【作品批判とアンチの存在について】

 古今東西、どのような創作物にも必ず批判非難をする人、いわゆる「アンチ」は出現するものです。特にインターネットの公共掲示板という場所では、その匿名性からアンチが傲慢不遜に居座り、居丈高に作品非難や嘲笑を繰り返すケースが残念ながら多いですね。

 批判や非難はいわばネガティブ・リアクションであり、負のエネルギーを撒き散らしがちです。中には真摯に耳をかたむけるべき建設的な意見もありますが、かなりの割合で「一般的に人気のある作品のあら探しをして、頭のきれる自分にはつまらないと主張する」傲慢な自己満足が含まれています。

 『犬夜叉』原作者の高橋氏はかつて「作家は”おまえの作品は嫌いだ”の一言で強烈に傷つく人種である」という意味のことを某対談で語っています。創作家にとってはネガティブ・リアクションが凶器であるゆえに、百通の絶賛のレターをもらっても、一通の悪口レターで受けるダメージが大きい…それくらいデリケートな人達なわけです。

 ファンというのはどういう存在か。たしかに宗教団体における教祖と信者の関係のようなものは気持ち悪いし正常な関係ではありません。作家の作品すべてを盲目的に崇拝し、批判者を猛烈に非難する態度も同様でしょう。しかし、だからといって作家への敬意やその作品に対する愛情の感じられない批判非難を浴びせる態度は、ファンと呼べるものではありません(先般のサッカーW杯における某国の観客…-_-;)。

 『うる星やつら』の頃から、高橋氏の「ファン」には不幸なことにそういうタイプが数多く存在していたのも事実です。彼らの特徴は「うる星の初期は面白かったのにいついつ頃から堕落した」だの「めぞん一刻だけは面白かったが、他のはまるでダメ」だのと、自分が理解できるものだけを至高のものとし、高橋氏が常に新しい世代のファン層を開拓し続けている実績を認めようとしないことです。こういう傲慢な読者が、自分の理解力不足と感性不足を「ミーハーとは違う優秀性」だと勘違いしているケースが多いので呆れます。

 公共掲示板ではそういう人の方が目立っている現状に対する不満も、私がこのサイトを立ち上げたきっかけの一つです。ちっぽけで細々とした規模でも、創作家が創り出す世界とキャラクターへの愛情やポジティブ・リアクションにあふれた場が存在することが、創作家の力になりエネルギーを生み出す一助になることを祈っています。
【「犬夜叉」誤読・偏読の構図】
 もっぱら公共掲示板を見ていると、「犬夜叉」という作品を誤読あるいは偏読する人が結構目立つことに気づかされます。なぜこんな現象が起きるのか、を自分なりに愚考してみます。

 原作者の高橋留美子氏は元々、少年サンデー誌上のスラップスティック・ギャグコメディー連載「うる星やつら」でブレイクした漫画家です。この連載途中からビッグコミックスピリッツ誌上に「めぞん一刻」を連載開始し、この二作品を実に七年間にわたって並行連載していたわけです。「めぞん一刻」は青年誌向けの内容ですから、基本的にはラブコメディーですが「大人の世界」に属する描写も多々ありました。当然、この時点でまず「うる星系」「めぞん系」に読者は二分されていました。
 この二作品の連載期間中に、氏はがらりと趣向を変えたシリアス系・ホラー系の読み切り作品を発表します。「闇をかけるまなざし」がその最初の作品で、あの高橋氏がシリアス作品を描いた(^^;)と当時は騒がれたものでした。「笑う標的」や「忘れて眠れ」を経て、「人魚は笑わない」は短期集中連載に対する反響を受け、生と死を扱う伝記系シリアス作品としてシリーズ化(H6年時点で全9作)されます。また別にSFファンタジー系では「炎トリッパー」や「ザ・超女」といった読み切り作品群、格闘系ラブコメディーでは「1ポンドの福音」シリーズ(S62年からH13年まで全11作)で独自の境地を切り開いています。その他にはビッグコミックオリジナルを中心に、「Lサイズの幸福」や「Pの悲劇」に始まる大人向け社会派ファンタジー&シリアス系読み切り作品も、平成2年以降、年1作のペースで続いています。特に人魚シリーズは固定ファンがつくくらいコアな世界です。
 コミック界での人気を受けて、「うる星」は昭和56年に、「めぞん」はその後番として昭和61年にTVアニメ化されます。劇場版としても「うる星」が5回、「めぞん」が1回作成されます。また「笑う標的」「炎トリッパー」「ザ・超女」に続いて、「人魚の森」シリーズもOAVとなります。世間一般への影響力からすれば、やはりTVアニメがダントツですから、アニメから高橋氏の名を知った方も多いでしょう。
 長期連載となった二作品は、「うる星」「めぞん」ともに昭和62年に最終回を迎えます。「うる星」終了の約半年後に少年サンデーで新連載が始まったのが「らんま1/2」です。これはうる星系列の作品でドタバタ格闘ラブコメディーですが、キャラクターの変身体質という設定から小動物が頻発し、爆発的な人気を呼んで平成8年まで10年間の長期連載となります。ここからファンになった読者なら「らんま系」といえましょう。
 「らんま」もまた平成元年からTVアニメ化されますが、途中から放送時間帯の変更もあって、劇場版も2回作成されましたが「うる星」時代ほどのブームには至りませんでした。

 そして平成8年、「犬夜叉」の連載が始まります。他のページでも触れていますが、この作品には過去の長期連載「うる星」「めぞん」「らんま」、短期集中シリーズ「人魚」「1ポンド」、読み切りSF短編「炎トリッパー」、ホラー短編「笑う標的」、伝奇短編「忘れて眠れ」等のエッセンスがすべて形を変えて生かされています。つまり「犬夜叉」はこれまでの高橋作品で描かれてきた様々な側面・要素のメドレーでもあるのです。そしてここが重要なのですが、実はこの作品を誤読あるいは偏読する人が多いのも、そういう作品の世界観がもつ背景に由来するのではないか、と思えるのです。

 まず、登場人物がそれぞれ過去のどの作品の系列から来ているかを考えてみます。同一キャラが複数の側面を持つことも多いので、それは複数系に挙げてみます。
うる星系…弥勒,七宝,冥加,刀々斎,銀骨,…
めぞん系…かごめ,楓,北条,草太,夢心,…
らんま系…犬夜叉,かごめ,珊瑚,鋼牙,蛇骨,…
人魚系…桔梗,犬夜叉,殺生丸,珊瑚,楓,神無,神楽,白童子,地念児,…
ホラー短編系…弥勒,奈落,琥珀,鬼蜘蛛,無双,蛇骨,凶骨,霧骨,…
SF短編系…かごめ,鋼牙,蛮骨,銀骨,…
伝奇短編系…犬夜叉,桔梗,琥珀,煉骨,睡骨,…
ラブコメ短編系…りん,信長,なずな,サツキ,…
 混成部隊で入り組んでますね(^^;)。ただこうして考えると、例えば犬かごの仲が「らんま」の乱馬&あかねの仲を、犬桔の仲が「人魚シリーズ」の湧太&真魚の仲を連想させるのも、高橋作品の世界観系列が背景にあるということで解釈できないでしょうか。
 「犬夜叉」がこうした別系列作品から集まってきたキャラクター達による混成劇であるとすれば、読者もまた「どの系列の作品を好む嗜好か」によって、「犬夜叉」を読むスタンスがまるで異なってくるわけです。

 さらに従来からの橋作品の熱心な読者と、「犬夜叉」以外の高橋作品を知らない読者とではまるでとらえ方が異なるでしょうし、アニメ好みの人と原作贔屓の人でも感性は全然違うわけですから、読者層・ファン層もごちゃまぜ状態で複雑極まりない様相を呈するでしょう。
 そこで次に「犬夜叉」読者(ファン)側の「座標軸」を考えてみます。
横軸を左;留美子系−右;非留美子系、縦軸を上;漫画系−下;アニメ系で設定すれば、
第1象限(高橋氏以外の一般漫画ファン)
 数的にはもっとも多いと思われます。年齢的にも高く、どちらかといえばシリアス系作品を好む人達でしょう。
第2象限(高橋氏以外の一般アニメファン)
 年齢的にもっとも若年層で、女性が大部分だと思われます。原作の漫画を知らない分、ある意味もっとも公平・冷静にアニメ犬夜叉を評価できる人達でしょう。
第3象限(高橋氏原作のアニメファン)
 大学生や20代を中心にしている男性が多数派と思われます。ただ数的にはもっとも少ないのではないかとも考えられます。つまりらんま以降、男性のアニメファンは高橋作品から離れている傾向が伺えるのです。
第4象限(高橋氏の漫画ファン)
 年齢の幅が一番広い層だと思われます。うる星初期系,うる星後期系,めぞん系,らんま系,人魚系,その他短編系と多種多様な「分派」がいて、それぞれが相当嗜好を異にします。「犬夜叉」しか知らない人はもっとも若年層ですが、内ゲバがもっとも激しくなるグループでもあるでしょう。ちなみに私はここの「うる星後期系」に属すると思います(^^;)。

 ある筋の情報によると、劇場版犬夜叉2を平日に観に来る観客にはなぜか30代以上の主婦とおぼしき女性が目立っていたとか。想像するにこの人達は第1象限と第2象限の間に属する層ではないでしょうか。つまり「特に高橋作品のファンというわけではなかったが、子供につきあってTVアニメのコナンを見てるうちに30分前のアニメ犬夜叉にハマってしまった」とか「ヤマト、ガンダム、999、マクロス系統やC翼、星矢、ドラゴンボール、スラムダンクのJ系統、宮崎アニメ系統のファンが恋愛ドラマ面でアニメ犬夜叉にハマってしまった」とかです。いずれにしてもファン層の底辺拡大を物語る話です。

 いわゆる「同人誌活動家」やHPサイト開設者であれば、うる星・めぞん時代なら第3象限が圧倒的に多かったはずですが、「犬夜叉」になると第2象限が最大であろうと考えられます。犬夜叉関連サイトはどこもかしこも女性が大部分で、私のような立場はさしずめ「女子高に研修に来た教育実習生(五代君かい^^;)」状態ですね。

 さて話を戻して、誤読あるいは偏読ですが、おおむね代表的な例は次のようなものでしょう。
1.桔梗様至上主義
 昨年秋の「白霊山の衝撃」以来、猛烈に犬夜叉一行を非難し始めた人達です。つまり「既に死人である」という設定を忘れて、桔梗の体が奈落によって壊されたことを嘆き悲しみ、原作者にまで不信感を高めているわけです。
2.殺生丸様至上主義
 人気投票で2位になる存在感の持ち主ですから個別ファンが多いのは当然なのですが、彼が出てこない回への関心が極端に低い人達です。他キャラへの悪口雑言をやることは少ないのでトラブルメーカーにはならないのですが…。
3.犬かご偏愛主義
 いわゆるカップリングで猛烈にこの二人の進展を望むために、作品の展開や必然性を無視して、恋敵の立場である桔梗や「犬夜叉の二股」を非難する人達です。最近のアニメスタッフからすれば「扱いやすい」人達ともいえますが(^^;)、桔梗ファンとの仲は最悪。
4.ラブコメ至上主義
 なぜか古株の留美子ファンに時々います。高橋氏の本質はあくまでギャグ主体のラブコメディーであって、「犬夜叉」は氏の本質と異なるから評価しない、と勝手に決め付けている人達です。単に自分の頭脳が柔軟性に欠けるだけのことなのですが…。
5.シリアス至上主義
 もっぱら人魚系、ホラー系を好む人達で、人間のダーク面をえぐり出すのが作品の価値を高めると考える人達です。コメディ的要素を見るとリアルさが薄れるとして、犬夜叉一行のコミカル面を毛嫌いする傾向があるようです。

 これらの事例からみても、結局読者個人が自らの「生い立ち」を忘れて、まるで作品への接点を異にする別の読者の見解を批判しても話がかみ合うわけもないと思います。皮肉なことに【犬夜叉】の作品構造が多様な作品要素の混成劇であるゆえに、本来なら同じ作品への興味を共有することのない人達が、なぜか集まってしまっているわけですね。

 つまり【犬夜叉】を誤読もしくは偏読してしまうのは、自らの嗜好がどこから来ているかを忘れ、単に直感だけで解釈してそれ以外の視点を無視するか、すべて誤っていて自らの視点のみが正しいという独善に陥る状態というわけです。

 私はできる限り、この混成劇を幅広い視野でとらえるべきだと考えています。人間というのはそれこそ億単位のタイプに別れるものですが、笑いも喜びも怒りも悲しみも憎しみも、明るさも暗さも、時と場合によって同じ人間の中に出たり消えたりします。何年たってもあまり変わらない人もいれば、数年でがらりと変わる人もいますが、多かれ少なかれ、二面性や多様性があるものです。一人でさえ単純ではない人間が、何百人という他人との関わりの中で生きていくのが現実ですから、複雑極まるものになるのが普通なのです。

 ちょっと強引なこじつけですが(^^;)、自分の高橋作品との関わり・生い立ちを思い出して、【犬夜叉】を「今までと別の立場から見てみる」ことは実に重要な試みです。直立不動の姿勢で見てばかりいずに、まずは体をちょっと曲げて見る角度を変えてみる、さらには立っている位置を変えて数十歩移動し、そこから見てみる。すると作品の全体像がまるで違った形に見えてくる…おそらく【犬夜叉】とは、そういう作品なのです。

 【犬夜叉】以外の高橋作品を読んだことのない方なら、ぜひ過去の長期連載「うる星」「めぞん」「らんま」「人魚シリーズ」「その他短編集」を一冊手にとってお読みになることをお薦めします。
 高橋作品はどっさり読んだという方でも、例えばコメディー作品好きの方なら人魚シリーズや伝奇シリアス系短編を、シリアス&ホラー系好きの方なら長期連載三作品やラブコメ系短編を、今一度読み返してみてはいかがでしょうか。
 異なる系列に別々に存在していたキャラクター達が集まってきて、同じ作品世界で物語を形成する…【犬夜叉】という作品が持つ多面性、多様性の輪郭が浮かび上がってくるかもしれません。
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