| パレスチナ関連年表 |
| 年 |
月日 |
出来事 |
| 1880 |
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ロシア・東欧でポグロム激発、この地域のユダヤ人の間で宗教的パレスチナ移住運動起こる |
| 1894 |
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フランスにて「ドレフュス事件」起こる |
| 1896 |
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ウィーンにてヘルツルによる小冊子「ユダヤ人国家」出版される |
| 1897 |
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バーゼルにて第一回シオニスト会議 |
| 1914 |
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第一次世界大戦勃発(〜1918) |
| 1915 |
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英国がメッカのシャリーフ・フセインにアラビア半島とシリアの大部分を独立アラブ王国にすることを約束(「フセイン・マクマホン往復書簡」)(〜1916) |
| 1916 |
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英国、仏・露に対して「サイクス・ピコ協定」(シリア、キリキア、メソポタニアにおける三国の勢力範囲の取り決め)結ぶ。 |
| 1917 |
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英国、イギリス・シオニスト連盟会長のロスチャイルド卿に対して、パレスチナをユダヤ人のナショナルホームとすることに賛意を示す「バルフォア宣言」を行う。
トロツキーが「サイクス・ピコ協定」を暴露 |
| 1918 |
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ファイサル1世、ダマスカスにてアラブ政府樹立 |
| 1920 |
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サン・レモ講和会議。英国はパレスチナの、仏はシリアとレバノンの委任統治権獲得 |
| 1929 |
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エルサレムで嘆きの壁事件起こる |
| 1933 |
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ドイツでヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党が政権を掌握
欧州のユダヤ人のパレスチナへの大量移住始まる |
| 1936 |
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英委任当地政府およびユダヤ人入植者に対する、アラブの大蜂起(〜1939) |
| 1939 |
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第二次世界大戦勃発(〜1945)。ナチスによるユダヤ人を含む大量虐殺(〜1945) |
| 1945 |
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アラブ連盟成立 |
| 1947 |
11月29日 |
国連総会、パレスチナ分割案採択(賛成33、反対13、棄権11、米ソの賛成) |
| 1948 |
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英国のパレスチナ委任統治終わる |
| 4月10日 |
パレスチナのディール・ヤーシン村民虐殺事件 |
| 5月14日 |
イスラエル国家の樹立宣言 |
| 5月15日 |
第一次中東戦争(パレスチナ戦争)勃発 |
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アラブ軍敗北、パレスチナ人周辺アラブ諸国に流出 |
| 1949 |
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第一次中東戦争停戦協定
トランスヨルダン王国がヨルダン王国と改称し、東エルサレムとヨルダン川西岸地区併合。ガザはエジプトの占領下へ。 |
| 1950 |
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イスラエル、不在者(パレスチナ人)財産没収法と世界のユダヤ人に対して帰還法を制定 |
| 1956 |
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エジプトがスエズ運河国有化宣言、第二次中東戦争(スエズ戦争)勃発 |
| 1964 |
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第一回パレスチナ民族評議会
パレスチナ解放機構(PLO)結成 |
| 1965 |
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ファタハ、対イスラエル武装闘争開始 |
| 1967 |
6月 |
第三次中東戦争(6月戦争/6日戦争)勃発
イスラエルは東エルサレム、ゴラン高原、シナイ半島、ヨルダン川西岸・ガザ地区を占領 |
| 1968 |
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アル・カラーマの戦い、ヨルダン・パレスチナ連合軍、イスラエルの侵入を撃退 |
| 1969 |
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ヤーセル・アラファート、PLO議長に就任 |
| 1970 |
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ヨルダンで「黒い9月事件」起こる |
| 1973 |
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第四次中東戦争(10月戦争)勃発
OAPEC、石油戦略を発動し石油危機起こる |
| 1974 |
10月 |
アラブ首脳会議でPLOをパレスチナの代表と認める「ラバト決議」を採択 |
| 11月 |
アラファート議長、国連総会で演説 |
| 1975 |
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レバノン内戦勃発 |
| 1976 |
8月12日 |
ベイルートのパレスチナ人キャンプ、タッル・ザアタルにて住民4.000人虐殺される |
| 1976 |
8月 |
ベイト・アトファル・アッソムード設立 |
| 1977 |
6月 |
イスラエル、ペギンを首相とするリクード政権成立 |
| 1978 |
9月 |
米・カーター大統領、サダト大統領とベギン首相を招き会談(キャンプ・デービッド合意) |
| 1980 |
7月 |
イスラエル国会、エルサレムを首都と定めるエルサレム基本法採択 |
| 1982 |
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イスラエル軍シナイ半島から完全撤退
イスラエル軍、レバノン侵攻開始 PLO、ベイルートから退去 |
| 9月16・17・18 |
ベイルートのパレスチナ人キャンプ、サブラとシャティーラにて、イスラエル軍にキャンプが包囲される中、レバノンの右派民兵により住民が大量虐殺される →サブラ・シャティーラの虐殺 |
| 1984 |
9月 |
サブラ・シャティーラの虐殺の遺児達を支える目的で、パレスチナの子供の里親運動発足 |
| 1985 |
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レバノンの民兵組織によるパレスチナ難民キャンプへの猛攻撃と封鎖が続くキャンプ戦争の時代に突入(〜1987) |
| 1987 |
12月19日 |
ガザ地区とヨルダン川西岸にて民衆蜂起(インティファーダ)開始 |
| 1988 |
7月31日 |
ヨルダン、西岸を法的・行政的に放棄する宣言 |
| 11月15日 |
アルジェにてパレスチナ国民評議会(PNC)によるパレスチナ独立宣言。と同時に国連安保理決議242、338号の承認により、イスラエルを事実上承認する |
| 1990 |
8月 2日 |
イラク、クウェート侵攻 |
| 1991 |
1月 |
米軍中心の多国籍軍、イラク空爆を開始 →湾岸戦争(〜2/28) |
| 10月30日 |
マドリードにて中東和平会議が開催されるがPLOの参加認められず |
| 1992 |
6月23日 |
イスラエル、ラビン労働党連立内閣成立 |
| 1993 |
9月13日 |
ワシントンDCにてPLOとイスラエルが「オスロ合意」に調印 |
| 1994 |
5月 4日 |
ガザ・エリコからイスラエル軍撤退。先行自治協定(カイロ協定) |
| 10月26日 |
イスラエル・ヨルダン平和条約締結 |
| 1995 |
9月28日 |
パレスチナ自治拡大協定(タバ合意) |
| 11月 4日 |
ラビン首相、極右イスラエル人に射殺される |
| 1996 |
1月20日 |
パレスチナ暫定自治区の総選挙で議長にアラファート選出 |
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ラビン亡き後、ペレス新政権誕生。レバノン・カナの国連基地内に逃げ込んだ民間人100名以上を爆撃。南レバノンの泥沼化。 |
| 5月29日 |
イスラエル、ネタニヤフ・リクード政権成立 |
| 1997 |
3月18日 |
イスラエル、ハール・ホマ入植地建設着工を強行 |
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国連総会はハール・ホマ反対決議を二度採択するが、米国が拒否 |
| 1998 |
1月17日 |
ヘブロンからイスラエル軍撤退(ヘブロン合意) |
| 10月23日 |
イスラエル軍、追加撤退合意(ワイ・リバー合意) |
| 1999 |
5月17日 |
イスラエル、バラク労働党政権成立 |
| 9月 5日 |
シャルム・エル・シェイク覚書(修正ワイ・リバー合意)調印 |
| 2000 |
5月24日 |
イスラエル、レバノン撤退終了 |
| 7月11日 |
キャンプ・デービッドでクリントン米大統領、バラク、アラファートとが和平交渉を行うが25日決裂 |
| 9月28日 |
リクード党党首シャロンがエルサレムのハラム・アッシヤリーフに強行訪問し、第二次インティファーダ勃発 |
| 2001 |
2月 6日 |
イスラエル、シャロン・リクード政権成立。その後パレスチナ人による対イスラエル自爆攻撃が多発 |
| 8月10日 |
イスラエル、東エルサレムのPLO本部「オリエント・ハウス」を占拠 |
| 8月27日 |
イスラエル、西岸のラマッラーに侵攻 |
| 10月17日 |
イスラエルのゼビエ観光相、PFLPにより暗殺 |
| 2002 |
3月29日 |
イスラエル、西岸のラマッラーに侵攻、議長府を包囲 |
| 4月 3日 |
イスラエル、ナブルスに侵攻、西岸の自治区8都市のうち6都市を制圧 |
| 4月 5日 |
イスラエル、ジェニンの難民キャンプを攻撃 |
| 7月23日 |
イスラエル、西岸の隔離壁の建設を開始 |
| 2003 |
3月20日 |
米英によるイラク攻撃開始 |
| 4月29日 |
パレスチナ、アッバス新内閣を承認 |
| 4月30日 |
ブッシュ米大統領、新中東和平案「ロードマップ」発表 |
| 9月 6日 |
アッバス首相辞任 |
| 2004 |
3月22日 |
イスラエル、ヤシン師を暗殺 |
| 7月 9日 |
国際司法裁判所、イスラエルの隔離壁が違法であるとの勧告を出す |
| 11月11日 |
アラファト大統領、パリにて死去 |
| 2006 |
1月25日 |
第2回パレスチナ評議会選挙でハマスが勝利 |
| 7月12日〜8月14日 |
レバノン戦争(34日間にわたるイスラエルによる大規模なレバノン攻撃) |
| 2007 |
5月20日〜9月2日 |
レバノン政府軍とナハル・エル=バーレド難民キャンプを拠点とする武装組織との戦闘。
ナハル・エル=バーレド難民キャンプが破壊される |
| 2008 |
12月27日〜 |
イスラエルがガザ地区を大規模空爆 |
| 2009 |
〜1月18日 |
イスラエルがガザ地区を大規模空爆 |
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