『しがらみを斬った日』

「半妖だからって、妖怪に劣ってるわけじゃないし、人間に劣ってるわけじゃない」
彼女のその言葉に、少年はかすかに表情を動かした。
「妖怪ってのはなあ、絶対に半妖を仲間と認めねえんだよ。たとえそれが身内でもな」
その言葉には、やはり消せない彼の傷跡が強く浮き出ていたけれど…。

  *  *  *

「余計な心配すんな。苦労がこわくて、半妖なんてやってられるかってんだ」
そう言った犬夜叉の横顔には、どことなく暗いものが薄らいでいたように、かごめには思えた。
「まーここに一応立派に育った見本がいますけどね」
「こんなにひねくれないといいけど」
「おまえら…」
西国からの返り道は、弥勒の知り合いの狸の背中で空の上である。弥勒と珊瑚の無遠慮なツッコみにシレッとした目で言い返す犬夜叉の横で、かごめはくすくす笑った。
(家族みたいだよ、ほんと…)

 鉄砕牙の強化という目的は果たせた。一行は東国に戻ると、その日の宿を探すべく、弥勒がいつもの手口で裕福そうな屋敷を探し始めた。行動を共にするようになった初期は文句をつけていた犬夜叉も、一行の数が増えてからは黙認している。宿が決まるまでとりあえず待つということで、犬夜叉とかごめはそろそろ夕焼けが近づいてきたなだらかな丘の上に並んで座った。七宝は宿探しを見たいと言いだしたので珊瑚が肩を貸したが、それとなく気を遣っているのかもしれないと、珊瑚は内心微笑ましかった。

 緩やかな風が心地良い。一定時間毎にやかましく走り去る列車が線路を軋ませる音の代わりに、時々馬のいななきが聞こえる。不揃いな高さで乱立するビルディングは影も形もなく、居並ぶ山々の木々が夕日を一層澄んだものにする。戦国に来てかなりの時間がたったが、かごめはこんな光景が好きになっていた。
「紫織ちゃん、きっと幸せになるよね」
「さあな…」
ごろんと草の上に仰向けに寝ころんだ犬夜叉は、真上の空を見上げる。
「なるわよ、きっと。犬夜叉が助けてあげたんだから」
上からのぞき込んだかごめと目が合うと、犬夜叉は鼻の下を人差し指でなぞってぷいと横を向いた。まったくこの少年は、褒めるといつも似たような反応をする。

「犬夜叉…」
「なんでい」
「時々考えるのよね。妖怪と人間が殺し合わなくてすむようになればなあ、って」
「けっ。大抵の妖怪にとっちゃ人間は食い物だ。言葉が通じたところで、逃げるか戦うかしなけりゃ人間は食われちまう。だから珊瑚の村みてえな退治屋が商売になるんだろ」
 そう言うだろうとは思っていたが、やはりちくりとかごめの胸が痛んだ。
「うん…それはわかってる。だけどね、おとうさんが妖怪で、おかあさんが人間で…って人は、みんな強くてやさしいじゃない。地念児さんだって、そうだった」
「…」
「みんなそうだって言い切れないけどさ、もしかしたら、半妖って、妖怪よりも強くなれるし、人間よりもやさしくなれるんじゃないのかな。もっと多くの人達が、そのことに気づいてくれたらいいのに、ね」

 遠くから烏の鳴き声が聞こえた。犬夜叉はゆっくりと上体を起こすと、立ち上がった。
「…奈落みてえなのもいるじゃねえか」
「あれはまた別だと思うよ」
強情だなあ、とかごめは苦笑する。素直な言葉はめったに口に出さないが、犬夜叉はそういう少年だ。夕陽を浴びてなびく銀色の髪が光った。
「おまえは、変わってるな」
「え?」
「普通の人間はおまえみたいな目で半妖を見ねえ。人間が半妖を見る目は、妖怪が半妖を見る目と似たようなもんだ。だから力がなくちゃならねえのさ」

(あれは化け物だよ! 近づくと殺されちまうから…)
 犬夜叉の脳裏には、蛾天丸との戦いで妖怪化して暴走した時に、その言葉とともに村人から向けられた目が焼き付いている。あんな目には慣れていたはずだった。地念児も紫織も似たような思いを何百回としていたろう。しかし自分があの時、全身で感じた言いようのない空しさが癪にさわって仕方がなかった。
(犬夜叉…わかってるから…)
 無性に腹が立って仲間にまで当たり散らしたあの時、ただそういって抱きしめてくれたのが、かごめだった。思えば出逢った時からそうだった。かごめが自分に向けてくれた目は、蔑みでも憎悪でも恐怖でも好奇でもない、まっすぐな目だった。
 本当はそのことをかごめに感謝したかった。しかし妙なつっぱり癖が出てどうしても憎まれ口を叩いてしまう。たまには素直な言い方をしてやりたいのに、そんなつもりがなくても妙な言い方になる。案の定、しばらくしてかごめがぽつりと言った。

「あたしは、普通じゃないのかな…」
 ぎく、として犬夜叉はかごめの表情をうかがう。しかし少女は下を向いていたわけではなく、きょとんとした顔でまっすぐ彼を見ていた。
「いや、そういうんじゃなくてだな…その…かごめみたいな人間の女がいるから、妖怪の中にもよ、人間と…って何を言わせやがんだ、こらっ」
身振り手振りを交えてあたふたとするこの姿を目にして、かごめは思わず吹き出した。
「なにがおかしいんでいっ」
「ごめんごめん。でもさ」
かごめはもう一度彼の顔を見つめる。
「あたしはあたしだけど、犬夜叉が生き続けていたら、きっとあたしみたいな人間も増えてくるよ。弥勒さまや珊瑚ちゃんみたいにね。それは自信あるもん」
「…またワケのわからねえこと言いやがって」
 くるりと向こうを向いて「そろそろ行くぞ」と歩き出すその背中には、仏頂面ながらも赤らんでいるだろう表情が容易に浮かぶ。かごめは夕焼けの中を彼について立ち上がった。

大獄丸が息子である月夜丸を手にかけたことを知った時の怒り。
元々紫織を斬るために来たことを知った彼女の母にかけた言葉。
血玉珊瑚から出現した百鬼蝙蝠一族の怨念を斬った時の叫び。
今日の出来事から、かごめにはわかる。

犬夜叉が父をどう思っているか。
犬夜叉が母をどう思っているか。
それはたぶん、かごめが自分の両親を思う気持ちとそんなに変わらない。

「犬夜叉」
「なんでい」
「いつかまた、地念児さんや紫織ちゃんに会いに行こう」
「…生き延びてたら、な」
「だったらなおさら。絶対。約束!」
「わかったよ」
肩をすくめるその背中に、かごめは並んで歩こうと駆け寄った。

−了−

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