『涙を見せた日』

「泣いてねえっ! みんな助かったんだからなっ!」
わめきながら振り向いたその目尻に光った滴を、かごめはたしかに見た。
「犬夜叉…」
自分では起きあがれないほど、まだ意識は朦朧としている。しかし、体中がたとえようもなく、暖かい。
(ありがとう…)

  *  *  *

「やつらが態勢を整えて襲ってくる前に、こっちから捜し出してぶっ倒すべきだと思う」
鉄砕牙を左腕に抱えた犬夜叉の声は、小さくはあったが凛とした響きがあった。
(手がかりはいくらでもあるんだ。体にしみついた、死人と墓土の臭い…そして、体に四魂のかけらを持つ外道−必ず捜し出してやるぜ。)

 弥勒は焚き火の中に小枝を刺し、パチパチと弾ける火の粉に目をやった。
「甦った死人、か…四魂のかけらとは、つくづく因果なしろものだな」
いつもそうだが、犬夜叉は一行の中でもっとも眠らない男だ。見張りを替わろうと申し出ても、いいから寝てろと言ったきり横にもなろうとしない。今日は今日で、危うく皆が命を落としかけたことに、激しく自分を責めていたのだから、一際そうなのだろう。

「死人は、死人にすぎねえ。鋼牙がやったみてえに、欠片を取ったら骨に戻るだけだ…」
そこまで言って、犬夜叉はふと言葉を途切らせた。口が滑ったといわんばかりに、眉間をひそませる。弥勒はちらりとそれを伺うと、ゆっくりと立ち上がって星空を見上げた。
「…すまん、つまらんことを言ったようだ」
「…なんでおまえが謝るんでい」
犬夜叉は前を向いたまま仏頂面になる。

 前に顔を見てからかなり日が経ったとはいえ、やはり一行にとって、あの哀しき巫女のことに触れるのは誰もが避ける。いつも皆を明るい気分にさせる要のような存在のかごめが、その件になるとどうしても顔を曇らせてしまうからだ。

 弥勒は犬夜叉の左隣に腰を下ろして、同じ方向を見たまま口を開いた。
「私がおまえに謝らねばならん理由なら、おおいにある」
「なにか、やったかよ」
「昨夜のことだ。我らはかごめ様を守れなかった。殺生丸が現れなかったら、と思うとな…」
 握りしめた拳が小さく震える。あれほどの不覚と屈辱はなかった。眼前で首を絞められるかごめに対して、全身が痺れて動けなかった。霧骨への怒りと自責の念は身を焦がした。なのに意識を失ったままで、あろうことか呑気な夢まで見ていたような自分に、弥勒は今更ながら呆れてもいたのだ。

「よせ。柄でもねえ」
やはり前を向いたまま、犬夜叉は仏頂面で言い返す。
「俺が煉骨の姑息な小細工を見破っていたら、おまえらを危ない目に合わさないですんだんだ。毒が相手じゃどうにもならねえだろ。…七宝と冥加じじいは、よくやってくれた」
「…すまん」
弥勒はやや斜めに頭を下げようとしたたが、犬夜叉は左の拳でぐい、とその額を押し戻す。
「死にかけてても女の夢を見るような野郎が、むず痒いことやるんじゃねえよ」
弥勒は思わず苦笑する。
「参った。まあ、それは言うな」
「だったら、七人隊とやらをどう仕留めるか、知恵出せ」
弥勒は座り直した。

「連中が四魂のかけらの力で動いているのなら、かごめ様がその位置を察してくれるだろう。ともかく夜が明けたら、その方向へ向かおう」
「おまえは、連中の狙いをどう思う」
「…さっきも言ったが、既に凶骨、霧骨、銀骨は倒れた。蛇骨、煉骨ときて、残る二人の正体を知るべきだろうな。束ねる立場の頭目がいるはずだ。霧骨が兄貴と呼んでいたが」
「親玉か。たぶんそいつが奈落と取引したんだろう。煉骨の野郎は奈落についてあれこれ訊いてきやがったから、連中のほとんどは奈落を知らねえんだ」
「となると、まだ姿を現していない二人の内、どちらかがそれか」
「ああ。見つけだして奈落の居所を吐かせる」
「知っていれば、そういきたいものだがな」

 しばらく黙った後、弥勒はぽつりと口を開いた。
「私もこの仕事柄、色々な奴らを見てきた。もっぱら妖怪、物の怪、有象無象の類だが、世の中がこういうご時勢だから、人間の野盗どもにもよく出会った。だが、七人隊はあの村人らの噂どおりの連中だ。根っからの人殺し好きだというのは誇張ではない。ある意味、彼らは妖怪以上かもしれん。手強いぞ」
犬夜叉は鉄砕牙の束をぐっと握りしめた。
「どうしようもねえ外道の集まりだ、ってことは、嫌でもわかる」
 ぎり、とその牙を噛み合わせる横顔を見て、弥勒は悟った。やはり犬夜叉はとっくに気付いていたのだ。かごめの頬にまだ残る、痣に。
 鋼牙も気付いていたのだろうが、白いとしか言わなかった。半妖や妖怪でも、彼らは言うべきでないことを知っている。弥勒は静かに後ろを振り返った。七宝を小脇に抱え、不思議な布袋に身を委ねて眠っているかごめと、その傍らで巨大化したままの雲母の体にもたれる珊瑚の寝顔を、焚き火の火が小さく照らす。
(たしかに落とし前は、きちんとつけなきゃならねえな)
じゃら、と数珠を一鳴りさせて弥勒は前を向き直した。

「俺も、な…」
以前として前を睨んだまま、犬夜叉は小さく口を開く。
「おまえらに出会う前まで、散々好き放題に暴れてたことがある。だから外道どもの考えることも、よくわかるのさ」
弥勒もまた、前を見たままさらりと返す。
「…おまえは、奴らとは違う」
「どのへんが、だよ」
「皆が、そう思っているさ」
弥勒は、それきり口を閉じた。
たぶんこいつはそれを言うとムキになるだろう。下手をすれば殴られる。だからこの言葉は、胸のうちにとどめておこう。
(流す涙が、あるのだからな…)

−了−

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