26000Hit 記念 SS            ━何時か見た、何処にでもある平凡しあわせ━ Written by G7  一口にプレッシャーと言っても、色々と種類があるものだと彼女は考える。  彼女の場合であれば、舞台に立つ前の緊張感や空手の稽古で感じる研ぎ澄まされた感 覚、そして生死を賭けた闘いでのギリギリの駆引き・・・。  例を挙げればキリが無いが、桐島カンナはこの類の緊張感が嫌いでは無かった。 『でもなぁ…』 心の中で呟いてみるものの、今感じている『重苦しい』気分を説明するだけの明確な答 えは浮かんでこない。 元来彼女は『動く人』であり、こうして考えを巡らすのは得意では無いと自分では思っ ている。 それは考える事が出来ないわけでも嫌いでもなく、彼女の経験法則上『無駄な考え休む に似たり』とか『口よりまず手を動かせ』などの諺や格言が自分に一番あっていると思っ ているからだった。 しかし今回の場合、自ら行動する事が出来ない事柄故に、こうして色々と考えを巡らせ てしまうのかもしれない。 「それで、先日珍しく由里から手紙が届いたと思ったら、その事ばかり聞いてくるのです」 「へぇ…」 「どうかしましたの、カンナさん?」 カンナの対面に座るすみれが、生返事を繰り返す彼女に対して訝しげな視線を送る。 『コイツも緊張とか重圧なんて無縁な感じがするけれど、苦労してるのかな?』 帝劇時代とは違い、目の前に座るすみれは藤色のスーツに身を包み、生来の華やかな雰 囲気を纏いつつも、落ち着いた佇まいを見せていた。 久しぶりの再会に帝劇では無く、すみれの方から指定してきた銀座のカフェ、つい最近 オープンしたばかりだという話しだが、重厚な洋式建築で統一された店内の雰囲気に違和 感無く溶け込んでいる親友の姿・・・。 すみれの視線をティーカップから立ち昇る湯気越しにぼんやりと受け止めながら、カン ナはの思考は再びこの場から離れていく。 『本人は爺さんの仕事の手伝なんて言ってるけれど、自称帝劇のトップスタァが今や日 本有数の財閥の後継者だもなぁ…』 話し方こそ変わらないが、見慣れない洋服姿というだけで随分と目の前の親友が大人び て見えてしまう。 彼女自身、おくびにも出さないが様々な重圧を感じ、そしてそれらを全て受け止めて今 の道を歩んでいるのだろうか?とカンナは再び考える。 そして、そんな彼女にしてみれば、今現在カンナが抱えている重圧やどこかスッキリし ない気持ちなどは、些細な事柄に過ぎないのだろと思い至り、少しだけ目の前の親友が羨 ましく思えた。 「やっぱ、アタイにゃこの手の話が苦手なんだろうなぁ…」 「はい?」 すみれの視線と疑問の声に気付きながらも、カンナは視線を天井にさ迷わせながら一人 呟きを漏らす。 「私の話を聞いているんですの?」 カンナの反応に対する微かな苛立ちを言葉に含ませ、すみれは再度カンナに問い掛けた。 「聞いてるよ、だからその話の事で悩んでるんじゃないか…」 すみれへの返答に、カンナは深い溜息を乗せて送り返す。 「どういう事ですの?」 「だからさ…」 自分の中でもはっきりしない思考を言葉にして、況してや他人に説明する事など出来ず、 どう切り出して良いのかも判らないままカンナは口を噤む。 そんな彼女の仕種にすみれは痺れを切らせた様に言葉を続けた。 「はっきりと言ってくれなければ判らないじゃありませんか!私だって昔の様に同じ屋根 の下で暮らしている訳ではないのですから…」 怒り故なのか、自分の内面を思わず口に出してしまった恥ずかしさからか、すみれは朱 が差した頬をそのままに、弱くなる語尾と共にカンナから目を逸らす。 「あっ…」 そんなすみれの表情を見たカンナは、自分が彼女に対して感じた羨望と同じように、彼 女にしてみても何も変わっていない筈の自分に対し、昔のような感覚・距離感を計り兼ね ていたのだと気付く。 それなのに自分は見慣れないスーツ姿に違和感を感じながらも、話しているうちに何時 の間にか昔と同じ感覚で話していたのだ…。 「悪ぃ…」 歯切れの悪いカンナの口調に感じ取るものがあったのだろう、すみれは紅茶を口にして一 息入れながら再び親友の言葉を待つ。 そもそも何故自分がこんなにも気を揉まなければならないのか、すみれに事の経緯を話 している間にカンナは自分の悩みが馬鹿らしい事のように感じてきた。 事の起こりは『小さな』というより『当たり前』の事だと思う。 数々の闘いが終わり、親友のマリアと信頼できる上官である大神が正式な婚約を経て、 晴れて結ばれた。 帝都と巴里、それぞれの花組隊員達の思惑とそれらが引き起こす紆余曲折はあったもの の、結ばれた二人に対しては皆が心からの祝福を贈った事はまだ記憶に新しい。 戯曲や物語、舞台などであったら『めでたしめでたし』や『ハッピーエンド』で終わる 類の良い話しだとカンナも思う、しかし二人が結ばれた後も実際問題として彼女達の生活 は続くのだ。 同じ屋根の下で新婚カップルと暮らす日々、年頃の乙女達とそんな少女達を暖かく見守 る大人達・・・。 そう、ここまでは『ほのぼの』とした良い話しの続きに聞こえるだろう。 しかし元来がお祭り好きの集まりなのか、日々の生活に刺激が欲しいのかは分からない が、初々しい二人の新婚生活をネタに盛り上がった後は、帝劇内外では次なる『おめでた』 に対する期待が渦巻き始めたのだ。 勿論カンナとしても、親友の『おめでた』を期待しないわけでは無い。 ただ、こういった事は非常にプライベートな問題であるし、膨らむ期待はあるものの周 囲にはデリケートな対応が求められると思う。 帝劇の面々も流石に面と向かって『おめでた』を尋ねたり催促するような事は出来ない。     だからなのか、その反動が何故か全てカンナに集中してくるのだ。 『おうカンナ、もうそろそろか?』 『親友のアナタだったら、そんな話とか聞いていないかしら?』 『ねえカンナさん、新婚さんだったらもう…、の筈ですよね?』 『……』 米田やかえでが若い二人に気兼ねして、マリアと一番仲の良いカンナに尋ねてくるのは まだ理解出来た。しかしさくらなどに聞かれる事のある、年頃故の好奇心旺盛な問い掛け などは、カンナの方が聞いていて赤面してしまう事もある。 そしてレニなどは何を計算しているのか、指折り数えながら無言で此方を見つめてくる 始末なのだ。  皆は自分に何の期待をして何をしろというのだろうか、思い出しただけで溜息が漏れそ うになる。 「いくら親友だからって、新婚家庭の事情まで知る訳が無いだろう…」 一気に事情を説明したカンナは、喉を潤すように紅茶に口を付けたが、思わぬ長話に冷 めてしまったのか、随分と苦く感じて顔を顰めてしまう。 「カンナさんも本当にお人好しというか・・・、まぁアナタらしいと云えばそうですが…」 カンナの話しに大きく相槌を打ち、すみれは微かな呆れと労いが混じった苦笑いを浮か べる。 「そうだろう、なんでアタイが…」 「しかし、ですっ!」 すみれの労いに同調しようとした瞬間、強い口調がカンナの言葉を遮った。 「あの二人の場合、万事そつ無くこなす様で以外なところで抜けているんです!だからこ そ、ワタクシ達周囲が雰囲気を盛り上げて差し上げないと駄目なんです」 「おいおい、ワタクシ達って、その『達』にはアタイも入ってるのか…?」 すみれの異様な迫力に押され、カンナは何故か伺うような口調になってしまう。 「勿論です!カンナさん!アナタ、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるとか、キャベツ畑 から生まれてくるなんて思ってないでしょうね?」 「ばっ馬鹿、アタイだってそんな事は百も承知だ…」  この手の話が得意で無いカンナは、さり気なく会話を切り抜けようとするが、速射砲の 様に話を続けるすみれの迫力に押されてしまう。 「だったら猶の事です、アナタは花組の中でも一番の年長者なのですし、『さり気なく』自 然に聞き出すんですっ!そして……」 『コイツに相談しようって考えたアタイが馬鹿だった…』 まだまだ続きそうなすみれの話に、心の中で落胆混じりの呟きを溢しつつ、カンナは再 びカップに口を付けようとする。しかし紅茶は既に空になっていて、彼女の気分を更に落 ち込ませた。 「お代わり貰えるかな?」 側を通りかかった給仕の少女に、カンナはカップを軽く上げながら注文する。 「カンナさんっ!私の話を聞いているんですのっ!」 話の勢いそのままの、迫力のある眼光ですみれが此方を睨んでいた。 「ハイハイ…」 すみれの話を適当に聞き流しながら、カンナは新しく注がれる紅茶とすみれの迫力に萎 縮している給仕の少女を交互に眺めながら考える。 『この子も今、変な緊張プレッシャーを感じているんだろうなぁ・・・。それにしても、 今のアタイ達って他からはどう見られてるんだろう・・・。日本有数の大財閥ご令嬢と、帝 国歌劇団舞台女優の交わす会話としては品が無さすぎだよなぁ…』 そうして、この日何度目かの溜息をカンナは紅茶を飲みながら強引に押し流すのだっ た・・・。                     ◇ 『カンナさん、ここは年長者らしく「さり気なく」思慮を持って…』 『ったく、「さり気なく」ってどんなんなんだよ…』 この日何度目かの嘆息、勿論表情には出さないように心の中だけに留めてはいる。 しかし午前中にすみれに言われた言葉が、プレッシャーとなってカンナの頭の中でグル グルと巡っていた。 「それでねぇ…」  目の前では、アイリスとレニがマリアを挟む形で座っている。 サロンに差しこむ暖かい午後の日差しと紅茶の香り、目の前のほのぼのした風景は普段 であれば至福の時間を約束してくれる筈なのだが…。 しかし今日に限って云えば、緩やかに傾き行く陽光は彼女には冗長すぎる気がしたし、 先程すみれの話しを聞きながら飲みすぎた紅茶の為か、マリアが煎れてくれた紅茶も楽し むというよりは「間」を持たすだけに口にしている感じだった。 「カンナ、どうかしたの?」 アイリスの話しを聞きながら、横目で此方を見たマリアが気遣わしげに口を開く。 「いっいや何でも無いよ…」 慌てて取り繕いながら何とか返答するが、マリアは納得していない様に小首を傾げる。 「本っ当に何でも無いったら…」 再度念を押すように言葉にしてから、心の中で深い溜息を漏らす。 昔から何かと察しの良い彼女だったが、最近は特にその気の廻りに磨きがかかったよう な気がするのだ。 「ひょっとして、紅茶じゃなかった方が良かった?」 先程カップに口を付けた時の表情を見て言っているのだろう。 本当の意味ではマリアの指摘は外れているのだが、カンナとしては逆にそれが彼女を騙 している様に思えてしまい落ち着かなくなってしまうのだ。 「クッキーには紅茶だと思い込んでしまったのが失敗だったかしら…」 独り言のように呟くマリアを見ていると、罪悪感と重圧が混ざり合った混沌とした感情 に押され、自分の中に溜まっているモヤモヤを全て白状したくなってくる。 「実は午前中、すみれの奴と話し込んでさ…」 それだけの威力を秘めた彼女の視線を、カンナは受け止め続ける事が出来ずに遂に白旗 を上げ、午前中の出来事を話し出す。 「そうだったの、それならそうと言ってくれれば…」 マリアは僅かに眉を顰めながらカンナを軽く睨むが、その表情は怒っているというより は、柔らかな母性を感じさせる。 「いっ、いや、アタイだって飲みたくて飲んだ訳じゃなかったし、すみれの奴がベラベラ と喋り捲くるもんだから…。話しを聞いている内に遂々飲みすぎちまったんだよ…」 流石にすみれとの会話の内容まで喋る事はなかったが、例え断片的でも真実を話してし まう事で、カンナの心を覆っていたモヤモヤとした感情が多少は晴れてゆく。 「でも、分かっていれば態々紅茶でなくて珈琲でも緑茶でも用意したのに…。折角のお茶 会なのだもの、美味しく楽しんでもらいたいじゃない…」 「ゴメン…」  出会った頃のような険のある言い方ではなかったが、何故かカンナは反射的に謝ってし まう。  「言葉に出して言ってくれなければ、分からない事だって沢山あるのよ…」 聞き様によっては、随分と意味深な言葉に聞こえるのだが、今のカンナにはそれを茶化 す余裕も無く、自分の中の罪悪感と相俟って頭を垂れる事しか出来なかった。 「カンナ、お母さんに叱られている子供みたい〜♪」 二人のやり取りを聞いていたアイリスが、横合いから声を上げる。 「私がカンナのお母さんって…」 アイリスの言葉を聞いて、マリアは少し驚いた表情を浮かべたの後、可笑しそうに小さ く笑う。 そんな彼女の笑顔をみていると、心の何処かに埋もれてしまった感情を刺激される。 「あっ、そうか・・・。マリアの場合は『お母さんみたい』じゃなくって、本当にお母さんに なるんだもんね♪」 「「「えっ!?」」」 マリアの微笑みを見上げながら、アイリスの放った何気ない一言で、サロンにいた残り の3人が固まる。 「アイリス、どういう事なの?」 言葉の意味を考えながら、当事者であるマリアがアイリスに問い掛けてみる。 「だって、マリアのお腹から小さいけれどホワホワって光を感じるもの。アイリス良く分 からないけれど、みんなから感じる光と同じだよ・・・。マリアのお腹の中から感じる『生き ている』って感じ、これって赤ちゃんでしょう?」 「え〜っ!」 アイリスの言葉に驚きの声を上げるカンナ、レニは何かを考えているような表情で固ま ったままだった。カンナが慌ててマリアの方を振り向くと、彼女自身も驚いたようにカン ナの無言の問いかけに首を振った。 「って事ぁ、マリア自身も知らなかったって事なのか…」 「だって、それらしい自覚症状もまだなのよ…」 「でも、まだ…」 マリアの言葉の後、レニが口を開こうとした時、被せるようにアイリスが声を上げる。 「でもでも、これってすっごく嬉しい事だよね〜。おめでとうマリアっ♪」 祝福の言葉の後、アイリスはマリアの手を両手で包み込むように握ってから、満面の笑 顔を浮かべながら彼女の顔を仰ぎ見た。 「……ありがとう、アイリス」 暫く言葉に詰まりながらも、マリアはゆっくりとした口調でアイリスの言葉に答える。 そんな二人の遣り取りを端から見ていたカンナは、腰が抜けたような感覚に捕らわれ、 そのままソファーに沈み込みそうになり慌てて足に力を入れた。 『何だよ、こんなにも簡単に・・・。アタイが今まで悩んだりしていたのは何だったんだよ、 まったく…。でも…』 不思議と脱力感よりも、徐々に湧きあがってくる暖かい気持ちに、心の中での呟きも小 さくなって行く。 確かにまだ何の確証も無い状態だが、アイリスの強い霊力を信じるのは勿論だし、なに よりマリアの柔らかい表情をみていると、彼女が子供を身篭った事は何故だか絶対に思え るのだ。 「そのヴェールの白は純潔を、青色の衣服は真実を意味し、そして腹部の赤は天よりの 愛情を示す・・・」 目の前で微笑み合うマリアとアイリスの姿を見つめながら、ポツリとレニが呟く。 差し込む陽光はマリアの金色の髪に反射して白いベールとなり、黒い筈のコートも光の 加減なのだろうか、その毛並みが青毛の様に鮮やかに輝く。 そしてアイリス程の霊力が無いカンナにも朧げに見える腹部の赤い燐光…。 「こりゃあ一体、何の意味があるってるんだ、レニ?」 「Ankundigung…」 カンナにはレニが発した最後の言葉の意味は解らなかったが、その脳裏には何時か何処 かで見たことのある西洋の絵画を思い出させた・・・。 麗らかな西日の差しこむサロン、穏やかな笑みを浮かべる二人。 その姿はカンナの頭に浮かんだ絵画の様に、荘厳でも静謐な雰囲気を醸すわけでも無か ったが、ただ見る者の心を暖かくしてくれる光景だった…。 『そういえば、あの絵の女の人も同じ名前だったよな…』  意味の無い呟きが点々と頭に浮かんでは消えてゆく。 そんな事を繰り返しているうちに、徐々に湧きあがる感動に自分の目頭が熱くなるのを 堪えられずに、カンナは無造作に顔を拭う。 正直な話し、この感動が何なのかとか難しい話しはどうでも良かった。 ただ親友のお腹の中に新しい生命が宿ったという事が、こんなにも嬉しく自分の心を震 わせるのだ。 結婚して子供を産み育てる、それは当たり前とは云わないが世の理からすれば極々平凡 な出来事だと思う。 しかしカンナはその平凡な出来事に感動出来る自分が好きだったし、この先自分自身に も同じ様な「平凡」が待っているかもしれない事に心が熱くなり、そんな未来がひどく待 ち遠しく思えてくる。 世間では『年頃だから』とか言われる年齢になったのは知っている。しかし、カンナに は今感じている感動や思いは年齢など関係無いように思えた。 その証拠にカンナが隣のレニを見ると、彼女も自分と同じ様に呆然とした表情を浮かべ てはいるものの、湧き上がってくる感情をどう処理してよいか判らずにいるようだった。 ━ギュッ━ そんなレニの表情を見た後、カンナは徐に彼女の後ろに回りその身体に手を廻した。 「…?」 レニは一瞬だけ驚いたような表情で振り返ろうとしたが、その行動を制するようにカン ナは彼女の頬に自分の頬を当てる。 「んっ…」 カンナの頬を伝う感動の滴の冷たさか、肌を通じて伝わる歓喜の気持ちを感じたのかは 判らないが、微かに喉を鳴らして身動ぎした後、身体の力を抜いて後ろのカンナに体重を 預けた。 「へへへっ…」 自分にかかるレニの重さを心地よく感じながら、カンナは意味も無く笑い声を漏らす。 どう形容したらよいか分からない感情を持余し、抱きしめる腕に微かな力を込めながら 頬を動かす。 「ふふっ…」 レニも擽ったそうにしながら、抑えきれない笑い声を漏らす。 姉のように慕うマリアの懐妊、ともすれば自分の弟か妹のような存在の誕生・・・。 それは彼女としても未知の出来事であり、事実今も戸惑っている。しかし少しずつレニ 自身の中でも堪え切れない幸福感と、漠然とした新しい感情が芽生え始めているのだ。 マリアとアイリスに向けられた互いの視線、その瞳は何処までも穏やかで目の前の二人 を包み込む様に優しい。 そんなカンナとレニの視線にも気付かずに、アイリスはじっとマリアのお腹に集中して いる。 「アイリス、分かるの?」 そう言いながら、マリアはアイリスの手を徐に自らの腹部に誘う。 「うん、まだハッキリとは分からないけれど、確かに赤ちゃんだよ♪」 壊れ物を扱うようにアイリスは、ゆっくりとマリアの腹部に当てられた掌を動かす。 サロンに訪れる沈黙、しかしそれは柔らかく暖かな清澄であり、その光景はカンナに遠 い日の懐かしさを喚起させた。 「ねえ、マリア。赤ちゃんが生まれたら、マリアとお兄ちゃんの次ぎに抱っこするのはア イリスだよ?」 「そうね、一番最初にアイリスに教えてもらったんだものね…」 腹部に添えられた妹のような存在の少女の掌に、自分の掌を重ねながらマリアは呟くよ うに言葉を返す。 「その次ぎは僕……でもいいかな?」 二人の会話を聞いていたレニが、僅かに身を乗り出すように口を開く。 周囲を包む雰囲気に最初は戸惑っていた彼女だったが、自分の中に溢れる気持ちを抑え きれなくなったのだろう。 「もちろんよ、レニ」 はにかむようなマリアの笑顔に、レニは安心したように再びカンナの腕の中に身体を預 けた。 『将来、十年後とかも・・・、こうしてお茶会なんてやっていられたら良いな…』 マリアやアイリス、レニの表情を眺めながらカンナはふと思う。 今までは十年先を考えるより、今に一生懸命な方が良いと思っていたし、そんな先の事 は想像も出来なかった。 しかし今は何年何十年後も同じ様に、午後のお茶会を楽しむ自分を想像する事が出来る。 その時はお茶を飲む自分達の周りを、若い頃の彼女達に良く似た子供らが遊んでいるの だろうか・・・。 そんな事を考えていると、そんなお茶会には是非参加して欲しいと思うもう一人の親友 の顔が浮かんだ。 『アイツにもこの事を教えてやらなくっちゃな…、っとその前に…』 「じゃあ、アタイはその次かな…」  カンナは少し照れくさそうに言葉を紡ぐ。 マリアも笑顔を向けながら、親友に頷き返す。 親友の笑顔を受け止めながら、カンナは心の中でそっと呟く。 『産まれたら産まれたで、今度はどんな名前を付けるとかでバタバタしそうだけれど…』 その時は再び自分も赤ん坊を中心としたドタバタに巻き込まれる事になるのだろう。 しかし不思議と憂鬱な感情よりも、寧ろそんな騒動を楽しみにしている自分がいること にカンナは気付く。 「へへっ…」 訳も無く笑いが込上げてきたカンナは笑い声と共に、自然と浮かんでくる最高の笑みを マリアに向けた。                   ━fin━




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