『巫女になった日』

「犬夜叉、ごめんね…待っていてくれた…?」
「かごめ…バカ野郎…今までなにしてたんだ」
…こうして少女は戻ってきた。大人に近づいて。

 *   *   *

「殺生丸。待ってくれて礼を言う。今、りんのことで報いを受ける」
跪いた珊瑚に皆が驚き、戸惑った。
「待ってください! あれは奈落の術に惑わされたものです! 姉上は…」
懸命に弁解する琥珀に弥勒が顔色を変えた。
「どういうことだ」
「…私はりんを殺そうとした」
「なに?」
「りんを抱いた奈落は、法師さまを救いたくば自分を倒すことだと言った。私はりんを犠牲にしようとしたんだ。それに変わりはない。殺生丸の裁きをここで受ける」
殺生丸は黙ったまま鋭い視線を向ける。弥勒は珊瑚の前に立つと、殺生丸に問いかける。
「詳しいことはわからんが…ならばあなたに頼みがある。珊瑚の罪は、私が代わって受けよう」
「法師さま! そんなのダメだ!」
弥勒は珊瑚の肩に手を置いて諭した。
「お前が死んだら私が生きた意味がない。琥珀のためにも、お前は死んではならん」
「私だって同じだ! 法師さまはもう生きていられるんだ!」
「殺生丸さま! あたしはこうして元気。誰も傷つけないで、お願い…」
りんが皆の中に割り込む。
「…どいつもこいつも勝手なことを」
ぷいと横を向いてこれ見よがしに呟いた邪見をちらりと見やった殺生丸は踵を返した。
「殺生丸…」「殺生丸さ…」
弥勒も珊瑚も琥珀も、ほぼ同時に声をかける。すっと振り向きざまに殺生丸はこれだけ口に出した。
「…りんを育ててみよ」
「…あー?…と、いうことじゃっ」
邪見があわてて後を追う。皆はそれを見送りながら立ち尽くした。りんが駆け出そうとしたが、殺生丸のもう一言が飛んできた。
「いずれ見に来る」

 *   *   *

「…そお。そんなことがあったの」
珍しそうな眼差しを向ける双子の娘に手をかざしながら、かごめは微笑んだ。
「正直、許してもらえるとは思っちゃいなかった。りんのおかげだよ…」
三人の母になった珊瑚は三人目に乳をやりながら穏やかに話す。
「四魂の玉は…かごめちゃんに消してもらうのを待ってたんだね」
「私の力じゃないわ。犬夜叉が来てくれなかったら、その願いは言えなかった…」
「…もう、あっちの世界には戻らないの?」
「明日、犬夜叉に言おうと思う」
三年の時が流れても、互いの気持ちは変わっていない。珊瑚はかごめの横顔に決意を感じていた。

「言うべきことは、言ったのか?」
「…なんでい」
「かごめ様にだ。こうして戻ってきてくれたのだから、お前が言わないでどうする」
錫丈でこつんと犬夜叉の頭をこづく弥勒の口元には、一種余裕の笑みが浮かぶ。
「るせーなっ。おれはお前ほどヘラヘラ口先動かせねーんだ」
仏頂面の盟友を横目で見ながら弥勒は思う。やれやれ、この三年でめっきり侍っぽくなったと感じていたが、肝心の女を相手にするとあまり変わっていないのか。
「なんなら、どう言うべきか教えてやろうか?」
「よけーなお世話だっ」
ムスっとして腕組みする犬夜叉に、弥勒は苦笑しつつ黙り込む。
「こやつは三日に一度は井…でっ!」
弥勒の後ろで囁こうとした七宝がブン殴られる。かごめが戻ってきた日の夜は、こうして暮れた。

夜が明け、身支度があるというので楓の小屋の前で待っていた犬夜叉は、出てきたかごめの姿を見て目を見開いた。
「…似合う、かな…?」
ちょっと伏せ気味の目でかごめは犬夜叉の顔色を伺う。真っ白な装束に真紅の袴。紅色の糸で模様が縫われた袖…桔梗も楓も身につけていた、巫女の姿だ。しばしの間黙っていた犬夜叉だが、指を鼻の下にあててぽつりと呟く。
「…割合、サマになったじゃねーかよ」
「ありがと」
にこりと微笑むと、かごめはあの場に歩き出す。桔梗の墓があった場だ。何度かの戦いによって荒れながらも、村人らの協力で小さな祠が復元されていた。
かごめは静かに手を合わせて祠を拝む。犬夜叉はいつもそうするように、横で空を見上げる。あの日から辛かった表情は、年を重ねる度に少しずつだが穏やかなものに変わりつつあった。
「犬夜叉、あたしね…三年間ずっと考えてた。あたしがこの世界に来てあんたと出会ってからのこと…四魂の玉のこと、七宝ちゃんのこと、桔梗のこと、殺生丸のこと、弥勒さまと珊瑚ちゃんと琥珀君のこと、鋼牙君のこと…」
「…」
犬夜叉は黙ってかごめの横顔を見つめる。
「一日だってあんたのことを忘れなかった。でも井戸は繋がらなかったの。なぜだったんだろうなあ」
「…」
三日に一度は井戸に入っていたことを、七宝には知られていたのが恥ずかしい。犬夜叉はちょいと頭を掻いた。
「向こうの世界にいるママや草太、じいちゃんや友達…みんなを心配させたのが申し訳なくて、ごめんねって気持ちだった…それがずっと続いてた。昨日ね、それがちょっと、変わった」
「…もう、おふくろらのことはいいのか?」
かごめはまっすぐに犬夜叉の目を見て答える。
「犬夜叉がいないところはさみしくてたまらない。また犬夜叉に会いたい…そう思ったの。そしたら、井戸が繋がった」
「…」
犬夜叉は小さく口を開いて何か言おうとする。かごめは優しい目でそれを待つ。やたらに長い時間が流れた。鼻の頭を赤らませて、犬夜叉はやっと声を出す。
「…おまえは、もうずっとここにいてくれるのか?」
「うん。あたしはここで生きてく。琥珀君に命をくれた桔梗みたいにはなれないけど、この村のために働きたい。…犬夜叉、一緒にいてくれる?」
これじゃ逆だと焦りつつも、半妖の少年は咄嗟に、しかし力強く言った。
「元からそのつもりだ。ずっと守ってやる!」
肩に腕を回して抱き寄せると、犬夜叉はかごめの髪を撫でた。大人に近づいた少女は、涙ぐんでまた微笑む。
「…もう、脱げって言わないよね?」
「…そ、そりゃ昼間のうちはな」
途端にかごめは頬を赤らめて下を向いた。犬夜叉はかごめの髪を撫でたまま、なぜか横を向いていた。緩やかに風が吹いて、二人の髪をなびかせる。

「ほーお。洒落た言い回しができるじゃないか」
影から様子を伺っていた弥勒が、顎を撫でつつニヤリと呟く。目を塞がれた七宝がわめく。
「こりゃっ弥勒! いつまでおらを子供扱いするんじゃ!」
横から弥勒の耳を引っ張るのは珊瑚だ。
「やめなよ、悪趣味なっ」
「痛てて…しっかりつきあってるくせに…」
「お、ま、え、ら〜っ」
風向きが悪かったらしい。真っ赤になった犬夜叉がこっちを睨む。相変わらず鼻が効く奴だと舌打ちしつつ、弥勒は珊瑚と七宝を抱えて走り出した。

(おねえさま…聞いてくれましたか。かごめの言葉を)
楓は空を見つめて思う。異世界からやってきた少女は、この村を護ってきた姉妹の仕事を教えてほしいと言った。
(あなたの生まれ変わりだから、ではなく、かごめは自分の意志でそう言ってくれた。でもあの目は、おねえさまと同じです。この老いぼれの残りの命、あの娘と皆のためにもう一頑張りしてみますぞ)
最後に会った時の姉の顔にあった侘びしさが薄らぎ、ほんの少し微笑んだように思えた。

−了−

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