「アンネの日記」翻訳・演出     
丹野郁弓さん講演会
写真 広島市民劇場  

  
 6月30日(昼・安佐南/夜・旧市内)7月1日(昼・旧市内)、計3回で93名の参加。終始笑いがはじける中で、豪快で率直な面白い話を聴くことができました。

翻訳・演出の仕事
 民芸には演出部として22年前に入団。翻訳の仕事がしたかったのでアピールしていました。翻訳と演出家の思いがずれていることがよくあります。それなら両者を自分でやった方がいいと思うようになったのです。
 現代、私たちの言葉の表現はだんだん短くなってきています。乱暴にもなっており、語彙の幅がなくなっています。訳者としては困りますが、そういう時代に生きているんだから仕方がないですね。
 今回の『アンネの日記』の翻訳に当たって、今の13歳の子がどんな言葉を遣っているんだろう?と気を配りました。

語り継ぐということ
 戦争を知らないものが戦争体験の話を聞いて、悲惨だ、戦争は嫌だ、で終わったのでは上っ面の理解にとどまってしまいます。骨身に染みてきません。それを自分の体験に置き換えて語り始めることにより、継ぐという行為で完成されるのではないでしょうか。
 ただ納得したということで終わるのではなく、そこから一歩進まなくてはいけない。そのために私は『アンネの日記』の演出をしているのだと思います。
 輪が広がればいいと思います。

『アンネの日記』
 民芸の財産演目です。1956年の初演以来1600回の上演数を越えています。これは死に行くものの話しではない。過酷な状況の中でいかに生きたかという「生」の記録です。人間というものは、この苦しみが一生続くと思ったら耐えられるものではありません。いつか終わると思うから耐えられる。そこには皆が抱いた希望があるのです。 
 アンネは明るく活発な少女だった。決して暗い芝居ではないんです。「このセリフ痛いな」と感じられるところがあるのではないでしょうか。戦争は悲惨だということを前面に押し出している演出ではないので、ところどころ胸に突き刺さる、そんな芝居になっているはず・・。

ユダヤ人
 国を持たない、追われた流浪の民。世界各地に散らばっていた民族です。財産を考える時、不動産ではなく、いつでも換金できる資産を好みます。同時に重要視されるのが教育。ある程度の資産を持ち、教育があれば、どんな所でも生きていけるだろうという民族の知恵があるんです。
 国家を持たないから家族の絆が強い。家族単位で行動したがる。こういう目でみると違った見方が……。

二人のアンネ
 伝統的にダブルキャストでやってきました。全く違う個性で、それぞれのアンネがとてもいいんです。日替わりでやるので、両方を観ると面白いですよ。

アンネとペーター
 何が可哀想といって、隠れ家の中で成長すること。閉ざされた状況の中で少年と少女は精神も肉体も否応なく成長することです。

「若い人も案外感激したがっているんですよ、こういうの観て欲しいなぁ」話を交えながらのバイタリティー溢れる話しぶりに参加者は元気をもらいました。
 来年11月例会『ドライビング・ミス・デイジー』の翻訳・演出もされます。
                            (by 響サークル)