山根 キク  明治26年(1893)6月1日〜昭和40年(1965)4月23日
 明治〜大正期のジャーナリスト

 山口県萩の醤油造り屋の長女に生まれる。父猪之助の影響で三味線をたしなむ。父方は萩沖の櫃島、母は萩沖の大島出身。ちなみに山根家の先祖についてもいろいろ伝説がある。それは、後醍醐天皇の隠岐から本土への上陸を手伝い、女官を妻に賜ったという。南朝、尼子、関ヶ原では西軍と常に負け側についた、という内容。

 8歳のとき、実母ウメが死亡し、以来父は生きる気力をなくし、数年後に祖父母より先に病死した。
 14歳のときキリスト教に触れ、ひかれたが、祖父の猛反対にあった。

 萩修善女学校を卒業後、横浜共立女子神学校に進んだ。大正4年(1915)卒業式に臨んで儀式中にイエスの生涯・復活への疑義を発して式を混乱させた。この疑問はのちに竹内文献によってキクにとっては氷解する。

 封建的風土の萩には戻らず、四谷と牛込に日曜学校を開設して、キリスト教伝道に従事した。

 昭和4年(1929)に万朝報に入社して、婦人部長をつとめた。のち、日本と世界社社長になり、貧民救済伝道事業雑誌『民衆公論』『女性時代』を創刊した。

 昭和40年4月23日狭心症発作のために急死した。享年71歳。
 『光は東方より』などの著作がる。
出 典 『女性人名』
山根きく  http://bach.ss.sugiyama-u.ac.jp/~yamane/orenti/kik/kik.html