新劇と
移動演劇隊 |
第二次世界大戦中、日本中を巡演した移動演劇
隊は、国家の号令の元に作られました。戦意を高
揚させる目的の移動演劇隊に新劇俳優の多くが
参加した理由は、当時芝居を上演できるすべがほ
かになかったためでした。
しかし、検閲された作品の中でも演出などに工夫
をし、自分たちの表現を模索しながら、厳しい状況
の中、新劇人たちは活動していたのです。さくら隊
もその1つでした。 |
さくら隊の軌跡 |
さくら隊は、築地小劇場の創立メンバーであり、
新劇俳優として草分け的存在の丸山定夫を隊長
とし、宝塚出身で映画界でも活躍していた園井恵
子を中心に、総勢9名の編成でした。
丸山ゆかりの地として、広島が拠点となり、代表
作の「太平洋の防波堤」、「獅子」をもって、中国
地方を巡演していました。1945年7月6日〜15
日にかけて島根、鳥取の公演を終えて、次の巡演
を待機中に宿舎のあった広島新天地にて8月6日
を迎えました。爆心地に近かったため、5名が即死、
残る4名も8月中に亡くなりました。 |
戦後の中の
さくら隊 |
原爆の閃光に散ったさくら隊の姿は、戦後彼ら
の軌跡を知る人々によって、本に編まれ、映画化
され、舞台となりました。さくら隊は、作品として、
現代の私たちに平和の意味を投げかけています。 |
広島市民劇場と
さくら隊 |
戦後、さくら隊の隊員の在りし日の姿に思いをは
せ、またその惨劇を忘れないために新劇人有志
の手により、「さくら隊殉難碑」が広島市内、平和
大通り沿いに創建されました。
その後、碑の管理・保存は広島市民劇場にゆ
だねられ、現在に至っています。
毎年、8月6日はさくら隊を偲ぶ会が開催され、
市民劇場の会員やさくら隊を偲ぶ人々が碑の前
に集っています。 |