7000Hit 記念 SS




寄せては返す波の音・・・。 黄金色に彩られた砂浜を漫歩く一組の男女。 「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせて…」 「金色夜叉ですか?」 吹き抜ける潮風に乱される髪を押さえながら、マリアが呟く。 大神は海を眺めながら、そのまま会話を続けた。 「良く知っているね、尾崎紅葉なんて…」 「『愛はダイヤ』を公演しましたし…」 他愛も無い会話を交わしながら、マリアは隣に顔を向ける。 水平線を眺める彼の横顔は、何処か遠くに思いを馳せている様にも見えた。 「んっ、どうしたの?」 マリアの視線を感じた大神が振り返る。 海岸の傾斜の所為だろうか、彼より波打ち際を歩くマリアは、僅かに自分を見つめる視 線の位置が普段より高い事に気が付いた。 「こうやって熱海の浜辺を歩いている私達は、宛ら寛一とお宮と云った所でしょうか?」 「俺が寛一で、マリアがお宮ってわけかい?」 普段と違う目線の位置に戸惑いを覚えながらも、会話を続けてみるが何処か違和感が残 ってしまう。 熱海に到着してから、まだ数時間しか経っていない。 しかし、帝劇を出た時から感じる違和感は、徐々に彼女の中で大きくなって行く。 彼の事は良く知っている筈なのに…。 旅行に出てから改めて発見する彼の様々な一面に、驚き戸惑ってばかりいる。 ただ、その戸惑いが何なのかと言われれば、マリアは上手く言葉に出来ないのだが…。 『新婚旅行なのだから…』 マリアが心の中で呟いた一言は耳に残る潮騒と混じり合い、何度も彼女の頭の中でリフ レインされていく・・・。 7000Hit 記念 SS ─Honeymoon Blue?─ Written by G7 ─チャポン─ 顎を伝わって落ちる雫の音が、やけに大きく響いて聞える。 先程まで隣の男湯では、大神が入浴している音が聞えていたのだが、先に上がってしま ったのか今は何の音も聞えて来ない。 夕刻に浜辺を歩いた時は強かった風も、今は微かに感じる程の夜風に変わっていた。 「ふぅ…」 湯船から出ている肩口にお湯を掛けながら、マリアは軽く息を吐き出す。 『緊張しているの…?』 心の中で自問しながら辺りを見回すが、露天風呂には自分以外の人影は無く、湯元から 湧き出る温泉が僅かに水面を波立たせているだけだった。 何度も利用した事のある旅館の露天風呂だったが、その開放感故に一人だけで利用して いると、何故か落着かない。 思えばプライベートで、二人だけの旅行など初めての事だった。 花組の面々や公務で大神と出掛けた事は何度かあった。 しかし、仕事や周囲の視線という箍をいきなり外されてしまっても、二人きりでどう行動 すれば良いのか、今一つ判らないのだ…。 『普段と一緒の筈なのに…』 大神の方はと言えば、別段変わった様子も無くマリアと接している。 元々、新婚旅行とはいえ結婚してから既に半年近くが経っているのだ。 マリアとしても、今更という気持はあった。 特別に何処かへ出掛けなくても、結婚を実感し幸せである事に変わりはないのだから…。 ただ、帝劇の面々から今回の旅行の話が出た時は、素直に嬉しかったし『新婚旅行』と いう言葉の響きに、心が躍った事は確かだった。 結局、押し切られる形で、二泊三日の熱海への旅行と相成ったのだが・・・。 しかし、こうして旅行に来てみると、何処か自分の期待していたものと違う気がしてし まうのだ。 新婚旅行という響きに対し、彼女なりにイメージする事もあった。 色々な所を巡ってみたり、珍しい物を食べてみたり・・・。 そんな非日常の出来事を、楽しんで思い出にする旅行なのだと…。 彼女自身、在り来たりだと思ってはみても、心の何処かで期待していたのかもしれない。 しかし、明日の予定を思い返しても、旅館の周辺を散策する以外に具体的な事は何も決 まっていないのが現実だった…。 普段と変わることのない彼と、そんな彼に対し戸惑い違和感を覚える自分…。 「はぁ…」 再び息を吐いて水面を見つめる。 月明りに映された自分の顔、僅かに揺らぐ水面がその表情を微妙に変化させていた。 「変な顔…」 自然と旅行に浮き立つ表情と、普段の自分を保とうとする理性…。 マリアは現状に戸惑う自分の表情を眺めるのをやめ、息を止め一気に湯船の中に頭まで 沈めてしまう。 胎児のように膝を抱えたまま、マリアはお湯の中で身体を丸める。 時折沸き上がる小さな気泡は、水面に上がり弾ける度に小さな波紋を重ねて行った…。 ◇ 「ありがとう…」 旅館の屋号が染め抜かれた浴衣姿の大神は、胡座を組んだままマリアからの杯を受ける。 軽く猪口を上げてマリアに礼をすると、一口に猪口を空けてしまう。 夕食も終わり晩酌には早かったが、既に数本の空徳利が机の隅に避けられていた。 「一朗さん、少しペースが速くないですか?」 マリアも唇を湿らす程度に猪口を口に付けながら、大神を窘める。 「大丈夫、この位では酔ったりしないから、心配しなくても良いよ」 大神は少し開いた襖の隙間から、隣の部屋を横目で眺めながら彼女の言葉に答えた。 枕元の行灯の光がぼんやりと照らし出す二組の夜具・・・。 几帳面に隙間無く引っ付けられた豪華な布団が目に入り、マリアは慌てて顔を逸らす。 「違いますっ!そういう意味では無く…」 風呂上がりから既に大分時間が経っていたが、何故か身体の火照りが収まらない。 決して酔うほどに飲んでいるのではない筈なのに…。 風呂から上がって部屋に戻ってみると、夕食の準備と共に綺麗に敷かれていた布団。 夫婦として宿泊しているのだし、今更照れる事は何も無いのだが・・・。 帝劇ではベットで寝ている為か、どうしても見慣れない夜具に対して意識してしまうの かもしれない。 「熱い…ですね…」 過剰な自分の反応を静めるように、マリアは会話を逸らす。 「そうかな…?」 大神は特に何も感じた様子も無く、注がれた酒を嚥下するだけだった。 「……」 自分で振っておきながら、それ以上続かない会話に気不味さを感じてしまう。 話題を変える為だけの言葉だったが、本当に身体が熱く火照ってきてしまったマリアは、 少しだけ浴衣の衿を緩め風を入れた。 僅かに開けただけだったが、随分と涼しい風が胸元に流れ込んでくる。 そんなに着崩したつもりは無いのだが、どうしても行儀の悪い事をしている様で、何処 か落着かない。 『すみれって、ある意味凄いのかもしれないわ…』 緩めた胸元を気にしつつ、帝劇で生活していた頃のすみれの着こなしを思い出す。 当時はそういった着こなしだと思っていたが、自分でやってみると、その大胆さを改め て実感する。 「……」 そんな事を考えながら、マリアが顔を上げると自分の胸元を眺めている大神と目が合っ てしまう。 「何を見ているのですか!?」 慌てて襟元を合わせ、彼の視線から隠すように身体をずらして、僅かな非難を言葉に乗 せて睨み返す。 「いや、色っぽいなぁ…って思ってね」 マリアの視線に臆する事無く、大神は胸元から彼女の顔に視線を映し言葉を返した。 「とっ、突然何を…」 真顔で返された言葉に、身体全体が更に熱を帯びて火照ってしまう。 普段は此方が期待していても、気の利いた台詞が出てこない彼なのに・・・。 この旅行に出てから、改めて発見する彼の表情や仕種の多さに戸惑う事が多い。 この瞬間にしても、変に大神を意識してしまうマリアは、どう反応してよいのか判らな いでいた。 「なんかさ…、この旅行に出てから、今まで知らなかったマリアを発見する事が多いって 言うのかな…。その一つ一つを見つけるのが凄く嬉しいっていうのか…」 視線を離さずに、囁きかけるようにマリアに顔を寄せる大神。 「私は…」 自分と同じ思いを感じてくれている一朗の気持を嬉しく思いながらも、片手で衿を押さ えながら、何故か空いている腕で後退ってしまう。 「何で逃げるの?」 「逃げているわけでは…」 そんな遣り取りの間にも、大神は着実にマリアとの距離を詰めていく。 マリアとしても本気で逃げようとするのであれば、立ち上がってしまえばよい筈だった。 しかし、決められたルールが有るわけでも無いのだが、マリアは何故か腰を落としたま ま後退を続ける。 「裾、割れてるよ…?」 ゆっくりと彼女に近づきながら、僅かに捲れた裾の間から覗く彼女のしなやかな脚に目 をやりながら大神が呟く。 「えっ!?」 後退る事に集中していたマリアは、慌てて裾を押さえて視線から隠す。 「捕まえた♪」 マリアが裾から視線を戻すと、目の前には満面の笑みを浮かべた大神の顔が広がってい た。 再び後退ろうにも、両肩を押さえられてしまったマリアは動けない。 「ふざけないで下さい…」 気恥ずかしさからか、自分を見つめる視線に耐えられないマリアは、唯一自由になる顔 を背けて僅かな抵抗を試みる。 「ふざけているつもりは無いよ。だって新婚旅行なんだから?」 顔を背けた為、正面になったマリアの耳朶に囁くように、大神は言葉を続けた。 「新婚旅行って…」 擽ったさの中に混じる微妙な甘さが、更に自分の体温を上昇させて、上手く言葉が続か ない…。 「別に新婚旅行だからって、特別に構える必要も無いと思うし、変に意識しているわけじ ゃあ無いけれど・・・。ただ…」 「ただ…?」 直接、自分の肌越しに伝わってくる彼の言葉…。 身体に響く声と唇から伝わる熱が、心地良い痺れとなってマリアを包んでいく。 「こうして、二人で一緒の時間を過ごせるだけで…、何も無くても純粋に嬉しいんだ…」 後ろから廻された腕で、再び彼の方へ向かされる。 彼の漆黒の瞳に映る自分…。 その表情は先程、湯船に映った時とは随分と違って見えた。 今までの違和感や戸惑いが、全て消えた訳では無い。 しかし、彼の瞳に映る今の自分の表情は、何処か晴やかな感じがする。 「マリア…」 名前を囁きながら、大神はマリアを抱き締める腕に力を込める。 唇に近づく暖かな気配と、僅かに感じる彼の吐息…。 互いに混じり合う吐息に、微妙なアルコールが香る。 しかし、今はそれすらも媚薬の様にマリアの体内へ染み込んでいく。 『結局、普段と同じなのかしら…?』 唇を重ね、優しく後ろへ押し倒されながらも、微かに残った理性の呟きは言葉になるこ となく、身体を駆け巡る情愛の奔流に流されていった…。 ◇ 淡く照らされた夜具の上で抱き合う二人の影が伸びる。 襖に映し出されたその様子を、マリアは霞掛かった意識の中で眺めていた。 「んっ…」 浴衣の合わせ目から暖かい掌が入ってくる感触に、一瞬だけ身体が強張る。 慣れ親しんだ我が家を散策するように、掌はマリアの身体を迷う事無くなぞっていく。 「浴衣を…、脱がないと…」 大神の掌に意識が集中しそうになるのを堪えながら辛うじて口にする言葉も、再び塞が れる唇に意味を成さないものになる。 与えられる愛撫に力が入らないマリアは、そのまま後ろに倒れ込もうとするが、腰に廻 された大神の腕に支えられ、その自由を奪われていた。 「あぅっ…!」 胸に感じる彼の指先の動きに、押し殺した声を漏らし弓のように身体が反り返る。 それでも腰への抱擁は解けること無く、窮屈な体勢のままマリアは薄く吐息を零す。 「……っ!」 弓反りになった拍子に、肩から肌蹴てしまった浴衣。 露になった右の乳房に感じる熱い吐息・・・。 次に来るであろう刺激に対し意識を向け、声を漏らさないように口を結ぶ。 しかし、待てども訪れない刺激と行動を起さない大神に対し、訝しげに視線を胸元に向 けるマリア。 すると彼女が視線を向けると同時に、上目使いで見上げる彼の視線とぶつかってしまう。 自分はどんな表情で彼を見つめていたのだろう、ただ彼の瞳に浮かぶ満足そうな色を感 じた瞬間に、全身を羞恥の炎が駆け巡る。 「違っ…、ひっ!」 誤解を解く為の言葉を紡ごうとした瞬間に胸を襲う熱い舌先・・・。 突然の刺激に一瞬、意識が飛びそうになる。 ふいに解かれる腰の束縛・・・。 再び弓反りになったマリアの身体は、重力にしたがい布団の上に倒れ込む。 半ば意識の無い彼女が着地する寸前で、大神は包み込むようにマリアを抱き留める。 そして、そのまま覆い被さる体勢で、閉じられた彼女の瞼の上に優しく唇を落とす。 「一朗…さん…」 ゆっくりと目を開けたマリアは、眼前に広がる大神の笑顔を確認し、安心したように彼 の首に両腕を絡ませた…。 「マリア、上になって…」 身体を入れ替えながら、マリアは大神の言葉に肯く。 体内に感じる彼を離さないように、彼女は慎重に体を動かす。 離れてしまったからといって、どうなるものでは無いことは判っている。 しかし、一時一瞬でも彼を感じていたい…。 そんなマリアの想いが、体を入れ替えるという単純な行為をより神聖めいたものにさせ ていた。 「んっ、あっ…」 彼の身体を跨ぐような体勢の為、自重で更に深く彼を感じてしまう…。 耐え切れずに声を漏らしながらも、腰の位置を調整する。 初めて身体を合せた頃の自分であれば、到底このような体勢で愛を交わすことなど考え もしなかっただろう。 決して慣れたという訳では無いが、より貪欲に彼との愛を求めているマリア…。 しかし、それを堕落だと彼女は思わない。 愛を求めることに傷つき臆病だった自分が、彼と愛し愛されることで、今は魂の結びつ きを確かに感じることが出来るのだから…。 より深くお互いを感じる事、それは未知なる事への恐れより、更に大きな喜びを知る事 だと考えられる様になっている。 その昇華された想いに、罪悪を感じる事は無いのだと…。 「マリア…」 幾分落着いたマリアの様子を眺めながら、大神は再び緩やかな刺激の波を送り始める。 おもむろに伸ばされた両手は、彼女の双丘に添えられた。 「やぁっ…」 普段であればマリアの腰に添えるか、互いに握り合う掌・・・。 行き場を失った彼女の手は、所在無さげに宙をさ迷う。 腰の支えが無い為か、どうしても身体のバランスを取るのが難しい。 マリアが安定を求めて動けば動く程に、逆に彼との接点から送られる刺激の波に翻弄さ れてしまう。 腰から上ってくる緋色のうねりと、胸から与えられる刺激に気が遠くなる。 甘く霞んだ視界の中で、彼よって形を変えられる自分の胸を見下ろす。 まるで別の生き物のように変化している様は、彼女の感情を更に昂ぶらせた。 「お願いします…、最後は…」 マリアは僅かに残った意識を集めて、大神の方に目をやり如何にか意志を伝える。 「うん…、解った」 「あっ…」 マリアが身構えるより早く、大神は身体を返し彼女に覆い被さる。 激しく唇を合せながらも、マリアは安堵の表情を浮かべ彼の首に腕を廻す。 直に感じる圧迫感すら、愛しいものに思えてしまう。 快楽だけを求めているわけではない、だからこそ身体全体で彼を感じられるこの形が、 彼女としては一番落着くのだ。 マリアは抱き締める腕に力を込めた。 それに答えるように、大神もそのピッチを上げる。 浮き上がりそうになる自分を繋ぎ止めるように、マリアは思わず彼の背中に爪を立てし まう。 「っ…!」 「一郎さん…」 灼熱の迸りを身体の奥で感じ、その余韻を味わいながらマリアは腕の力を抜いていく・・・。 ◇ 布団とは違う暖かさを心地良く感じながら、マリアはゆっくりと瞳を開けた。 顔を上げて時計を探すが、布団の敷かれたこの部屋には見当たらない。 耳を澄ましてみても、隣の間に置いてあった時計の音は聞えてはこなかった。 あと半刻もすれば、障子越しに差し込む朝日が目元まで伸びてくるだろう。 隣に寝ている彼に寄り添うような格好の自分。 浴衣は完全に肌蹴てしまい、結ばれた帯の部分で辛うじて身体に巻き付いている。 「ふふっ…」 昨夜の激しさを思い出させ、少し気恥ずかしさも感じるが、同じ様に肌蹴た浴衣姿で眠 っている彼を見ていると可笑しさが込み上げてしまう。 静かに頭を彼の胸へ置いてみる。 耳朶を伝わり響く、規則正しい心音を聞いていると不思議と心穏やかになる。 『別に構える必要も無い…』 不意に昨夜の彼の言葉が頭に過ぎる。 確かに『新婚旅行』という言葉に、気負っていた部分があったのだろう。 皆が気を利かせて送り出してくれたのだからとか、生涯で一度だけの旅行だからとか…。 無理に楽しもう、思い出を作ろうと焦っていたのかもしれない。 「でも…」 寝ている大神を起さないように、小さな声で呟きながら指先で逞しい胸板をなぞる。 『二人で過ごした思い出ならば、どんな事であっても良い思い出になりますよね…』 大神の心音が、二人だけの時を刻む時計の様に聞えてくる。 力強く、穏やかに刻まれる時・・・。 マリアは瞳を閉じて、再び大神の胸に頬を寄せた。 『あと一日、ゆっくりと……』 まどろみの中で、心に浮かんだ言葉は最後まで形にはならず、マリアは心地良い眠りに 誘われて行く…。 紡がれる事のなかった心の呟き・・・。 寄り添って眠るお互いの安らいだ表情、刻まれていく特別な時間…。 そう、二人の新婚旅行は、まだ始まったばかりなのかもしれない・・・。 ─fin─




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