかごめを卑怯者呼ばわりしたりすることは、やはり何かが歪んでいるような気がしてならないんですよ。極めつけは、桔梗、犬夜叉、かごめの3人の関係に目くじらを立て批判する一方で、七人隊の行ってきた残虐行為には目を瞑る事のできる人――そればかりか自分の作品の中で七人隊の美形とヒロインを無理やりくっつけ、いちゃつかせて喜ぶことのできるような人は、まず間違いなく‘歪んでいる’わけで、当然かごめや犬夜叉側の人間ではなかったのだということなんですね。』

北斗『たしかに、いわゆる‘同人的要素’って単語を前面に出すだけで、そういう嗜好を正当化したり免罪されたと思い込んでいる節のあるサイトは結構ありますよね。わかっててはしゃいでいるんだから無粋なコト言うんじゃないの、って態度が透けて見えますが、いくら一般人が死のうが惨殺されようがおかまいなしで、桔犬かの三角関係には人の道だのけじめだのを強調されてもねえ…。本当にわかってるのかね、と一言言いたくもなるってもんです。高橋氏の‘踏み絵’はリトマス試験紙になったのかもしれませんね。読者に反応する色を示させて。』

明都『同じ作品を楽しむにしても、同じキャラに萌えるにしても、その萌え方によって、各々の知性や品性といったものが周囲に曝されているのだということを自覚してもらいたいものですね。』

北斗『二次創作をやろうとするきっかけが、原作では叶わないことをさせたいとか、原作に不満を抱いたからとかであるのは事実でしょう。でもねえ、やっぱり既存作品のキャラクターは読者のお人形じゃないんです。キャラの人格を歪めまくって自分の思い通りにして喜ぶ心理は、言っちゃ悪いけどストーカー達が抱く妄想と大差がない(笑)。そういう楽しみを奪う権利は誰にもないかもしれないけど、サイトに掲載するということは全世界に向けて展示してるのと同じなんだから、いくらペンネームだからといったって、少しは恥を知っておかなくちゃいけないと思うんですよ。』

明都『同感です。確かにその人の考え方や作品に対する視点、嗜好などを知るには、その人の二次創作物を拝見するのが一番手っ取り早い、とはよく囁かれる事ですよね。つまりはそうした作品を通して、それを描いたあるいは書いた者の知性や品位といったものが、自ずと周囲に量られるというわけです。自分の欲情ばかりに走っていると恥をかくのは全て自分なんですね(笑)。巷のサイトで、よく‘この作品に対しての苦情、もしくはこのカップリングに対しての苦情は一切受け付けません’といった類の文字を目にしますが、そんな注意書きを書かなくっても良識あるファンならわざわざ文句を言ってくる方も少ないでしょう。その代わり心の中では嘲笑と侮蔑の目を向けているわけですが(笑)。そうしたサイレントマジョリティの存在を忘れてはいけないんです。』

北斗『その‘苦情は受け付けません’ってのは枕詞と化してますから(笑)。予防線というか防衛線というか…。』

明都『しかもそういう断り書きを書く人からは、自分のしていることに対する責任逃れの姿勢さえ感じてしまうんですね。言われなき誹謗中傷は論外ですが、仮にも不特定多数の人々が訪れるサイト上に自身の作品を載せる限り、きちんとした責任と覚悟は持つべきなのだと思います。先にも述べたように‘表現の自由’を主張して自分の欲情に走った作品作りをしているのなら尚のこと、きちんとそれ相応の責任をとる覚悟が必要なんですよ。載せる側がそうした責任を持てなくて、どうしてサイトの質を維持していくことができるでしょうか。その部分の意識がどうも低いような気がしてならないんですね。当の原作者は自分の作品に対して、いつもそれなりの覚悟と責任を持って発表しています。そのキャラをお借りする以上、無責任な考え方は改めてほしい。それを強く感じますし、それがファンとしての最低限の礼儀であり、品性なんじゃないでしょうか。』

北斗『妙な話で、一個人の妄想の中にとどまっている内は実害がまったくないんですけど(笑)、サイトに掲載してそういう嗜好に同調する人達が増えてくると、どんどん変質してきて恥の概念が薄れていくんですね。暴走族ならぬ妄想族が集まってきて、やんやの賞賛をくれるからと調子にのって人気とりで描いたり書いたりしてると、気がついた時にはとんでもないものになってたりする。そこまで行けばある意味ストーカーの実践に等しいんですよ。』

明都『確かに正真証明ストーカー心理と同等系列の物ですね(笑)。しかも周囲の賛美に浮かされてどんどん内容が困った方向へ行ってしまう、感覚が麻痺してしまうという部分には‘ネットアイドル症候群’の兆しさえ感じますね。でもね、忘れてならないのは‘こういう小説を読みたい’と訴えることは簡単にできても、‘こんな小説は書かないで下さい’なんてことは、読み手側は書きたくても書けないものなんです。しかも掲載された作品への感想は‘賛美のみに限る’みたいな無言の掟が犬サイト世界には蔓延しているような気もしますし、そんな中で‘これはちょっと…’という意見はそうそう言えるものではないんです。だから皆さん無難な方法で誉め言葉を並べるしかない…(笑)。』

北斗『あるある。批判は御法度で無難に褒めるってことになると、褒め言葉もワンパターンになるし、いかにも上っ面って感じになるんですよね。』

明都『けれども実際、そんな二次創作物に対して気分を害されたり、落胆されたりしている方々は、きゃあきゃあ言って賛美する人の数の比ではないんです。それこそ無責任に騒いでいるだけの‘熱し易く冷め易い妄想族’の声って、少数派でもやたら声が大きくって目立ちますからね。それを多数派の意見と勘違いして‘人気作家’気取りで恥知らずな作品を作れば、周囲から軽蔑されるのは自分なのだということを十分肝に命じておいてほしいものです。そもそも高橋氏の原作世界をずっと支持し応援してきたファンを裏切るような代物を書いて満足しあっている人達は、小学館が掲げている【オフィシャルサイトにおける‘画像使用・著作権について’の公式見解文】すら知らないのではないでしょうか。知っていたらいかに自分達が危うい橋を渡っているのかがわかると思うんですが(笑)。』

北斗『あの見解文はあまりに厳しいというので、某人気漫画のファンサイトの管理人さんが少年サンデーの編集部に問い合わせて、私たちのサイト活動も法的措置の対象になるんですかと聞いてみたら、‘サンデー掲載作品のキャラを使ったあまりに不快感を与える内容を掲示しているサイトへの警告のためで、ごく通常のファンサイト活動を規制するつもりはない’という回答をもらったらしいですね。真面目に考えるのは健全サイトの関係者だけというのは少々情けない(笑)。』

明都『そんな中で高橋氏が、二次創作者達へ精一杯の思いやりとして下さった言葉‘キャラを大切にしてあげてください’には、高橋氏の様々な思いが込められていると思うんです。二次創作に関わる方々は、この言葉を真摯に受け止め、原作及び原作者に対する敬意と配慮、良識と品位をもって、謙虚な姿勢で作品を制作してほしいものです。これをもし高橋氏が読まれたら、どんな風に感じるだろう…それを考えてみることも大切ですね。そうした基本的心構えがあって、始めて高橋氏の大切なキャラをお借りできる資格を持つのではないでしょうか。そして今一度‘原作の犬かごはキスすらしていない間柄’であるという原点に立ち戻って、その意味、又は意義を考えてほしいですね。高橋氏も心からそれを望んでいるはずと思いますし、その作品の端々にもそうしたメッセージは込められているように思えるからです。』

北斗『昔、高橋氏が某SF作家と対談した時に読者・ファンのことが話題になり、数少ない見解が語られていますが、それがその‘キャラを大切に…’ですね。アニメに対してもそうですが、高橋氏はファンに対しても実に寡黙な人で、めったにその手のことを口に出さないですから。そういえば10月に高橋氏は小学館のビッグコミックに初登場して、読み切り短編‘可愛い花’を発表したんですけど…この作品、ずいぶんと暗示的なんですよねえ(笑)。』

明都『ええ。最初読んだ時、空木先輩がまるで某アニメ会社みたいに思えましたね(笑)。主人公の梨花子が、おかしいのは自分の方なのか?…と心配しながらも決して周囲に流されずに抵抗を続ける図は、原作者から一部ファンに向けたエールのような気がして嬉しかった。』

北斗『あははは。人間のメスの視覚神経に作用して‘心地よい幻覚’を見せる…とか、ベッカムだのキムタクだの、抱かれたい男ランキングじゃあるまいし…なんて、たしかに強烈ですもんね。』

明都『視聴率の低迷化から脱出できる手段と考えたのか、アニメじゃ七人隊の女性受けしそうな美形キャラ演出に物凄く力を入れていましたからね。』

北斗『しかし他の女性には心地よい幻覚を見せるフェロモンが、主人公には…』

明都『そう。臭くてたまらない(笑)。』

北斗『なのに空木先輩は梨花子が自分の虜になると思い込んで、その香水を自分自身に吹き付ける。』

明都『で、寄るな! 臭いっ!(笑)。』

北斗『この時期にこういうお話が掲載されると、我々のように妙な解釈をやってしまいたくなるんですよね。』

明都『そんな変な解釈をする人の方が、空木先輩なのかもしれません(笑)。』

北斗『だから怖いし、可笑しくもあるんですよ(笑)。』

注)【可愛い花】ビッグコミック10月日号に掲載された高橋留美子氏の読み切り短編作品。主婦の梨花子の行くところに必ず現れる奇妙な花。その臭いが梨花子には嫌でたまらないのだが、知人の主婦達や行き先の女性達は皆『いい臭い』で可愛い花だという。自分だけがおかしいのかと思い悩む梨花子は、花から香水を開発する仕事で海外出張中の夫にメールで相談するが、一方頻繁に怪しげなメールが舞い込んでくる。贈り物気に入った?という単文メールの後に自転車のカゴに例の花が置かれる。梨花子は相手の正体をつきとめようとするが、知人達に訊いても花を配った男の印象は、著名人や有名人のイケメン男性の名前ばかりが飛び交い、全員がバラバラ。たまたますれ違った自転車に乗っていた男から花の臭いを感じた梨花子は後を追い、空木という名の表札を見つける。夫のメールで花の名前はわかるかと訊かれた直後に、もっと素敵な香りをプレゼントするよ、という単文メールが来て、一段と強烈な臭いを発する実物の手紙が届く。マスクをして涙をこぼしつつ中身を開くと、花の名はodi mto amoと書いてある。夫に知らせるとそれはラテン語で『私は憎み、そして愛する』という意味だと返信メール。そしてついに空木本人が姿を現し…不可思議な秀作。

読者と作者の間柄

北斗『さっき言った某SF作家との対談では、ある著名な作家が‘ファンクラブとは作家を盛り立ててくれるもんだと思っていたら、悪口ばっかり言いやがる’と嘆いていたってエピソードも引用されてましたけど(笑)、時代がファンクラブの会誌からネット・ファンサイトに移っても、この問題は相変わらずみたいです。特に公共掲示板じゃネガティブな批判非難ばかり書き込む連中が居丈高にのさばってるんですね。』

明都『なるほど…。困ったちゃんの顕著な特徴として、居丈高に作品批判を繰り返し自分の存在をアピールしたがるという点でどこでも共通していますからね。で、そうした人達がごねる理屈というのも内容的には皆どんぐりの背比べ。お世辞にも利口な発言とはいえないものが多いんですよね(笑)。』

北斗『よくあるのが、読者自身の理解力、想像力、感性の不足からくる作品の誤読にすぎないことを、どういうわけか原作者の描写不足だのキャラの変更だのといった批判にすりかえているケースですね。さっきお話に出た、鉄砕牙の妖力が消えた時に犬夜叉に斬りかかった蛮骨に矢を射かけて卑怯者となじったかごめを反対に卑怯者呼ばわりする読者なんかがそれ。自分の理屈に自信満々で、変なコトを言っているという自覚がない(笑)。まあ滑稽といえば滑稽なんですが、こういうのは読者の思い上がりもはなはだしい無礼な所業なんですよ。』

明都『私も最初、あの場面でのかごめの言動に対して‘卑怯者はどちらだ’なんて平然と述べている意見を目にした時にはさすがに驚きましたね。桔梗や犬夜叉に対する批判や愚痴の類もそうですが、まともな感覚を持った人なら絶対にこんな屁理屈言わないだろうにって思える事があまりに日常茶飯事に繰り返されてる。ちょっと感覚が麻痺し過ぎなんじゃないですかね。私はこうした人達の意見を目にするにつけ、本当に情けない思いがするんですよ。もう少し周囲に対する気遣いとか思いやりの心があれば、不特定多数の人々が訪れるサイト上で作品叩きやキャラに対する愚痴ばかりこぼせるはずもないんです。キャラたちの方がよっぽど‘大人’で常識というものを持ち合わせている。いつまでも見苦しい愚痴ばかりこぼしていないで、もう少しキャラ達を見習ってほしいですね。』

北斗『そもそも読者様は神様ですなんていうのは、プロとしての建前ですよ。もし作者が一般人で読者が神様だったら、ミリオンセラーの作家の場合、たった一人の人間に百万人以上の神様がいることになるでしょ(笑)。ちょっと考えたら、逆だろってわかりそうなもんです。売れっ子の作者なんて読者の一人一人より、ずーっと格上。当たり前のことなんですよ。大企業の社長と平社員以上の地位の差があるんです。それを忘れて何様だコイツ的な偉そうな態度で作品やキャラ批判をやる輩がやたらに目立ってるんですね。』

明都『無から何かを生みだし、それを組みたてて一つの形にしていく…そうした行程での作業がどれだけ大変なことなのか。ただ出来あがった作品を読むだけ読んで偉そうに批判だけしている人にはわからない。ミリオンセラーの作家だって、何も遊んでいて今の地位を築いたわけじゃないんです。それに、作品やキャラ批判を慢性的に述べる人の場合、たいがい作品をある一定方向からしか捉えようとしていない場合が多い。物事を見つめる視野が異常に狭いんです。で、この物事を多角的に見つめることができないというのは、芸術・文芸分野を理解し実践する点において、非常に致命的なんですよ。つまり、こういう人達の感性がその分野の第一線でバリバリ活躍している作家の感性に追いつけるはずもないんです。だから作品を誤読したり、歪んだ見方しかできない。でも大元の原因が自分自身にあるのだという謙虚な視点でモノを考えられないから悪循環を繰り返すし、そこから抜け出せない。したがって成長もできないんですね。』

北斗『仮に作品に明らかな誤りがあったとしても、はるかに格上の人物に対してそれを指摘する時には、お言葉ですが…とか、失礼ですが…とか形容詞をつけてお伺いをたてるもんです。それをね、明らかに自分自身がバカな勘違いをして勝手な思い込みやっておきながら、それが間違いだと気づきもせずにキャラや作品や原作者を叩くなんていう愚か者が多いですね。その手の人達を、私は‘誤偏読者’と呼んでます(笑)。キャラ変更をされるくらいなら、もっと前に高橋先生に手紙を出しておくべきだったなんておかしなことを言ってる誤偏読者は、年収数億円の大作家を一介の読者風情が‘指揮監督’してるつもりでいるんですから、呆れてものが言えません。連載の途中でキャラが変更されてるなんて妄想もひどいけど、自分がどんな大それたこと言ってるかくらい自覚しろ、って(笑)。』

明都『それを自覚できないから平然と恥ずかしげもなく作品叩きやキャラへのお説教を繰り返すんですよ。わかっていたら恥ずかしくってできっこありません(笑)。そもそもこうした‘叩き’が生まれる経緯として、作品の表層しか目に入っていない場合もあれば、やたらと解釈をねじ曲げている場合もある。明らかに感性不足と想像力不足から来る誤読に起因している。そういう皆さんに共通するのは‘自分の思い通りに展開しないストーリー、もしくは自分の思い通りに動いてくれないキャラへの我侭な理屈の押しつけ’でしかないことが非常に多い。恥ずかしいと思うんですけれどね。』

北斗『ネットの怖いところは、不特定多数の人間に見られる可能性がある場だということ。これは即売会に参加して本を購入しない限り見られることのなかった時代とは比べ物にならないくらい公共性が上がったってことなんです。そんな場所でさあ、自分の勘違いと誤読を根拠にして、漫画家部門長者番付一位の作家を偉そうに叩く誤偏読者はとんでもない無礼者であり、まったくのドン・キホーテですよ(笑)。』

明都『‘私は感性が貧困です。想像力も足りません。オマケに自己中思想の持ち主です’みたいな宣言をネットを通じて堂々と全世界に宣伝し、公衆に曝しているわけですね(笑)。自分自身の未熟さを作家の所為にすりかえている構図は、端から見るととても滑稽に映るんですが、きっとそういう人達は自分の理屈に酔っている部分もあるんでしょう。酔いすぎて中毒症状を起こしているような人も中にはいますから(笑)。』

北斗『まあ一介の誤偏読者が好き勝手な勘違いをわめいているだけならともかく、タチが悪いのはそれに感化されてしまう人が増えてくることなんですね。これは経験論になるんですが、ポジティブ思考とネガティブ思考で論戦やったら、絶対に後者が有利です。作品やキャラをけなす発想に怒って反論した時点で、ポジティブ思考はネガティブ思考に染められてしまうんですから。』

明都『それは私も非常に危惧していることなんですよ。作品やキャラに愚痴をこぼしまくる人たちの意見からは強いマイナスエネルギーを感じてしまうのですが、そうしたネガティブ思考ってどうも周囲に与える影響力が大きいような気がして…まあ、ネガティブ思考者の声はポシティブ思考の人達と違って、時と場所を選ばず見境なく声が大きい、ということで目立ってしまうんでしょうけれども(笑)。このネガティブ思考感染菌ですが、巷に蔓延させずに済む方法ってないものでしょうかね。』

北斗『大切なのは、大声で作品やキャラ批判をやる連中の言うことを信じないことですね(笑)。自分自身でよく考えてみたら、ほとんど批判の根拠が好き勝手な思い込みと勘違いとから来ているんだってことがわかります。相対性理論は間違っている!とか太陽は熱くない!とかいういわゆる‘珍説奇説’は、言ってる内容がムチャクチャで素っ頓狂なほど目立ちやすいんですが、言ってる本人はそう信じてるんだから(笑)。ああいうのと同じなんです。』

明都『なるほど。確かに作品やキャラ達に対して愚痴ばかり出てくるというのは何かが歪んでいる証拠ですからね。そういう人を見かけたらまず用心する事が大切なんですね。』

北斗『漫画文化がこれだけの長い年月に渡って定着していて、漫画業界の売り上げが巨大市場になっている国の購読層ってのは賢明だし正直ですよ。目が肥えてるってことなんです。それゆえに巷で人気のある作品のアラ探しをやって、自分は偉いんだぞと主張するアホも必ずいるもんですが(笑)、そういうのがごくごく一部の変人だってことは忘れちゃいけない。数百万部の単行本が売れてるって事実だけが、なによりの評価の表れなんですよ。』

明都『昔から本の問屋街で知られる東京神田のある書店のリサーチによると、【犬夜叉】コミックスは発売月のコミックス売上部数では必ずベストテン入りしているんですね。これは凄い事だと思います。11月末の朝日新聞紙面のお勧めコミックコーナーでは、【犬夜叉】が堂々と取り上げられていました。同作品がこのコーナーに取り上げられるのはこれで二回目なんです。これだけでも、この作品がいかにたくさんの方から支持されているかの証拠になるでしょう。』

北斗『漫画作品が本当につまらなくて、変なものに変質してしまったというのなら、単行本は売れなくなるんです。今は古本屋市場が莫大な利益を上げる時代ですから、新版の売れ行きそのものが作品の人気を反映しているとは言い難くなっているなんて説もあるけど(笑)、古本屋に出てくる以上、誰かが新刊で買った物なわけですから、新刊で買った人達が手放さないとなかなか買えない。つまり新刊の売り上げが人気を表していることに変わりはないんですね。』

明都『おっしゃるとおりです。新刊本で買う人がいなかったら、古本屋に売る人もいないわけだ。』

北斗『作品を面白いと思うのも感動するというのも、つまるところ読者自身の理解力と感性に委ねられるものなんです。健全な人なら、面白いと思えず感動できないならそれで終わりで、いちいち批判非難したりしませんよ(笑)。声高に作品批判やキャラ叩きをやる人達は‘誤偏読者’じゃないかと疑った方がいいし、安易にそういう連中に感化されないことですね。まあアニメ犬夜叉を熱烈に支持する人にとっては、我々が‘誤偏視聴者’だってことになるんでしょうけど。』

明都『あっ、それは言えてる(笑)。‘誤偏読者’の件にしても、‘誤偏視聴者’の件にしても。それから‘作品の受け取り方は読者自身の理解力と感性に委ねられる’、これは私も常々思っていたことです。作品の展開やキャラの言動…要するに高橋氏の筆の進め方ですね。これにどのような反応をするかによって、その人の性格や価値観、恋愛経験の有無、時に生き方までもを実に鮮やかに世界中に暴露しちゃったりもするんですよね。気をつけないと(笑)。』

北斗『実際の人間関係でも、勝手に妙な理想像を妄想で作り上げて、それを押しつけられ、それに応えられないからという理由でお説教されたり批判されたらたまりません。親だろうが友人だろうが、そんな関係は誰だってごめんこうむりたいでしょ(笑)。作品を愛するってことは、キャラクター達を友人のように思うことだと私は考えます。自分の思いどおりにならないからといってガミガミお説教に批判非難なんて、そんな奴を友人にはしたくない。』

明都『私は、ネガティブ思考の人達には、もう少し自分の‘自己’というものをしっかり確立してほしいと思うんです。自分とキャラとの間にきちんとした境界線を引くこともできず、キャラ達に依存してばかりいるから、自分の思い通りにならない展開や自分の思い通りに動かないキャラに不満を募らせるんですよ。地に足がついている方は、自分の欲求を無闇にキャラに押しつけたりしないものです。自分もキャラ達も‘自己’を持った、独立した人格なのだということを理解できるからです。恥ずかしげもなくキャラへの不満ばかりを述べている人には、これを念頭におくことからまず始めてもらいたいですね。』

北斗『なるほど、依存心の表れという視点もあるんですねえ。そういえば‘作品を愛すればこそ苦言を呈しているのだ’って言い回しをよく耳にしますけど(笑)、そんなのは甘えですね。私がこんなに愛しているのにどうしてあなたは…的な物言いする人って、まず迷惑な独りよがりでしょ。こんなことを言われたら原作者がどんな思いをするかも想像できないような貧相な感性で、そもそも作品の価値が理解できるはずもないんでね。』

明都『‘私がこんなに愛しているのにどうしてあなたは…’は実に恐いですよ(笑)。自分中心に物事を考えるあまり、結局自分の思い入ればかり大切にして肝心の相手のことを解ろうともしないという典型的なパターンですからね。自分の思い通りにならないからといって恨みばかりを募らせるストーカー心理と同類です。そういう人は何だかんだと偉そうな理屈を並べても、あくまでも大切なのは自分の気持ちでしかない。』

楽しむ読者であるために

北斗『キャラクター達を友人だと思うなら、めったやたらにお説教なんてやれるものじゃありません。黙って見守りながら一緒に喜怒哀楽を味わう。一緒に笑って泣いて、彼らの幸せを願うのが本当の読者であり、ファンってものじゃないでしょうか。』

明都『そのとおりですよね。キャラ達の幸せを願うというのは、自分の価値観という物差しだけで彼らを量ることでも、独りよがりな考え方を彼らに押しつけることでもありません。もっと大らかで温かな心をもって作品やキャラ達を見守ってあげてほしい、彼らの生き方を尊重してほしい。同じファンの立場からそれを切に願います。実を言いますと、私は【らんま1/2】や【めぞん一刻】をきっかけとして、すっかり‘るーみっくわーるど’に入り込んでしまったのですが、その両作品と知り合ったばかりの頃はそれだけで何となく高橋氏の作品世界をわかったような気になっていたんですよ。でも、やがてそれはとんでもない勘違いであり奢りであったと思い知らされたんです。』

北斗『深い理解のある読者ほど謙虚なものですが、それはどんなところで?』

明都『新たに作品を知れば知るほど高橋氏が遠くなっていくような気がしたからです。いかにるーみっく世界が幅広いか、奥行きがあるか。それを新しい作品と出会うたび痛感してきたからなんです。それは50作品ほど読んだ今でも変わらず持っている印象です。高橋氏は我々読者が余計な心配などしなくても、器もスケールも大きな方です。本当のファンなら最後まで作者を信じ、原作世界の素晴らしさを尊重し、作品を見守ることができるはずと信じています。』

北斗『さすがのお考えです。私は【犬夜叉】は過去の高橋作品のメドレーであると考えていますが、やっぱり他の高橋作品や、他作家の作品を数多く読んでいる方から高く評価してもらえるのが嬉しいですね。そういえば誤偏読者って、引き合いに出す他作家や他作品を叩き返されるのが嫌なのか、他との比較という観点もない…まさに視野の狭さを物語るものです。読者は謙虚であってこそ、ものを見る目が養える。大切なことですね。そろそろ結びとしていただけますか。』

明都『はい。先にも言いましたが、【犬夜叉】という作品を本当に愛し、キャラ達を大切に思うというのは、彼らにお説教を繰り返すことでも、無節操にベタベタいちゃいちゃさせることでもないはずですよね。彼らの置かれた立場や想いに心を沿わせ、その生き方を尊重してあげられることだと思います。そして自分の欲求を彼らに押しつけるのではなく‘彼らの視点に立って、謙虚な気持ちで’彼らの幸せを考えてあげてほしい、そう思います。私もそういうファンの一人のつもりですが、私の考えるキャラ達の幸せとは、誰かと誰かがくっついてラブラブなんてものではないんですよ。私は高橋氏のお人柄を考えるにつけ‘長い間付き合ってきたキャラ達に対して、それぞれ温かい視点で幕を閉じてくれるだろう。居場所を用意してくれるだろう’――それを強く感じているんですね。人が生きるためには何が一番必要なのか、そうした‘優しい視点’で物語の終幕を迎えてくださるように思うんです。例えそれが恋愛視点のみで物語を楽しんできた読者の人達にとって不満の残る終幕であっても、キャラ達それぞれが安らげる‘揺るぎない場所’を見つけてくれたら…それが私の一番の願いでもあるんです。』

北斗『明都さんの言葉は金言の宝庫ですよ。いつの頃からか、読者は謙虚さというものを忘れ、作品を楽しむ姿勢を忘れ、キャラへの愛情を歪めてしまっているわけですが、それに自分で気付いていない人達がやたらに目立っている。高橋氏は、なんとかして本当の温もりや優しさというものを読者に伝えようと日夜悪戦苦闘していらっしゃると思いますが、多数の読者が明都さんのお考えのようなスタンスで【犬夜叉】に接することで、それが見えてくるはずです。』

明都『色々と生意気なことを言ってきましたが、犬サイト界には質の良いサイトや良識的な方々もたくさんいらっしゃいます。心から尊敬できる方もたくさんいらっしゃいます。ビジター側にはそうした‘本物のファンとサイト’を見分ける目が必要なんですね。でも‘カウンターの回りの速いサイト=質の良いサイト’という公式も、‘年齢を重ねた大人=感性・知性・品性に優れている’という公式も、あまりアテにはならないと経験を通じて感じていますので(笑)、本物を見分けるのが大変なんです。数字に頼れないぶん、見分け選ぶ力は今度はビジター側の感性や知性に委ねられるというわけです。そんな混沌としたこの犬サイト界で、北斗さんのNLDには‘本物のファン’が安らぐことのできる光であり続けてほしいと願って止みません。これからもキャラそれぞれの立場を尊重した、幅広い視点での語りを楽しみにしております。本日は色々とありがとうございました。今後も北斗さんのご活躍とNLDの尚一層のご発展を心からお祈りしております。』

北斗『いやこちらこそ、本当に色々とありがとうございました。貴重なご意見を拙サイトの運営に生かしながら、これからも原作と原作者への敬意を忘れないファンとして活動を続けたいと思います。』

                               【2003年11月〜12月 メール対談にて】
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